第48話 脱走

「御札の修行をさせてみようと思うのですが」


 奴隷としてウクレを買ってからしばらく過ぎたある日、アンがそう切り出してきた。

 うちで御札が作れるのは、僧職であるアンとレーンだけだが、ウクレもできるのか。


「はい、彼女は女神ネアルの祝福を受けているようですから、大丈夫でしょう」


 そういうことなら、別に異存はないな。


「ふむ、任せるから、いいようにやってくれ」

「かしこまりました」


 ウクレは長耳のアフリエールや牛娘のリプルと一緒に、毎日家事に精を出している。

 打ち解けたとは言いがたいが、仕事はしっかりやっているようだ。

 オフの時間には犬耳のフルンに引っ張りだされて遊びに行ったりもしている。

 俺もいつまでも腫れ物のように扱うわけにもいかないので、他の従者と同じように接することにした。

 家事を担当する人数が増えたこともあって、最近はセスやオルエンはあまり家事をやらずに、修行に勤しんでいる。


 午前中は裏の空き地に冒険組があつまって、実践さながらのトレーニングをする。

 こちらはレーンが入ったおかげで、パーティとしてちゃんと機能するようになってきたようだ。

 具体的には前衛三人が回復魔法のサポートを受けながら前線を作り、機を見て魔法で殲滅する。

 さらに遊軍として盗賊がそれを補助する。

 もっともオーソドックスなパーティ構成になるそうだ。


「本当はー、補助魔法の術者がいたほうがー、いいんですけどねー」


 とデュースは言う。

 補助魔法とは相手の魔法を妨害したり、味方に防御の魔法をかけたりする術だそうだ。

 これがあるとワンランク上の敵とでも渡り合えるという。


「でもー、うちは個人の練度が高いのでー、たぶん大丈夫だと思いますよー」


 あとは俺が足を引っ張らないようにしないとな。

 実際には俺の出番はないんだけど。


 午後は店番と出前を除けば、みんな自由にしている。

 自由だとみんな昼間から俺にご奉仕したがるのだが、おじさんはそんなに体がもたないので、大抵は散歩に出る。

 十代の一番性欲を持て余していた頃にこのシチュエーションだったら、大変だったろうな。

 俺は今日も、半ば日課となった散歩に出ていた。

 散歩のお供はデュースとオルエン、それにエレンだ。

 祭りが終わった街はもの寂しい。

 日毎増す寒さが、それに拍車をかける。

 俺は白い息を吐いて、少し首をすくめた。


「それにしても、ウクレが来た日の旦那の顔ったら、見ものだったね」


 とエレン。


「うるさい、俺がどれだけプレッシャーを受けていたと思ってるんだ」


 そこにまあまあ、となだめるようにデュースが割って入る。


「最近は馴染んできたじゃないですかー、いい調子ですよー」

「そうなのかな? まあ、あからさまに怯える様子はみなくなったが」

「大丈夫だって。旦那の世界じゃ知らないけど、ここじゃ『紳士、英雄、王子様。どうせ乗るなら紳士が一番』ってなもんでね、紳士に貰われるのを嫌がる女はいないよ」

「またそんな都合の良い話を」


 とぼやくと、デュースがでかい胸をそらしながら、


「人間はそれほどでもないですけどー、私たちホロアにとってー、紳士様にお仕えしているというのはー、それはもう、誇らしいことなんですよー」

「そうだよ、僕もまだ不思議な気分だよ。自分が紳士様の従者になってるだなんて、一年前の自分に話したら、鼻で笑っちゃうぐらいだね」


 エレンもオーバーにうなずきながら同意する。


「そんなにか」

「そりゃあもう、今でも夜中に目を覚まして、隣に旦那が寝てるのを見ると、思わず顔がにやけちゃうぐらいだから」

「わかり……ます。私も……そうだから」


 黙ってついてきていたオルエンも、そう言って頷く。

 なんだよ、そこまで言われると照れるじゃないか。


「だから、責任も感じるんですよー、大切なご主人様に名をあげていただきたいってー。特にアンは従者をとりまとめる立場だから余計に気負ってるんですよー、もうすこし余裕を持ってもいいんでしょうけどねー、ご主人様みたいにー」


