第55話 準備

 ぼちぼち寒さも和らいできた頃、馬車の改装が終わったというので、改めて見に行ってみた。


「どうだい、旦那。見違えただろう」


 出迎えたエレンが自慢する通り、馬車はすっかり仕上がっていた。

 これは見違えたな。

 外装は前回来た時にはすでに綺麗になっていたが、内装も立派なものだ。

 床を貼った上に絨毯が敷かれ、棚などがつくりつけてある。

 ちょっとしたキャンピングカーだな。

 こんな立派なものができるとは思わなかったよ。


「あがってみなよ、いい絨毯だろ」


 言われるままに、靴を脱いで上がる。

 そういえばこの国では靴を脱いで部屋に上がるんだよな。

 最近まで意識してなかったが、うちも板張りで床に寝るしな。

 もっと北の国では、靴のまま暮らすところもあるらしい。


「どうだい、寝心地は」


 ごろりと寝転がると、しっかりした毛足がいい感触だ。

 ふわふわというわけでもないが、なんかこう、すごく馴染むというか。

 表現しづらいが、たぶんすごくいいものなんだろう。


「十人ぐらいなら、余裕を持って乗れるね」


 たしかにそれぐらいなら余裕を持って過ごせそうだ。

 今は十六人いるわけだが、オルエンは愛馬に乗って移動するし、御者台に二人、見張り台に二人乗れば、中には十一人だから、かなり余裕を持って旅ができるはずだ。

 それに野営をするときはテントを張ってそちらで寝ることになるらしい。


 もっとも、十六人分の水や食料だけでも馬鹿にならない。

 色々検討した結果、大樽に水とワイン。

 さらにみんな大好きお豆ちゃんをしこたま積む。

 あとは麦の袋を積めるだけ。

 肉や魚は乾物を除けば、現地調達になりそうだ。

 当然、燃料の薪もいる。


 さらに商売道具も積み込む。

 御札や丸薬を売る屋台、デュースの占い道具、それら商品を作る道具などだ。

 旅費の蓄えはあるが、旅先でも日銭を稼がないと、どうなるかわからないからな。


 しかし我が家も実に大所帯になったものだ。

 こんなに大勢の家族と暮らしたことはないのでいまだに勝手が分からないところがあるが、どうにかうまくやっている。

 これもみんなの協力あってのことだよなあ。

 感謝の印に、日々のご褒美は欠かせないよな。




 後日、馬車を引き取ってきた。

 地主に話を通して、裏の空き地に置かせてもらうことにする。

 普段の練習ならともかく、こんなでかいものを黙って置くわけにもいかないからな。


 貴重品を入れるのは後回しにして、とりあえず最低限の寝起きができるように整える。

 見張りを兼ねて、交代でこちらに寝るからだ。

 眠らない紅が夜は常駐することにし、残りは数人ごとに交代する。

 せっかくなので、初日は俺も泊まって見ることにした。

 なんかワクワクしてきたぞ。


「まだ、朝晩は寒いですから、布団をしっかりかぶってくださいね。あと、ご近所様の目がありますから、外ではご奉仕などしないように」


 アンの細かい注意を神妙に聞いて、馬車に乗り込む。

 俺と一緒に馬車に泊まるのは、オルエンとデュース、それにアフリエールとフルン、そしてエレンに紅だ。


 まだ荷物もそれほど入れていないせいか、キャビンは余裕がある。

 夜がふけても月が出ているせいか、思いの外明るい。

 幌を通して、馬車の中はぼんやりと照らし出されている。


 馬車は御者台の上の部分がデッキになっていて、そこに上がれる。

 元は見張り台だったらしいが、畳一枚ぐらいのスペースがあるので、クッションでもあれば十分昼寝ができそうだ。

 ちょっと登ってみよう。

 アフリエールとフルンはさっきまではしゃいでいたが、いつもの様に早々に寝てしまったのでエレンがついてくる。

 上にあがるとここも綺麗に仕上がっていた。


「ここは見張り台らしいな」

「僕の特等席だね」

「そうなるな」


 そう言って板張りの上に寝そべってみる。

 床が結構冷たいな。

 夏は涼しくていいかもなあ。

 などと考えながら空を見上げると、そこには満天の星空が広がっていた。


「星がいっぱい出てるなあ」

「そりゃそうだよ。あれ、もしかして旦那の居た世界って星があまりないの?」


 同じく隣で空を見上げるエレンが尋ねてくる。


「いや、星の数はここに負けないぐらいいっぱいあるはずなんだけどな、町中は空気が汚いのと、夜でも明るいので、よく見えないんだよ」

「空気が汚いって? あと町が明るいって夜も太陽が出てるの? 白夜だっけ、北のほうがそうらしいけど」

「白夜じゃないよ。ランプがあるだろ、あれのもっと大規模なやつで一日中、家の中だけじゃなく、表の通りまでずっと明かりで照らしてるんだ。そうなると地面が明るすぎて空の微妙な光が見えづらくなるんだよ」

