2章 紳士と馬車
第54話 馬車
しんしんと降り積もる雪は、一向に止む気配を見せない。
だが、通りを行き交う人々は、そんなものはお構いなしとばかりに威勢よく歩いていく。
店番で表に立つ長耳娘のアフリエールと僧侶メイドのレーンは、そんな通行客に負けじと声を上げて呼びこみをやっている。
あいかわらず元気なもんだ。
俺ときたら、部屋の隅で毛布にくるまって、カウンター越しにそんな様子を眺めていた。
一緒に毛布にくるまっていた犬耳のフルンは、朝のトレーニングで疲れたのか、俺にもたれかかってうたた寝している。
可愛い寝顔をぼんやりと眺めていると、フルンの犬耳がぴくりと動く。
「うにゃ、ペイルーンたち帰ってきた? おみやげ!」
フルンが飛び起きると同時に、学者コンビのペイルーンとエンテルが帰ってきた。
コートの肩口に雪が積もって寒そうだ。
二人はエンテルの実家に、子供時代の古着を探しに行っていたのだ。
服もたくさんいるからなあ。
「ただいま。アンは?」
雪を払いながら、ペイルーンが尋ねる。
「アンはまだ、デュースと買い物中だよ」
「そう。うちにいるのこれだけ?」
そう尋ねられて狭い部屋を見渡すと、今いるのは俺とフルンのほかに、暖炉の前でチェスをやっている姫奴隷のエクと魔族のプールだけだった。
「エレンと紅は出前よね? セス達は?」
侍のセスと騎士のオルエンはまだ裏の空地で修行中だ。
寒いのによくやるよ。
リプルとウクレは洗濯かな?
そうこう言っていたら、牛娘のリプルと奴隷のウクレが裏口から戻ってきた。
水仕事をしていたようで、寒そうだ。
特にウクレは唇が青くなっている。
「ウクレ、ちょっとこっちに来なさい」
「お、お呼びでしょうか」
「呼んだ呼んだ、ちょっとここに座って一緒に暖炉に当たりなさい」
「でも、まだお昼の支度が」
「大丈夫だ。ペイルーンがやってくれるから」
「もう、しょうがないわね。ウクレはご主人様の相手でもしててちょうだい。エンテル、荷物は後回しにしてご飯作りましょ。おなか空いたわ」
「そうですね。リプル、支度はどうなっていますか?」
「はい、お昼はお鍋を作るようにとアンが……」
ペイルーン、エンテル、リプルの三人は揃って土間に出ていくと、入れ替わるようにウクレがオドオドと俺の隣にやってきた。
ウクレの手はすっかり冷たくなっていた。
両手で挟んでこするように温めてやると、少し血の気が戻ってくる。
他の連中と違って、人間のウクレはやっぱりそれほど丈夫じゃない気がするなあ。
いや、他が頑丈すぎるだけなんだろうが。
「申し訳ありません。これぐらいのことも、満足にできなくて」
ウクレは恐縮そうに俯いている。
人手はいっぱいあるんだから、適当に分担しないとな。
そこに土間からペイルーンが戻ってくる。
「ウクレ、これを飲んどきなさい。体があたたまるわ」
そういって粉薬を手渡す。
「お薬なんて、もったいないです」
「そういうことは気にしないの。風邪でもひいたほうが、かえって高く付くじゃない。ほら、お湯に溶かして飲むのよ」
「ありがとうございます、ペイルーン様」
アンが従者への様付はやめさせようとしていたようだが、ウクレもなかなか頑固なようで改まらない。
俺は細かいことは気にしないタイプなので、好きに呼べばいいと思うんだけどな。
暖炉の前でウクレとフルンを抱っこしながら、エクとプールの下手なチェスを見る。
「ジロジロ見られると、手が読めぬではないか。あっちを向いておれ」
「プールさん。おしゃべりの合間に少しでも手を考えられたほうがよろしいのではないでしょうか。もう随分と手が止まっていらっしゃいますよ」
「わかっていおる! おるがしかしこれがまたなんともいかんとも……」
チェスと言っても、コマが似ているだけでルールは結構違うけど、まあチェスだ。
俺もルールは覚えたが弱い。
将棋も弱かったので、たぶん向いてないんだろう。
うちで強いのはデュースやエレン。
エンテルも結構強くて、そしてエクが一番強い。
近所の腕自慢の年寄り連中相手でも、エクは一度も負けたことがないようだ。
「奴隷の身で、自分の楽しみのために遊戯に勤しむなどあってはならぬことでございます」
といって、はじめは俺以外の相手と指すのを断っていたが、裏庭で遊んでいると当然のように、近所の連中が覗きに来る。
