第56話 出発

 あっという間に出発の日が来た。

 出発が決まってからというもの、連日のように呼び出されて送別会だの壮行会だのともてなされたわけだが、俺も案外、人気者だな。

 お陰で今朝も二日酔いだったりする。


「おはようございます、ご主人様。さあ、顔でも洗って、シャキッとしてくださいね」


 アンに促されるままに手桶の水で顔を洗い、住み慣れた部屋をみわたす。

 寝具の他に何も無いと、案外広く感じるな。

 外にでると、すでに日は登っていた。

 旅立ちにふさわしい、いい朝だ。

 さて、行くか。




 バダム翁をはじめ、見送りに来てくれた人たちに手を振りながら、街を出る。

 思えば僅かの間にこの街にも知り合いが増えたものだ。

 紳士の試練とやらが達成できたら、また戻ってきたいものだなあ。


 街道を進むうちに、エツレヤアンの外壁も見えなくなる。

 こうなるといささか名残惜しい。


「次に戻ってくるのはいつになるかな」


 隣で手綱を握るデュースに尋ねる。


「ゲートがあるのでー、その気になればいつでも戻れますけどねー」


 ゲートといえば、なにかワープする装置だと言っていたな。

 具体的にはどんな感じなんだろう。


「うーん、白い壁一枚隔ててー、すっとつながってるのでなんとも言いがたいですねー、ただ通り抜けるだけというかー」

「ふーん、不思議なものだな、突然別の場所に出るだなんて」


 いや、でもそもそも俺も別の世界から来たわけで、そのゲートとやらは俺がここに来た秘密となにか関係があるのか?