「へー、一晩中あかりか。盗賊には不便な世界だね」

「半分は防犯を兼ねてるからな」

「残り半分は?」

「一日中、どこかで誰かが起きて生活してるから、そうなるんだよ」

「ふーん、変わった世界だねえ」

「そうかな」

「わからないけど、たぶん変わってるよ。あと空気が汚いってのは?」

「火をたくと煙が出るじゃないか」

「うん」

「あれと同じで、物を燃やした煙なんかが大量に溢れてて、それで空気が汚されてるんだよ」

「えー、なんかひどい世界だね」

「今から思えばそうだな。もっとも便利なこともあるけどな、馬車の何倍も早い乗り物で町を行き来したり、空をとぶ乗り物で何百キロも先まで飛んでいけたり」

「ほんとに? 旦那が言ったんじゃなければ鼻で笑ってるところだけど」

「やはり俺の言葉には説得力があるかね?」

「というか、ホロアは主人の言葉を疑ったりしないよ? それもまた、理ってやつだね」


 そういってエレンは俺に身を寄せる。


「その割には皮肉が多い気もするが」

「信じている事を理性で批判するのは別におかしなことじゃないんじゃないかな」

「そりゃ、もっともだ」


 エレンは相変わらず知恵が回る。

 知識だけで言えば、デュースが圧倒的だし、エンテルも偏ってはいるものの博識だが、頭の良さではエレンも引けをとらないと思う。

 それはいつもいろんなことを観察しているからだろう。

 見て、考えて判断し、行動する。

 それを全部やって初めて知恵がつくわけだ。

 まったく、頼もしいやつだ。


「なんだい、人の顔見てニヤニヤして。旦那はいやらしいなあ」


 俺も自分がこんなにご奉仕大好き野郎だったとは思わなかったよ。


「そろそろ戻る? まだ夜は寒いよ」


 デッキから降りるとオルエンとデュースがランタンの明かりを頼りに、静かに酒盛りしていた。

 なんだよ、楽しそうにやってるじゃないか。


「馬車の中だと火がないのが困りますねー。実際の旅の間は、ずっと火を焚くことになるでしょうけどー」


 背を丸めて毛布に包まりながら、デュースがそう言う。

 たしかに寒いな。

 エレンを抱っこしていたが、それだけじゃ寒いのでむっちりして暖かそうなデュースに抱きついてみる。


「あん、変なことしちゃ駄目ですよー。外なんですからー」


 大丈夫、あくまで抱きつくだけ。

 むにむにしながら、デュースから奪い取ったグラスをあおる。


「しかし、長旅はやっぱり不安ですねー。街で暮らしていても病気にはなるものですがー、旅先だと些細な事が致命傷になったりしますしー。一応、非常用の高価なお薬も揃えてはいますけどー。ウクレはちょっと体が弱いようですしー」


 それは俺も気になる。

 かと言ってどこかに預けて行くというのもなあ。


「奴隷ですからー、売ることになりますよー」


 そりゃ困る。

 彼女も俺の大事な従者……のつもりなんだ。


「ですよねー、なるべく無理がないように進みましょうー」


 寒さで飲み過ぎたのか、酔いが回って横になる。

 うちのせんべい布団より、こっちの絨毯のほうが気持ちいいぐらいだな。

 もうちょっと内装を整えれば十分暮らせそうな気がするが、実際は荷物も増えるし、人数も倍以上になる。

 ここで寝泊まりする訳にはいかないんだよな。


「テントと馬車で寝起きすることになるでしょうねー。大きいテントも注文してあるのでー、届いたら一度張ってとまってみましょー。慣れないと張るのも一苦労ですしー」


 たしかにな。

 以前、二泊で冒険した時は、小さなテントをデュースたちが要領よく張ってくれたが、大きいのだと勝手が違うだろうし。

 食事の支度も、ちゃんとした竈や水場のあるうちとは大違いだろう。

 考えれば考える程、大変そうなんだが。


「まずー、馬車の横にタープを張って荷物をおろしてー、それを挟むようにテントを貼りましょうかー。その隣で火を焚く感じでしょうかねー。やっておくことがおおいですねー」

