第49話 エンテル 前編

「夕方になったら迎えに来てよ、エンテルと食事のセッティングしとくから」


 とのペイルーンのありがたい仰せで、俺は今、アカデミアの工房に向かって歩いていた。

 たしかにね、彼女と話してると結構楽しいんだけど、ほら、あまり深みにはまるのも良くない気がするんだけどね。

 といいたいところなんだけど、やる気満々のペイルーンを見てると言い出せない俺だった。

 成長しないな、俺も。

 先日の雪は一日で溶けてしまったが、それでも街はすっかり冬になってしまった。

 街ゆく人はみな、分厚いコートを着込んでいる。

 今日のお供はセスとアフリエールだ。

 女の子を引き連れてデートに行くという感覚がどうもわからないのだが、ボディーガードとか以前に、従者の一人も連れずに紳士が出歩くほうがおかしい、ということなので、これでいいらしい。

 セスはこの寒空の下、薄いメイド服のままコートも羽織らずにいる。

 風邪を引かないかと不安になるが、


「体を鍛えるというのは、いたずらに筋肉をつけることではありません。暑さ寒さといった外界の変化に対する耐性をつけることもまた、修行なのです」


 などという。

 実際、寒くはなさそうなんだけど、見てるこっちが寒くなる。

 当然俺は、重ね着で着膨れしている。

 アフリエールは俺に比べると、はるかに薄着だ。


「今日はまだ、それほど寒くないですよ?」


 はいはい、俺はおじさんだからね、寒さに弱いのよ。

 ふてくされると、ますます寒くなってきた。

 暖炉が恋しいぜ。

 街を流れるロブド川にかかる三つの大橋の一つ、レセリー橋。

 大きな橋の上には大道芸や露天が並び、にぎやかなもんだ。

 あたりが一望できるので、観光スポットになっているのだ。

 待ち合わせにはまだ時間があるので、屋台で買い求めたホットワインをすする。

 シナモンの香りが心地いい。

 そうして欄干越しに川を行き交うゴンドラを眺めていると、そばを通りかかった老人が、いきなりよろめいて倒れた。


「おじいさん、大丈夫ですか?」


 最初に見つけたアフリエールが走り寄って手を貸す。


「おお、すまんのう、お嬢さんや」

「さあ、お手をどうぞ」


 どうも息を切らしていて、すぐには動けないようだ。

 俺も近づいて手をかし、そばのベンチに座らせる。


「これはこれは、紳士殿。ご親切に痛み入る」

「大丈夫ですか? どこかお悪いのでは」

「なんの、歳のせいで多少がたが来とるというだけでの。なに、すぐに良くなる」


 小柄な老人だとは思ったが、プリモァ族らしい。

 言われてみると、少し耳が尖っている。

 同族のよしみか、アフリエールは親身になって介抱するうちに、すぐに打ち解けたようだ。


「ほう、お嬢さんはハーフじゃったか。それでこちらの紳士殿にな。それはよかった。亡くなったご両親も、きっと喜んでおろうよ」


 老人はそう言って少し咳き込む。

 この寒さでは辛そうだ。

 どうにかしてやりたいところだが。


「儂にも娘が居るんじゃがな、これが嫁に行くでも、主人に仕えるでもなく、いつまでも工房なんぞに篭って、好き勝手に研究などをしておってな。今日は説教してやろうと出向いてきたのじゃよ」


 どこかで聞いたような話だな。


「では、そろそろ失礼する」


 そう言って老人は立ち上がるが、まだ足元が頼りない。

 大丈夫だろうか?

 家まで送ったほうがいいんじゃ……。


「なに、日暮れまでにイドゥール工房に行かねばならんのでな」


 イドゥール工房か。

 目的地は同じなのか。

 ……嫌な予感がしてきたぞ?

 気の毒だが、ここは適当に言い訳して別れたほうが……と思ったらアフリエールが、


「イドゥール工房なら私達もこれから行くところです。ご一緒にいきましょう。ね、いいですよね、ご主人様」


 うん、まあしょうがないよね。


「おうおう、そうじゃったか、これはかたじけない。本当にお前さんは良い主人を持って幸せじゃのう。娘に爪の垢でも飲ませてやりたいところじゃ。こりゃあ気合を入れて説教せねばならんて、待っておれ、エンテル!」