 出発前に調べておくべきだったか。

 帰る気がないせいもあるが、どうもそういう物を無意識に避けてるのかもしれない。


 何でもかんでも蓋をしてるとあとで困るのは自分なんだけどな。

 二日酔いのせいか、考えがネガティブになりそうだ。

 気を取り直して景色を眺めよう。


 馬車の旅はのどかなものだった。

 御者台からみると、通い慣れた神殿への道のりも違って見える。

 一年前、初めてアンと神殿に行った時は、こんな異世界にやってきてどうなるのかと思ったが、まさかこんなふうになるなんてなあ。

 一年後にはどうなってることやら。


 目の前では馬の太郎と花子が仲良く馬車を引いている。

 ぼーっと花子のお尻を眺めていると、時折蝿が飛んできてそれをしっぽで追い払う。


 馬を操れるのはデュースのほか数人だ。

 オルエンが一番巧みだが、愛馬のシュピテンラーゲにまたがっているので代わりにはならない。

 彼女は少し前に出て、俺達を先導していた。


 今はデュースが手綱を握り、隣に俺が座っている。

 その間に奴隷のウクレが小さくなって腰掛けていた。

 最終目的地のなんとかという港町までの道を知っているのはデュースだけだ。

 もっとも街道を道なりに進むだけらしいが。


 御者台は手すりで囲まれているので、どんくさい俺でも落っこちる心配はなさそうだ。

 上は屋根代わりの見張り台が付いていて、馬車の側面から登れるようになっている。


 今はフルンとエレンが上に陣取っていて、時々二人の笑い声が聞こえる。

 残りは馬車の中で何かしらしているようだ。


 ふたたび花子がしっぽを振り上げたので、また蝿かと思ったら、大きいのをぼとりとやった。

 太郎くんの奥さんは慎みがないなあ。

 などと考えながらデュースの方を見ると、


「そういう趣味はないですよー」


 と返されてしまった。

 俺もないよ。


「え、なんのことですか?」


 真顔で尋ねるウクレをごまかしつつ、別の話題を振ってみる。


「例の試練の塔までどれぐらいかかるんだ?」

「このペースだと二日ですかねー、明日の夕方ぐらいでしょうかー。まだみんな馬車に慣れてないのでゆっくり進んでますよー」

「ふぬ、まあペースは任せるよ」

「このサイズの馬車だと、そもそも大きい道しか進めないのでのんびり行くしかないんですけどねー」


 キャビンとの境はカーテンで仕切られている。

 中の様子を覗くと、皆思い思いにゴロゴロしているようだった。


「どうだ、調子は」


 大あくびをしていたアンは、急に声をかけられたものだから、慌てて口元を手で隠す。


「悪く無いですよ、ただ、この揺れだと内職はできませんね」

「だろうな、まあのんびり行こうぜ」


 途中、大イカと戦った大河に出る。

 また船で渡るのかと思ったら、今度は橋をわたるらしい。

 川沿いに上ると、やがて大きな橋が見えてきた。

 石造りの巨大な橋だ。

 こんなでかい橋も作れるのか。

 思ったより技術は進んでるんだな。


「冬場に魔導師を百人から導入して河を凍らせたそうですよー。大変ですねー」


 そうか、魔法でやるのか。

 その発想はなかったなあ。

 やはり金がかかっているのか、通行料がいるらしい。

 小一時間ほどかけて河を渡り切る。

 今回は魔物も出なくてよかったよ。


「今日泊まる予定の町まで、あと二時間ちょっとですがー、そろそろお昼の支度ですかねー」


 とのデュースの言葉に、並べて馬を走らせていた騎士のオルエンが、


「では、場所を……さがしてきます」


 と馬を飛ばす。


 戻ってきたオルエンの案内で街道から少し馬車をそらし、小川沿いの大きな樹の下に馬車を止めた。

 テーブルを出して、用意しておいたランチを食べる。

 ハイキング気分で気軽なもんだ。


「調子の悪いのはいないか?」


 ふと思いついて、食べながら聞いてみる。

 この人数だと、一人や二人は体調を崩してもおかしくない。

 幸い、みんな元気なようだ。


 食べ終わると早々に出発の支度をする。

 あと二時間足らずで着くというのでもう少しゆっくりするのかと思ったら、むしろあまり余裕が無いという。


「遅くとも三時には移動をやめてキャンプの準備をすべきですねー。かなり余裕を見て行動してますけどー、それでも厳しいと思うのでー」


 デュースが言うならそうなんだろう。

 学生時代に友人の誘いで山歩きをすることがあったが、行動は午前中が多かったもんな。

 言われるままに、俺達は再び馬車に揺られる身となった。


 ずっと御者台でゴトゴト揺られていたせいかお尻が痛くなってきた。

 ふとお尻を患っていた会社の先輩を思い出してキャビンに引っ込む。

 ああいうのも魔法で治るのかね。


 中は半分ぐらいが荷物で占められていることもあり、多少狭くなってしまった。

 まあ狭い場所での暮らしには慣れたけどな。

 入れ違いに学者のペイルーンが本を片手に前に出たが、狭さは大して変わらない。


 アンが差し出したクッションを敷いて空いたスペースに腰を下ろす。

 日が当たっていないとまだ結構肌寒い。

 隣にいた牛娘のリプルを抱き寄せて、手近な毛布にくるまる。