「大丈夫なんだろうか、といっても丸投げするしかないんだけど」

「その辺りの工面は、私達でしておきますのでご主人様はお気になさらずにー。あとで労っていただければ十分ですよー」


 そこのところはしっかりさせていただきますよ、はい。




 次の日から、手の空いたものが順番に馬車に荷物を運んだり、家を明け渡すための準備を始めた。

 せっせと作業をする皆を見守っていると、隣に立つアンが話しかけてきた。


「どうにか様になって来ましたね」

「そうだな。こうなるとすぐにでも出発したくなるが」

「勢いも大切ですからね」

「そうだよなあ」

「いちおう、ペイルーンやエンテルもアカデミアでの引き継ぎなどは終えて、いつでも旅立てます。お得意様へのあいさつ回りも概ね済んでますし」

「ローエルの婆さんとか、薬の出前が無くなっても大丈夫かな?」

「代わりのお店を斡旋しておきました。その辺りはエレンがうまく処理してくれましたから」

「ふぬ、となるとだ」

「はい」

「あとは、俺の掛け声一つというわけか」

「そうですね」

「縁起の良い日とか、そういうのはあるのか?」

「ペイルオールの奉献日などが、何かを始めるのには吉日だとされていますね」

「いつだ?」

「一週間後です」

「よし、ならその日だ」

「かしこまりました。みんなー、ちょっと集まってちょうだい」


 アンの呼びかけに、みんな集まってくる。


「たった今、出発の日程が決まりました。一週間後のペイルオールの吉日。最初の目的地は、当初の予定通り、ボズでよろしいですか?」

「うぬ」

「では、そういうことですので、皆、それぞれの担当作業を進めてください」


 再び全員が持ち場に戻る。

 よく働くなあ。

 で、俺の担当は?


「ありません」

「何かさせてくれよ」

「そうですねえ、じゃあ、ちょっと大変そうなエク達のサポートを」

「よしきた」


 家に戻ると、エクとプールが珍しく家の掃除をしている。

 数少ない手持ちの家具だったタンスなどはすでに馬車に移してあるので、部屋の中は空っぽだ。

 そこを懸命に拭いている。


「短い間とはいえ世話になったお屋敷でございますからには、せめて形だけでもこうして綺麗にすることで何かお返しできるのではないかと思いましたのでございます」

「うむ、できぬできぬと申しているだけでは進歩がない。妾たちもウクレを見習って、家事のまね事でもしてみようというわけよ」


 そりゃ、殊勝な心がけだな。

 心がけはいいんだけど、雑巾の絞り方があまくて床がビチョビチョだ。


「やはり、やり方が間違っていたのでございましょうか」


 せめて掃除の出来る人間を一人こっちに回せばいいのに。

 まあみんな忙しそうなんだが。

 だから俺をこっちに回したのか。

 どれ、そういうことなら俺も手伝ってやろう。

 雑巾を手にして拭き始める。


「あ、ご主人様がそのようなことをされては」

「まあいいじゃないか。俺も世話になった家だ。綺麗にして行かないとな」

「ですが、床掃除をする紳士などと、世間にしれては……」

「俺はフレンドリーな紳士で通ってるから大丈夫なんだよ」

「さようでございますか」


 仲良く掃除していると、オルエンとアフリエールが馬を連れてきた。

 少しずんぐりした、大きいロバと言った感じの馬だ。

 種類とかはよくわからないが、オルエンの愛馬、シュピテンラーゲとはだいぶ違うな。


「つがいで馬車を引いてもらうお馬さんです。名前をつけていただきたいのですが」


 とアフリエール。


「名前はついてないのか?」

「はい、子供の時の名はあるのですが、普通もらってきた時に名前をつけます」


 そんなものか。

 名前なあ……つがいの馬かあ。

 よし、決めた。

 太郎と花子だ。


「タロウとハナコですか。変わった響きの名前ですね」


 そうなのかもな。

 俺的には落ち着く名だけど。

 実はカタカナ名前っていまいち馴染めないんだよな。

 うちは紅以外みんなカタカナだし。

 カタカナというのも変だけど外人っぽいというか。

 それでもうちの連中はもう慣れたけど、たまに人を紹介されてもうまく発音できなかったりする。

 あれがちょっと困るな。


 それよりも、あれだ、我が家に俺以外の雄が!

 おい、太郎。

 俺の女に手を出すんじゃねえぜ。

 ってよく考えたらこいつ、嫁さん付きかよ。

 俺だって独身なのに。

 メイドはいっぱいいるけど。

 俺、結婚とかするんだろうか。

 誰と?

 ホロアは従者の種族だと言っていたが、エンテルなんかも当然のように従者になってたし、人間……アジアル族とか言ったりもするらしいけど、それとならするんだろうか。

 もしかして紳士の女性としか結婚しないとかあるのかな?

 女紳士っているのかな、あるいは淑女族とか。

 そんな種族までいたら凄いけど。


 そういえば社会の授業で女真族って出てきた時に、真の女ってどんな凄い女なんだろうと思ったら、ただの当て字と知ってがっかりしたのを思い出したよ。

 まあ、それはいいんだけど。

 それよりも、他のことと違ってちょっと聞きづらいな。

 機会があればそれとなく聞いとこう。


 そんな俺の葛藤をよそに、フルンとアフリエールがせっせと餌やら水をやっている。

 美味そうに食ってやがるなあ。

 俺も腹減ったな。

 さっさと掃除を終わらせて、飯にしてもらおう。

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