 あ、やっぱり、彼女の父親だったのね。




「まあ、お父さん、どうしたんですか、こんな所まで来て。しかも紳士様もご一緒に」


 突然押しかけた父親を見て、驚くエンテル教授。

 まあ、驚くよな。


「なんじゃ、知り合いか?」

「ええ、この方はペイルーンの、ほら、以前うちにきたメイドの子がいたでしょう、あの子の主人なんですよ」

「おうおう、あの気の強い娘な、そうかそうか、なんとまあ、縁のある御方じゃったか」


 騒ぎを聞いて、ペイルーンも顔を出す。


「あら、おじさん、いらっしゃい。どうしたの? またエンテルにお説教?」

「お前さんも主人をもったか、めでたいことじゃ」

「ありがとう、おかげさまでね」

「しかし、主人を持ったというのに、まだ研究などにうつつを抜かしておるのか」

「ちょっと、なんで私まで説教されるのよ、おじさんはエンテルに説教しに来たんじゃないの?」

「このような立派な主人を持ちながら、そのことに甘えてはいかん! もっと誠心誠意、お仕えすることが従者の本分であろうが!」

「わ、わかってるわよ!」


 ははは、この爺さんにかかると、ペイルーンもかたなしだな。


「紳士殿も紳士殿じゃ、従者を甘やかしてはいかん、貴方様の威厳が損なわれますぞ!」


 うぐぐ、俺にまでとばっちりが。


「と、とにかくお父さん、ここじゃ目立つから、奥にはいって」


 そう言ってエンテル教授は奥の個室に父親を連れて入っていった。

 ふう、助かったぜ。


「ちょっと、なんでおじさんまで連れてきたのよ」

「なんでって、成り行きだよ。仕方ないじゃないか」

「まったく。お見合いじゃないんだから別に父親同伴じゃなくてもいいでしょ!」

「無論、そんなつもりは全くない」

「しかしあの調子じゃ、今日の食事は無理ね」


 だろうな。

 ここまでお説教の声が聞こえてくる。


「私は父親っていないからよくわからないけど、みんな、ああしたものなのかしら?」


 さてなあ。

 俺も物心ついた時には、すでにいなかったからな。

 ま、邪魔しちゃ悪いし、今のうちに退散しますか。


「そうね。クレナイー! 片付け終わったー?」


 そういってペイルーンは奥に戻る。

 俺達も続いて入ると、急に奥から悲鳴が聞こえた。

 エンテル教授の声だ。

 慌てて声のした方に走ると、彼女の父親が床に倒れていた。


「お父さん! お父さん、しっかりして!」


 慌てて駆け寄って、話を聞く。


「それが、急に倒れて……お父さん、お父さん!」


 錯乱する彼女を抑えて、手を離させる。

 あまり動かさない方がいい。

 やっぱりどこか悪かったのか。

 しかしこれじゃあ、どう処置すればいいのかわからん。

 レーンを連れてくればよかったか?


「心臓が停止しています。早急な処置が必要です。とりかかってよろしいですか?」


 後ろから紅が声をかけてきた。


「頼む!」

「かしこまりました」


 そういって紅はエンテルの父親の胸元をはだけると、手を添える。

 マッサージするのかと思ったら、バチンッと音がして、全身が痙攣する。

 電気ショックか?