ご近所付き合いも従者の大事な仕事だと言い聞かせたら、そのうちに一緒に遊ぶようになってきた。
いまでは五軒隣の茶店でたむろする年寄りどもに混じって、チェスで遊ぶことも多いようだ。
ちなみに俺もたまに顔を出すんだが、ジジイどもにこてんぱんにされるので面白く無い。
結局、プールは次の一手で負けた。
まあどうあがいても負けなのは、俺にも見えてたけどな。
土間の方からいい匂いがしてきた頃に、メイド長のアンとベテラン魔導師のデュースが帰ってきた。
「ただいま、遅くなってごめんなさい。少し寄り道していたもので」
「おう、おつかれさん」
「いやー、寒かったですねー。はー、暖炉暖炉」
すぐ後に出前に出ていたスクミズシーフのエレンと自動人形の紅も帰ってくる。
セスとオルエンはいつの間にか戻り、裏でペイルーン達の炊事を手伝っているようだ。
これで我が家も勢ぞろいか。
相変わらず狭い家の中は見目麗しいメイド達でぎゅうぎゅう詰めだ。
この景色を見てると、なんか嬉しくなってくるよな。
狭いけど。
全員揃っての食事。
相変わらずの豆なんだけど。
それでも最近は三食パンがつくし、夜には肉が食べられることも多い。
十六人分の食事量ってのは凄いもんだ。
紅は食べないし、エクやウクレは俺の半分しか食べないが、デュースやフルンは倍は食べるし、オルエンやリプルは三倍は食べる。
うちのエンゲル係数は酷い有様なわけですよ。
そんなわけで、今日はエンテルの古着を持ってきてもらったわけだ。
貴族はともかく、子供服なんてものが一般に出回るようになったのは、近代あたりに入ってからだと聞いたことがあるが、こっちでもダボダボの服を詰めて着ている子供は多い。
エンテルの実家は割と裕福だったみたいだな。
今のインテリ美女路線のエンテルからは想像できない、なかなか可愛らしい服などもあってフルンは喜んで着ていたが、リプルやウクレなどはもったいながってなかなか着ようとしない。
俺が見て楽しむために着てくれとか何とかいいくるめて、やっと着てくれるしまつだ。
難しいもんだ。
メイド服もいいんだけど、可愛らしい格好でちょこまか動いてるのを見るのもまたいいもんだな。
やっぱり狭いけど。
何度も言うようだが、我が家は相変わらず狭い。
今日みたいに雪の日はみんなうちにいるので余計に狭い。
先日、オルエンとエレンが頑張って作ってくれた二段ベッド、というよりもロフトみたいな感じだが、それが部屋の三分の一をしめるベッドの上に重なるように設置していある。
はじめはフルンが喜んで使っていたが、数日で下で寝るようになった。
「下じゃないとご主人様と一緒に寝られない!」
からだそうだ。
そもそも寝相の悪すぎるフルンには向いてないわけだが。
今は体の大きいオルエンやエンテルが上を使っている。
ついでにソファも作ってみた。
三人掛けができる幅のものを、暖炉の反対側の壁に寄せるように置いてある。
ここに腰掛けて、周りにメイドたちを侍らせ、暖炉の火を眺めながらブランデーのグラスを傾ける。
これがたまらんのよ。
こうね、左右にデュースやオルエン、エンテルのような特別おおきいのを座らせて、膝にはフルンやリプルのような小さい子を抱きかかえて、ふんぞり返る。
何してもいいし、なんでもしてくれるという、なんとも都合のいい従者たちに囲まれての生活は申し分ない。
はあ、幸せだなあ。
いつまでもこうしてここで過ごしたい。
俺がそう思うのも当然なのだが、それもあとちょっとで終わる。
冬が終われば、旅に出なければならないからだ。
半年ちかく掛けて、遥か西の彼方にあるというルタ島という島まで行き、そこで一人前の紳士となるべく、試練を受けなければならない。
考えただけでもうんざりするよな。
というわけで、なるべくそういうことを考えずに、食後のひとときをソファに腰掛けて過ごしていると、アンが体を寄せてきた。
「ご主人様、実は中古の馬車に掘り出し物がありまして」
「ほう」
「レオルドさんを通してお願いしていたんです。今日はそれを下見に行って遅くなったんですが」
レオルド老人はアフリエールの祖父で、土木ギルドの長をやっている、街の有力者だ。
「見たところ、なかなかのものでした。元は二十人乗りの長距離用の駅馬車で、我々の長旅にも十分耐えうると思います」
そういえば、旅は馬車でするって言ってたもんな。