 うちに来た頃と比べると、僅かの間にずいぶんとむっちりしてきた気がするな。

 特に四つの胸が。

 ミルクもずいぶんと出るようになって、我が家では重宝している。

 ダイレクトに飲むのがおすすめだ。

 明るいうちからがんばるのもオツなものだけど、こう揺れると舌を噛みそうだな。


 周りを見ると、アンとレーンは何やら精霊教会の聖典を読んでいた。

 そのとなりではエクとプールがいつものチェスをしている。

 この揺れる馬車でよくできるなと思ったら、馬車で遊べるように駒を盤に差し込む形に改造したそうだ。

 いつのまに。

 その周りではアフリエールやフルンたちが勝負の様子を見ている。


 御者台にはペイルーンが出てデュースの相手をしている。

 紅は見張り台に登ったようだ。

 セスは馬車の最後部で外を眺めていた。

 くつろいでいるようだが、刀は手放さない。

 表で馬にまたがるオルエンも軽装だが武装している。

 街道は安全だが、油断は良くない。

 そういうところは任せておこう。

 俺はチェスの様子を見ながら、隣にいたメガネ学者のエンテルを膝枕に横になった。




 うとうとするうちにたどり着いた町はペクル。

 住民の大半は町の南に広がる麦畑を耕しているそうだ。

 町の隣には大きな湖があり、畑の水源となっている。

 主要街道にあるので宿などはしっかりしているらしい。

 まあ、うちは宿には止まらないんだけど。


 町の外に古い井戸があり、旅の商人などはそこを中心にキャンプしている。

 俺達も湖に面した広場の一角に馬車を止めた。


 セスとオルエンが近くの森に狩りに、フルンと紅、リプルが薪拾いに行く。

 まだ明るいと思っていたが、テントを張って火をおこすうちにもう日が傾いてきた。


「ねえ、ペイルーン。アレどこにしまったかしら?」

「え、そっちにないの? ちょっとまってよ……」

「お姉さま、アレならあそこに」


 などと全員があたふたとやっている。

 うぬ、実に要領が悪い。

 しっかり準備をしたつもりでも、慣れていないとこんなものだろう。

 デュースが気を使うのももっともだ。


 それでもどうにかこうにか支度を終えたようだ。

 料理を担当している従者以外は火の周りに集まっている。


「ご主人様ー、まずは一杯どうぞー」


 と隣に腰掛けたデュースがグラスにワインを注いでくれた。

 酸味の強い安ワインをちびちびやりながら焚き火越しに湖面を眺めていると、魚が跳ねるのが見えた。


「釣れるかな?」

「そりゃあ、竿を垂らさなきゃわからないね」


 エレンが馬車に竿を取りに行く。

 食事までの暇つぶしにはなるだろう。


「つりー、私もするー」


 フルンが水際の土を掘り返して、ミミズを集めはじめる。

 あれから何度か釣りはしたが、イマイチ釣果は上がらない。

 釣りはよく知らないからなあ。

 やることといえば餌を付けて重りで沈めて浮きを眺める。

 あとはまあ、運だな、たぶん。

 エレンに聞いたら、魚の気配がするところに投げると言っていたが、気配なんぞわからんので如何ともし難い


 そもそも、釣りはほとんどやったことがないんだよな。

 両親と海釣りに言った記憶がおぼろげに残っているが、覚えているのは高速のサービスエリアで買ってもらったソフトクリームを落としたことぐらいだった。

 竿は四本あって、エレンとペイルーン、それにフルンがせっせと竿を動かしている。

 俺は糸を垂らしてのんびり待つだけだ。


 ぼーっと糸を眺めていると、リプルがしぼりたての乳を温めて持ってきてくれた。


「おう、ありがとう」


 隣を勧めると、リプルは腰を下ろす。


「どうですか、ご主人様」

「ん? さて、釣れるかな」


 といった瞬間、ぴくぴくっと言う感触が来た。

 こういう場合はどうするんだっけ?

 とっさに竿を引き上げたものの、見事に餌だけ食われていた。


「おう、やられたか」

「ああ、ざんねんです。今ひいてましたよね?」

「たぶんなあ」


 改めて餌を付けてリプルに竿をわたす。

 どうも俺は向いてないらしい。


 いつの間にかあたりはとっぷりと日が暮れて、あちらこちらの焚き火の明かりが目につく。

 少し前に戻った侍のセスと騎士のオルエンがうさぎを二匹、捕まえていた。

 狩りは騎士の嗜みらしく、二匹ともオルエンが仕留めたそうだ。


「うまそうじゃないか」

「独特の……くさみがあります。ハーブを……摺りこんで…焼くと、香ばしい……かと」


 盗賊のエレンたちは何匹か釣り上げたのかで盛り上がっている。

 のどかなもんだ。


「そろそろお食事ですよ」


 エンテルが学者らしからぬ大きな乳を揺らしながら呼びに来る。


「そうか、じゃあ……」


 と腰を浮かした瞬間、リプルにあたりが来た。


「あ、あわわ。ひいてますよご主人様」

「がっといけ、がっと、ほら」

「あ、うわあ!」


 みごとに一匹ゲット。

 割と大きい。

 はしゃぐリプルを褒めていると、エレンがやってきた。


「へー、旦那もなかなかのもんだね」

「釣ったのはリプルだけどな」

「あ、やっぱり」


 そういうエレンは俺の倍はある魚を釣り上げていた。

 マスかな?