 紅にそんな機能があったとは。


「成功です。心機能が回復しました」

「凄いな」

「ペイルーン、急いで医療行為の可能な人を連れてきてください。私ではここまでです」

「わ、わかったわ」


 ペイルーンが駆け出していくと、もう俺にできることはなくなってしまった。

 いや、まだあるか。

 隣で顔面蒼白となって今にも気絶しそうなエンテル教授を元気づけてやらんと。


 すぐに駆けつけた医者の治療で、エンテルの父は事なきを得た。

 いつぞやのオルエンのことを思い出して焦ったが、助かってよかったよ。

 元々、心臓が弱かったらしい。

 工房の近くにある医療施設に移されて、しばらく入院することになった。


 後始末を手伝い、遅くなってから家に戻ると、アンが出迎えてくれた。


「おかえりなさい、お食事はどうでした?」

「あ、そうか。すっかり飯のことを忘れてたよ」

「どうなされたんです?」


 実はなあ、と今日あったことを話して聞かせた。


「でも、大事なくてよかったですね」

「まあな。しかし腹減ったな。なにか買ってくればよかったか」

「そんなこともあろうかと、食べるぶんは用意してありますよ」

「おお、さすがはアン」

「もちろん、マメですけど」

「今日はそのマメでも恋しいぜ、頂きます」




 数日後、教授の父親がかなり回復したと聞いて見舞いに行く。

 前回のことがあったので、今日はセスだけでなくレーンも連れてきた。

 まあ、立て続けに僧侶が必要なこともないだろうが。

 出迎えてくれたエンテル教授は、すこしやつれて見えた。


「わざわざありがとうございます。おかげさまで、父もだいぶ元気になったようで」


 言葉通り、先日倒れたばかりとは思えないほどには回復しているようだ。


「いやいや、まったくご迷惑をお掛けして申し訳ない。おかげさまで命拾いをしましたわ。まだ、くたばるわけにもいきませんでな、ははは」


 だが、そう言って笑う声にはどこか力がない。

 病み上がりとはいえ、やはり歳のせいなのか。


「先年亡くなったつれあいに約束しましてな、これの身がかたまるまでは、この世で頑張っておると」

「私は……別に結婚なんて。それにそんな話を紳士様にしなくても」


 教授の父は、体を起こして俺に頭を下げる。


「恥を忍んでお頼みする。どうかこの娘めを貴方様の従者に貰ってやってくれませんか」

「ちょっと、お父さん。急に何を……」

「お前はだまっておれ。なに、相性など気にすることはない、儂の女房も、相性はてんで合わなんだが、長年うまくやっておった。一つ所で長く連れあっておれば、自然とうまくいくものじゃ」

「そんなこと……もう、知りません!」


 エンテル教授は、走って病室を出て行ってしまった。

 まあ、ああなるわなあ。

 俺は予想してたから平気だけど。

 開けっ放しの病室の扉を眺めながら、エンテルの父親は溜息をつく。


「やれやれ。わしもせっかちになったもんじゃ」

「彼女のことが、心配なんでしょう」

「見ての通り、老いてからの子で、甘やかしすぎましてなあ。優しい子なんじゃが、いささか学問なんぞに身を入れすぎてのう……」

「彼女は、魅力的な女性ですよ」

「そう言っていただけると、少しでも気が楽になりますわい」

「ちょっと、彼女を探してきましょう」


 予想してたけど、どうするかまでは決まってないんだよな。

 義理や同情でうまくいくもんじゃないだろう。

 それを言ったら、ウクレの扱いに困るんだけど。


 さて、彼女はどこにいるのか。

 やはりレーンの時のようにはいかないか。

 何も感じないという訳じゃないんだけど。

 病院の中庭をグルグル回ってやっと見つけた。

 木陰のベンチでたそがれている。

 哀愁が漂ってて、美人だねえ。


「こんなところにいては、冷えますよ」


 そう言って、隣に座る。


「紳士様。先程は父が……ほんとにご迷惑をお掛けして」

「あなたのことが、心配なんですよ」

「それはわかっているのですけど……」

「それよりも顔色が悪い。少し休んだほうがいい」

「そうですね、このところ働き詰めでしたし……今度のことで余計に」


 そういって、彼女は天を仰ぐ。


「ふう、私なにやってるんだろ」


 独身女性は三十を過ぎるとこういうところが出てくるなあ、などと日本の知り合いを思い出しながら考える。


「ペイルーンはとても幸せそうですよね。わたしは研究さえやってれば満足だと思ってたんだけどなあ……」


 気がつけば、エンテルはため息をつきながら、無意識に頭を俺の方にもたげていた。

 これで体でも光れば話は別だが……俺も案外、意気地がないね。

 エンテルの熟れた体からは、いい匂いがする。

 乳臭いのが多いうちの子たちとは違う、大人の匂いだ。

 そうか、香水の匂いか。

 そういえば、家ではだれも化粧をしてないな。

 デュースやペイルーンなんかはしてておかしくないのに。

 文化的に化粧しないわけじゃないよな。

 近所の奥さん連中は紅をさしたりしてるからな。

 もしかしてお金がないからしてないんだろうか。

 そんなこと、レディに面と向かっては聞けないわなあ。


 しかし、すっぴんであの見栄えなんだから、うちの従者たちって実はかなりの美人揃いなんじゃないのか?

 あまり考えたことなかったけど。

 みんな俺好みでかわいいなあ、ぐらいで。

 ほんと俺、なんにも考えてないな。

 もっとも俺としては、それだけで十分なんだけど。

 そんなことに考えを巡らせながら、改めてエンテルを見る。

 俺好みの、いいメガネ美人だ。

 そのメガネの下に少しくまができてる。

 俺に何かしてやれることはあるのかねえ。


「ふぅ……」


 と、もう一度ため息を付いて、エンテルはハッと気がついたようだ。


「わ、私ったら、ごめんなさい」

「つかれてるんですよ、そういう時もある」

「ふふ、ほんと、素敵な紳士様なんですね」


 そう言って彼女は立ち上がる。


「一度、工房に戻って着替えを取ってこないと」


 じゃあ、俺も付き合いますかね。

 ペイルーンを迎えに行く約束だし。


「じゃあ、ご一緒に」


 そう言ってエンテルは腕を差し出す。

 俺達は腕を組んで、寒空の下を、仲良く歩いたのだった。

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