 俺は全然、余裕が無いけどな。

 市場を抜けて、公園へと続く住宅街に出る。

 急に人通りが少なくなった。

 こっちの通りは初めてだな。


「そうだね。僕もこっちは縄張りの外だからあまり詳しくないけど」


 話しながら、エレンは誰かに合図を送ったように感じた。

 今、路地から顔を出した浮浪者だろうか?

 気になって尋ねてみる。


「いまのは知り合いか?」

「え、うん。ちょっとね。盗賊ギルドの顔役さ。僕は従者になって仕事からは足は洗ったけど、ギルドの柵は一生つきまとうからねえ」

「そうか。俺は……挨拶とかはしないほうがいいよな」

「まあね。しかし僕も修行がたりないなあ。顔には出さなかったつもりなのに」


 と鼻をこするエレンにデュースが、


「顔には出てなかったと思いますよー、私も気が付きませんでしたー」

「だよね」

「ははは、伊達にお前のご主人様はやってないぞ」

「さすがだね。よ、ご主人様!」


 実際は、なにかエレンの感触、いつも感じる彼女の気配に微妙な変化を感じただけなんだが。

 理屈は分からないが、それだけ従者とのつながりが深くなってきてる証拠だろうと、都合よく解釈したのだった。




 翌日、午後の売り子をしていると、出前に出ていたアンが店に飛び込んできた。


「ご、ご主人様。ウクレに逃げられました!」

「あらま」

「あらまって、あまり驚いてませんね」


 いや、驚いてるけど。

 奴隷だし、隙を見せれば逃げるんじゃ……。


「しかし、馴染んでると思ったのになあ」

「そうなんですけど、すぐに見つけないと首輪が閉まって死んでしまいます」

「そりゃ大変じゃないか! ど、どこで逃げたんだ?」

「はい、いつもの出前コースで……」


 アンの説明を聞いて、みんなを呼び集める。


「紅、いつもみたいにわからないか?」

「申し訳ありません。街中で人間を個別に識別するのは困難です」

「だったら仕方ない。足で探すしかないな」

「おかしいなあ、馴染んでると思ったのに」


 とエレンは首をかしげるが、逃げたものは仕方がない。


「よし、それじゃあ留守番を一人、いや連絡役に二人だな、エクとアフリエールが残ってくれ。残りは仕事を中断してあいつを探せ」

「了解!」


 とエレンがいの一番に飛び出していく。


「よし、じゃあ俺は公園のほうに……」


 と飛び出しかけると、デュースに声をかけられる。


「ご主人様ー、アンも連れて行くといいですよー」


 アンを見ると青ざめた顔で動揺していた。

 こんなアンを見るのははじめてだ。


「そうか。よし、アン。ついてこい」

「は、はい……」


 俺はアンを半ば引きずるように連れだした。

 夕暮れ時の街は、みな忙しない。

 俺達も逃げ出したウクレを探して小走りに進む。


「首輪ってこちらから解除したりはできないのか?」

「鍵がないと…」

「そうか。どれぐらいで絞まるんだ?」

「かけた術に寄りますが、たしか所有者から十キロも離れると、あるいは逃亡などのように主人への裏切りの意思を明確にしても絞まり始めて、一時間ほどで完全に窒息するはずです」