「このまま食えるのか?」

「こっちのは少し泥を吐かせたほうがいいかもね。小さいのは今さばいて食べちゃおう」


 大きめのオケに水を張って魚を放すと元気よく泳ぎ始めた。


 いつものマメスープに甘くないビスケット。あとは例のうさぎに魚の塩焼きだ。

 肉は全員分とはいかないが、適当に取り分けて食べると、十分満足できた。


 食事を終えると、アンとアフリエール、レーンの三人は小麦をこねだした。


「明日のパンを焼いておこうと思いまして」


 毎日焼くのも大変だろうが、竈もないしどうするんだろうと思ったら、フライパンで焼くらしい。

 色々できるもんだな。


 町の近くで周りにも商人や冒険者などが多く泊まっており、見張りは要らないかもしれないが、慣れるためにも立てておくことにする。

 不寝番の紅の他に、二人ずつ交代で見張りにつく。

 俺はというと、全員一致で見張りをさせて貰えないことになった。

 主人にさせることではないとのことだ。

 なんだか仲間はずれみたいで寂しいぜ。

 もっとも俺は夜明け前には目が覚めるタイプなので、早めに起きて見張りにまじろう。


 どこからかギターっぽいメロディが聞こえてくる。

 のどかな夜だ。

 多少冷えるが、風上に馬車をおいているので風も気にならない。

 丸太に腰掛けて、フルンを抱っこしていると暖かい。


「ふにゅ、ご主人さまー、まだ寝ないの?」


 お、眠くなったか?


「うーん」


 と年少組は早々にテントに入ってしまう。

 あの子達はまだ夜が弱いようだ。

 いずれにせよ、寝るには早い。

 旅の夜を楽しむとしよう。


 ワインをついで、まったりと飲む。

 両脇にはデュースとエンテルだ。

 顔を上げると満点の星空、両隣には美人を侍らせての酒はうまい。

 のどかだねえ。


「そうですねー、私もこんなにのんびりした旅は初めてですよー」

「そんなもんか」

「前にいたパーティはイケイケでしたからー、魔界を始め物騒な地域をずっと旅してたのでー。今回の旅では塔を除けばー、まず大した危険はないと思いますよー」

「だといいがな」

「子どもたちの安全だけは気をつけてくださいねー」

「そうしよう」


 パンの仕込みを終えて、フルンたちを寝かしつけたアンとレーンが戻ってきた。

 アフリエールはすでに眠ったらしい。

 おつかれさん、と声をかけると、腰を下ろしてアンがため息をつく。


「なかなか考えていたとおりには行かないものですね。予定より二時間も遅くなってしまいました」

「いやいや、よく出来てる方じゃないか、そのうち慣れるさ」

「そうですね。ただ、ここから更にダンジョン探索や行商などをするとなると、忙しくなりそうです」

「だが、人手が足りないってわけじゃないだろ?」

「うーん、この大所帯ですからねえ。ホントは力仕事の出来る人が、あと一人ぐらい欲しいんですが、うちだと力のあるオルエンやフルンは戦闘メンバーなので、非戦闘向けで力のある子が欲しいですね」

「まあ、全員が行くわけじゃないから、分担してローテーションをまわせばいいのかな」

「そうですね」


 うなずいたアンは紅から受け取ったグラスを一息に飲み干す。

 いい飲みっぷりだな。


「明日にはボズの塔につくわけですしー、おいおい試して行きましょうー」


 といったデュースは俺の倍のペースで飲んでいるが、けろっとしている。

 その隣のエンテルとペイルーンも同じペースで飲んでいる。

 よく飲むな。

 うちにいた頃よりペースが早いんじゃ。


「飲まないと寒いじゃない」


 とペイルーン。

 まあ、そうだよな、俺ももうちょっと飲もう。


「妾ももう少しいただこうか」


 と、後ろからプールが盃を差し出してくる。

 テントと併設するように、後ろにはタープを張ってランタンをつるし、むしろが敷いてある。

 そこでプールとエクがいつものようにチェスをしていた。

 同時に火を囲めるのは五,六人が限度なので、どうしてもこうなるよな。

 そもそも焚き火が一つじゃ足りない気もする。


「薪が確保できればいいんですけど」


 とアン。

 さっき探しに行っていたが、こういう場所では都合良く枯れ木が落ちてることはないようで、それほど取れなかったようだ。

 生木でもその気になれば魔法で無理やり火をおこして燃やすことはできるそうだが。

 薪の買い置きは馬車に積んであるが、なるべく現地調達できるに越したことはないんだろうなあ。

 まあ、キャンプファイヤーじゃないんだから、程々でいいんだろう。


「それに夜は程々で寝るものですよー、そろそろ移りましょうかー」


 とデュースにいわれて、今夜は切り上げることにする。

 今日は馬車で寝る事になってる。

 テントとどちらがいいかは、まだわからないな。


 最初の見張りは不寝番の紅の他に、エレンとレーンだ。

 残りの何人かと一緒に馬車に入る。

 空気は冷たいが、分厚い絨毯が敷き詰められた馬車の中で毛布に包まると温かい。

 そこで控えめに夜のご奉仕を受けると、その日は眠りについた。

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