第38話 たのしいキャンプ 前編

 人形である紅はまったく眠らないらしく、添い寝するとき以外は、部屋の隅で一晩中起きている。

 たまに夜中に目を覚ますと、じっと座ってこちらを見ているのでびっくりする。

 一人分スペースが空くので都合はいいが。

 紅は食事も取らない。

 食べることはできるが、意味が無いそうだ。

 不思議なもんだなあ。


「野営の時には便利でしょうね。見張りの負担が一人分減りますから」


 俺は不思議がっているだけだったが、アンは現実的な評価をする。

 なるほど、旅をするときには見張りもいるわけか。

 日本でキャンプをするようには行かないわな。

 そういえば、うちはまだ一泊以上の冒険もしてないな。


「そろそろ訓練すべきでしょう。二、三日かけて出かけておくべきです。幸い、季節も過ごしやすくなってきましたし」


 確かに、最近は一雨ごとに涼しくなってきている。

 やるなら冬が来る前だよなあ。


 相談の末、二泊の冒険に出ることにした。

 メンバーは盗賊のエレン、騎士のオルエン、魔導師のデュース、学者のペイルーン、人形の紅、そして俺の六人構成だ

 目的地は、三十キロ程離れた港町のオブルウツ。

 道中は整備された道で、人通りも多いので危険は少ない。

 大きな河越えがあるが、全体的に道のりは平坦で峠越えなどもなく、一日の移動距離を二十キロと考える。

 デュースやペイルーンは徒歩だと倍以上歩くそうだが、俺には無理だろう、とのことだ。

 学生時代はともかく、何年もオフィスワーカーをやってたからなあ。


 遠征となれば、支度がいる。

 この中で経験者はデュースとペイルーンだけだ。

 オルエンも、もっと大規模なものだが、騎士として野営はしたことがある。

 今回は経験者中心にメンバーを組んだわけだ。

 その指示に従って、俺も支度を済ませた。

 といっても、歩く練習ぐらいだが。

 毎日四、五時間かけて約二十キロの距離を黙々と歩く。

 舗装された町中でもなかなか堪える。

 学生の頃はもうちょっと歩けたのになあ。


「あとは結局ー、慣れですねー」


 とデュースが言うので、まあそうなんだろう。

 初日に出来た足の豆が治った頃に、どうにか歩けるようになってきた。


 当日の早朝。

 留守番のメイドたちに見送られ、夜明けとともに家を出る。

 途中までは神殿に向かう道を進む。

 慣れた道は気楽なものだ。

 最後尾にはオルエンが馬を引いている。

 彼女の愛馬シュピテンラーゲの背には、うず高く荷物が積まれていた。

 オルエン自身はさすがにいつもの甲冑フル装備ではなく、軽装だ。

 それでも、俺の革鎧の倍ぐらいの重さはあるけど。

 前に持ってみたことがあるが、あんな装備を着ていては戦闘どころか、歩くことも出来ないと思うぞ。


 一時間ほどで街道を離れ進路を南にとる。

 しばらく行くと、河に出た。

 河と言われなければ、分からないほどの巨大な河だ。

 なんせ対岸が見えない。

 日本にはこういう河はなかったからなあ。

 さて、どうやって渡るんだろう。


「もう少し下流に歩けば渡し船があるわ」


 と、ペイルーンが説明してくれた。

 渡し船というから、小さい木舟で数人が乗るようなものかと思ったら、団体で乗れる大きな物だった。

 離島に渡るフェリーぐらいの規模だろうか。

 最後尾のオルエンが愛馬の手綱を引きながら乗船すると、船は桟橋を離れた。

 結構、揺れるもんだ。

 例のごとく胸を揺らしながらデュースが、


「一時間ほどの船旅ですよー、船に弱い人は、奥のベンチでゆっくりしておいたほうがいいですねー」


 俺は釣り船で一度酔ったことがあるが、多分このサイズの船なら大丈夫だろう。

 他の面子も大丈夫そうだな、とひととおり見渡すと、オルエンが鎧を脱ぎ始めた。

 え、こんなところで脱ぐの?


「水上で……鎧は……あぶないので」


 ああ、そういうのね。


「旦那、夜まで我慢しようよ」


 エレンにたしなめられた。

 最近ちょっとアレかも。

 ちなみに、鰻の効果はあったような、なかったような。


 船は見る間に岸から離れていく。

 こうしてみると、ほんと海と変わらないな。

 乗船客は、商人や農夫などの他に、冒険者も三組ほど。

 のんびりとした船旅を楽しむ。

 そうして船旅も半分ほど来た頃。


「ねえ、なにか感じない?」


 エレンがデュースに耳打ちする。

 なにごとだ?


「うーん。気のせい……ではないですねー。クレナイはどうですかー」

「二キロ下流に大型の生命体を確認。コアは確認できませんので、通常の生物だとおもわれます」

「それですねー、ちょっと船長さんと話してきますからー、ここにいてくださいねー」


 デュースを見送る俺に、エレンが説明する。


「なにか、大物が潜んでるっぽいよ。魔物じゃなさそうだけど」

「亀かしら、十メートルぐらいの大物が、たまに出るそうよ」


 とペイルーン。

 十メートルの亀とか怖いんですけど。


「……速度を上げました。急速にこちらに近づいています。十秒後に接敵、衝撃に備えてください」


 紅の言葉を聞いて、エレンが立ち上がって叫ぶ。


「デュース! くるよっ!」


 次の瞬間、水面に幾筋もの水柱が上がる。

 船体が激しく揺れて、思わずバランスを崩した俺を、オルエンががっつり支えてくれた。

 頼もしくてときめくぜ。

 じゃなかった、敵襲か?