「逃げたのはどれぐらいまえだ?」

「私がレーゾン夫人のお屋敷にお薬を収めている五分ぐらいの間にいなくなりましたので……家に戻る時間を含めて二十分ほど前かと」

「そうか。距離は街中にいれば大丈夫そうだな。だが、意思を持って逃げたんならリミットはあと四十分か」

「私がついていながら……」

「とにかく探そう」


 探しまわるが、一向に見つからない。

 他の連中も走り回っている気配を感じるから、見つけたわけではないようだ。

 あれだけいるメイドたちの気配は離れていてもわかるのに、ウクレの気配だけはわからない。

 あの子は従者じゃないんだな。

 そのことを改めて認識したわけだ。


 二十分、三十分、時間は刻々と過ぎていく。

 アンは悲痛な顔で走り続けたが、見つからないまま、とうとう四十分が過ぎた。

 それでも諦めずに駆け回っていたが、やがて力なく立ち止まる。


「もう……だめ…です」

「アン」

「こんな寒いなかで、あの子は……首輪が閉まって…くるしんで……」


 俺はかける言葉が見つからず、だまって肩を抱える。

 アンは俺の胸に顔を埋めると、呻くように泣いた。


 しかし、なぜ逃げ出したんだ。

 昼間、アンと一緒にうちを出た時には、そんな素振りは見せなかったのに。

 それどころか、最近ではフルンたちと楽しそうに遊ぶ姿も見せていた。

 あれは全部嘘だったんだろうか。


「私が……私が目を離さなければ……」


 俺のせいだ。

 何となくいつものノリで、大丈夫だなんて思ってたから。

 目をつぶるとウクレの顔がくっきりと浮かんでくる。

 まるですぐ側にいるような……。

 いや、いる!

 これは……ウクレの気配だ。

 気配を感じた方を見る。

 いた。

 ウクレだ。

 通りの向こう、手提げカゴをぶら下げて、とぼとぼと歩くウクレが、いた。


「ウクレ!」


 思わず俺は周りも気にせずに叫んだ。

 アンもそれに気がついて振り返る。


「ウクレ、あなた…無事で!」


 アンは駆け寄ると、そのまましっかりとウクレを抱きしめた。


「よかった、よかった……、無事で……本当に…」

「え、あの、アン様? ご主人様も……どうして」


 よかった、無事だったか。

 安心して腰が抜けたのか、足元がよろめいたところを、後ろから支えるように抱きつかれた。


「おっと、先に見つけられちゃったか、さすがは旦那だね」


 エレンだった。

 いつもながら、いいタイミングででてくるな、お前は。


「はい、おみやげ」


 そう言って差し出したのは、売り物の丸薬の袋だった。


「あの、いったいなにが?」


 混乱するウクレに、エレンが説明する。


「……というわけで、みんなウクレを探していたのさ」

「わ、私、逃げ出したりなんてしてません。お預かりしていた荷物をスリの子供に取られて、追いかけてるうちに道に迷って……」

「わかってるって。でも、何も言わずに行っちゃうからアンが早とちりしちゃったってわけさ」

「そんな……、も、申し訳ありません。わたし、大事な売り物を取られて、取り返さなくちゃって、でも奴隷がお屋敷に入るわけにも行かないし、いそがないと見失うと思って、それで……」

「もう、いいの、いいのよ、ウクレ、本当によかった。本当に……」


 そう言ってあたりもはばからずに泣くアン。


「あの……泣かないで……ください…私のために……」


 つられてウクレも泣き出してしまった。


「ウクレが置き引きにあったのはすぐにわかったんだけど、その後の足取りがわからなくてね。先に犯人を見つけたから、薬を買い戻してたら遅くなっちゃったのさ」

「スリから買い戻すのか」

「そりゃあ、同業者の仁義があるからね」

「なるほどね」

「じゃあ、僕は一足先に帰ってみんなに話しとくよ。心配してるだろうし」


 ああ、頼んだぞ。

 まったく頼りになるやつだ。

 俺とは大違いだな。

 俺がこんなに不甲斐ないから、アンも余計に気負うわけだ。

 要するに、ぜーんぶ俺が悪いってわけだ。

 今度ばかりは、心底反省したよ。

 反省ばかりしてるけどな、俺。

 アンとウクレは、お互いを支えるように抱き合って泣いていた。

 俺はそんな二人の手をとって、ゆっくりと夕暮れの家路を進むのだった。

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