今、俺を入れて十六人もいるから、そういうでかい馬車じゃないと駄目なのか。
「物はよいようなので、あとはご主人様がお気に召せば」
という訳で日が暮れる前に見に行くことにする。
アフリエールも連れて行かないとな。
離れている分、祖父母との確執も無くなったようで、今では普通の孫として接しているようだ。
身内でギスギスしてるのは、しんどいよな。
土木ギルドの倉庫に、それは置かれていた。
少々古びていたが、かなり大きい。
半円状に布が貼られた、いわゆる幌馬車だ。
たぶん立派なものだと思う。
詳しいことはわからんが。
わからないので、ここはレオルドの爺さんを信じるしかあるまい。
というわけで、これに決めた。
自分で判断できないことは悩まないことにしてるんだよな。
「かしこまりました。ではそのように」
もうしばらく、ここに置かせてもらい改装などするらしい。
寝起きはテントでするが、日中は皆がこの中で生活しながら移動する。
雨風をしのぐだけでなく、快適に過ごせるようにしなければならないのだ。
暖かくなるまでにはまだしばらく間がある。
じっくりやればいいだろう。
その日はレオルドの歓待を受けて帰りが遅くなった。
孫との別れが近いことを感じてか、今日は格別のもてなしだった気がする。
試練の間、アフリエール達はレオルドに預けていったほうがいいんじゃないかとアンとは話し合ったが、却下されてしまった。
従者である以上、どれほどの困難があっても付き従うのが喜びなのです、とのことだ。
そのために、アンもずいぶん骨を折っているようだし、俺はそれ以上は言うのをやめてしまった。
翌日から、オルエンとエレンが中心になって馬車を改装していった。
ギルドの職人も手伝ってくれたらしい。
数日後に改めて見に行くと、かなり見違えた。
ホロを貼り直し、塗装もしてある。
まるで新品のようだ。
中をのぞくとこちらはまだこれからだろうか。
元々駅馬車だったこともあり、車内の両脇には横向きに椅子が据え付けてある。
この上に板を渡して床にするらしい。
高そうな絨毯が別途用意してあった。
その下のスペースにはテントなどをいれるのだそうだ。
「荷馬車と違ってー、ちゃんとバネが入ってますから、長く乗れるんですよー」
とデュースが説明してくれる。
そうか、馬車にもサスがあるのか。
まあ、木の車輪に鉄板で補強してあるだけのタイヤじゃ、固いわな。
パンクした自転車で走るようなもんだ。
それじゃあ、あっという間にまいっちまうだろう。
馬車の両脇に樽が固定してある。
ここに水やらワインを詰める。
他にも色々説明されたが、よくわからなかった。
要するに年単位での旅に耐えうるものにはなっているらしい。
それがわかっていれば問題ないのだ。
どうせ俺は座ってるだけだろうし。
この馬車で特徴的なのは、御者台の上に幌ではなく、木枠の見張り台があり、上に登れるようになっていた。
「ここは見張り台だから、僕の特等席だね」
トンカチを構えたエレンがそういってニヤリと笑う。
そう言わずに、俺も乗せてくれよ。
揺れると落っこちそうだけど。
あとを任せて帰宅すると、フルンが新しい服を着て飛び出してきた。
「みてみてー、アンがつくってくれたのー、かわいいでしょ?」
うぬ、かわいい。
フリルのついた水色のワンピースで、いいところのお嬢さんみたいだな。
「えへへ」
と笑うフルンは、今日も最高にかわいいな。
「少し仕立て直したんですけど、フルンは手足が太いのでちょっときついかも」
とアンがいう。
裁縫仕事はアンとデュースがメインで、アフリエールとリプル、ウクレあたりは多少できるが、他はあまりできるものがいない。
一見なんでもできそうなエンテルなどは、家事全般が苦手だった。
まあペイルーンもさっぱりだしな。
針仕事はともかく、編み物ぐらいはみんなできるだろうと、エクやプールもまじえて、最近は編み物などをしているようだ。
編んでは解いての繰り返しで、進んでいるようには見えないけどな。
「旅先では融通がききませんから、今のうちに色々やっておかないと」
との話だ。
こういうのも旅支度の一環なのかね。
ちょっとずつだけど、日常がかわるんだな、という実感は湧いてきたよ。
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