「認識しました。巨大なイカです。本体は本船のほぼ真下。二本の腕で船体を掴み、残りで攻撃してくるようです」


 紅の説明を聞いて、なんで河にイカがとつっこむ前に、水面からつきだした巨大な足が何本も宙に踊り出る。

 船上に居た数人が弾き飛ばされたようだ。

 デュースがはげしく胸を揺らしながらかけ戻ってくる。


「は、速いですねー、五十秒お願いしますー」

「わかった」

「まかせてよ」


 デュースの言葉を受けて、オルエンとエレンが飛び出す。

 二人はすでに戦闘態勢だ。

 俺とペイルーンはまだオロオロしてる。

 そんな俺達の前に紅がでる。

 俺もなんとかしたいのだが、こう船体が揺れては、立つこともままならない。

 それでもどうにか、刀を抜いて構えをとる。

 すでにデュースは呪文の詠唱に入っていた。

 五十秒耐えればいいわけか。

 オルエンはどっしりと長槍を構え、襲い来るイカの足を確実に潰している。

 まるで堅い大地の上で素振りでもしているかのような安定感だ。

 一方のエレンは、体重がないかのようにひょいひょい飛び跳ねながら、矢を射続けている。

 他の冒険者で戦力になっているのは一組だけのようで、こちらは大剣を振りながら、少しずつ足を刻んでいた。


「来ます、右上方」


 紅の声に上を見ると、新たに水中から生えた足が、俺達めがけて振り下ろされる。

 紙一重でかわして、手にした刀を叩きつけるが、足の素早い動きに刃を取られて傷ひとつ与えられない。

 くそったれめ、せめてかすり傷だけでも……。

 これじゃあ、いつぞやの蔓の化物から何も成長してないぞ。

 あのあと、セスはなんて言ってたっけ?


「……動きが敵よりも遅いのです。ですから立てた刃が踊ってしまい、斬ることが出来ません。刃が立たぬ、というわけです」

「しかし、あんなスピードでこられたら、どうにもならんだろう?」

「相手が十の速さで動くなら、相手から見れば自分も十の速さで動いているということ。ならばその速さを使ってやればよいのです」

「そんな都合よく行くのかな」

「目に見える姿が陽ならば、見えぬ姿は陰、相手の陰を感じることが、気陰流の基本ですよ、ご主人様」


 セスの言葉を思い出している間にも、容赦なくイカの攻撃は続く。

 紅は俺やデュースをかばいながら良く戦っている。

 だが、いつの間にか増えたもう一本の攻撃に、紅は一瞬、バランスを崩す。

 その隙を突くように、イカの足がしなる鞭のようにデュースを狙う。

 はっとなって無意識に飛び出した瞬間、なにかこう、すべての動きが緩慢になった。

 スローモーションの世界の中で、自分だけが普通に動いている、そんな感じだ。

 高速で動いているはずのイカの動きがよく見える。

 表面の模様までが認識できる。

 この流れに沿って、切ればいい。

 振りかぶる必要もない。

 ただ、刃を当てて、引くだけだ。

 それだけで、イカの足が両断できた。

 どん、と激しい音を立てて、切れた足が船上を転がる。

 たぶん、一瞬のことだったんだろう。

 自分でもよくわからないうちに、俺はイカの足を一本、ぶった切っていた。


「お見事」


 とオルエンが声をかけてくる。

 そうか、俺が切ったのか。

 思わずガッツポーズを取ろうとした俺を、エレンが突き飛ばす。

 紙一重で、別の足の直撃を喰らうところだった。


「旦那はまだまだ脇が甘いねえ。目が離せないよ」


 助かるよ、ほんと。

 今やイカの足の半数は切り落とされていた。

 激しい轟音とともに、ついにイカ本体が水面に顔を出す。

 その頭はイカというより、鬼みたいなゴツゴツしたすげー怖い生き物なんだけど。

 だが、その物騒なツラにも怯むことなく、我らがオルエンは跳びかかって、右目にやりを突き立てた。


「準備出来ましたよー、下がってくださーい」


 杖を天高く掲げ、デュースが宣言する。

 杖の先、遥か上空には、太陽よりでかい巨大な火球が浮かんでいた。

 いつのまに?

 合図に合わせてオルエンが飛び退る。

 あとを追って攻撃するイカの足に、エレンの矢が走った。

 突き立った矢の痛みに怯んだのか、イカの動きが一瞬止まる。

 それで、勝負は決まった。


「それー、お昼はイカの丸焼きですー」


 デュースが杖を振り下ろすと、巨大な火球がイカめがけて落下し……爆ぜた。

 巨大イカはあっというまに焼きイカになって、その残骸は香ばしい匂いを放ちながら船上に転がっていた。

 船から落ちた連中も、どうにかすくい上げられたらしい。

 後始末もほどほどに、その場で酒盛りが始まってしまった。

 さっきまで死に物狂いで戦ってたというのに、みんなパワフルだなあ。

 デュースやオルエンはすっかりスターになっていた。

 出来のいい従者を持って、俺も鼻が高いぜ。

 飲むしかねえな、こりゃ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る