第37話 釣り
特にどこが悪いというわけでもないんだが、なんだか体がだるい。
夏バテかなあ、と思ったが、何気なく枕を見たら、結構抜け毛があった。
これ、俺のだよなあ。
などということを、ふと思い出して口にすると、先日掘ってきた芋をこねていた巨乳魔導師のデュースが、
「ちょーっと、このところご奉仕し過ぎでしたかもしれませんねー。ご主人様も、もう若くないですしねー」
「いやいや、年齢のことでデュースさんに言われたくはないですよ」
「何かおっしゃいましたかー?」
「いえ、なんでもないです」
つか、あれだろ、亜鉛不足。
サプリを決めて、今夜もホームランだ。
「亜鉛というとー、前に教わった原子……でしたっけー」
「そうそう、それ。それが足りなくなると、色々と男の子的に不調になるんだよ」
「おもしろいですねー。人の体がー、そんなもので出来ているとはー」
まあ、ほんとに亜鉛不足かどうかはわからんが、亜鉛といえば牡蠣か。
牡蠣が食べたいなあ。
生姜をたっぷり利かせた土手鍋で熱燗をきゅーっと。
「牡蠣といえば、オブルウツの港町で取れるそうですね。冬になれば市場に出ますよ」
と、こねた芋を丸めていたメイド長のアンが言う。
冬まで我慢か。
「それ以外だと……この時期だと、うなぎかなあ」
「うなぎ? それは知りませんね」
アンやデュースは知らないようだった。
二人が知らないなら、いないのかと思ったら、同じく芋を丸めていた長耳娘のアフリエールが、
「あの、ムナギ……のことでしょうか。黒くて、油のきつい……川蛇の一種の」
「ああ、たぶんそれだよ、それ」
「でしたら、釣れば手に入ると思います。癖が強いので市場には出回ってないかと。でも、祖父のところの人足さんたちは、自分たちでとってきて好んで食べているようでした。私の住んでいたところでも、父が何度か川で捕まえてくれたので。私はちょっと苦手でしたけど……」
「この辺りでも、取れるのかな」
「たぶん、川の方なら……」
川というと、神殿に向かう途中にあるレメーテ川のことだな。
畑の水源としても使われている大きな川だ。
ふむ、狩りの次は魚釣りか、面白そうだな。
「今度は釣りにいくの?」
と犬耳のフルンが目を輝かせる。
ただし、目線は芋団子から逸らさない。
さっきからいつ食べられるのかと待ち構えているようだ。
実は俺も待ってるんだけどな。
そんなことを話していると、オルエンと紅が薪を抱えて帰ってきた。
煮炊きは釜でするので、燃料としての薪は必要なんだが、今日はいつもの買い出しより多いな。
「冬に備えて、今のうちに買い込んでいるんです。暖炉の分も必要ですし」
そういえば部屋に付いている暖炉はまだ一度も火が入ったところを見てないな。
ここにもずいぶん長くいる気がするが、まだ冬を越してないんだよなあ。
「デュースの占いでは、今年の冬は寒くなると出ているそうですし、備えておきませんと」
そういうとアンは丸めた芋をまとめて立ち上がる。
「それは何が出来上がるんですかね」
「焼き団子ですよ。今から焼きますから、小一時間ほどお待ちください」
お菓子作りも手間だな。
俺はいいけど、フルンは待ちきれないんじゃないのかなあ、と思って聞いてみると、
「だいじょーぶ、美味しいのまってる」
フルンはえらいな。
えらいのはわかったから、とりあえずよだれをふけ。
翌日。
再び朝早くから出かける。
薄暗い街道を並んで歩くのはエレンにフルン、セスにアフリエール、それにアンだ。
最初、アンは仕事があるからと渋っていたのだが、ちょっと頑張り過ぎな気もするのでたまには連れださんとな。
じゃないと、まるで俺ばっかり遊んでるみたいじゃないか。
目的地についた頃にはすでに明るくなっていた。
街の人間が釣りをする場合、漁場は避けるものらしい。
葦のしげる川辺には、年寄りが数人、糸を垂らしていた。
昨日のうちにエレンとアフリエールが竿やら仕掛けやらを用意してくれたようで、ついたら即、開始だ。
いい身分だな、俺も。
うなぎは罠で捕まえるそうで、木で編んだ筒状の籠をいくつか抱えて、アフリエールが浅瀬で仕込んでいた。
あんなのでとれるんだろうか。
「初めての場所だと、なんとも言えないです。取れなかったらごめんなさい」
釣りなんてそんなもんだろう。
それよりもアレだ、狩りと違って釣りなら俺でもどうにかなるぞ、たぶん。
ここで先日のリベンジをしておく必要があるのだ。
というわけで、気合を入れて釣り始めてみたが、一時間ほどで諦めた。
うん、浮きを眺めてるだけで楽しいわ。
少し離れたところでは、エレンとアフリエールがひょいひょいと釣り上げている。
フルンはその二人にべったりくっついて楽しそうに眺めていた。
騒がしくしないのは関心だな。
セスも一人離れたところで釣っている。
侍だけあって、なんだか様になっているな。
一方のアンは、俺の近くで糸を垂らしていたが、俺と同じく坊主だった。
晩のおかずをとらなければ、などと意気込んでいたが、焦ってすぐに竿を動かすせいか、ぴくりともかからない。
それじゃあ、釣れないよなあ。
釣れてない俺が言うのもなんだけど。
「ふう……、だめですねえ」
アンはすっかり諦めて、竿を上げてしまった。
「隣、よろしいですか?」
「そりゃもちろん」
もう一度、溜息をついて、アンは俺の隣に腰を下ろした。
軽くもたれかかる体の重みが、心地いい。
風が吹くたびに、水面の浮きがふわふわと流される。
なごむねえ。
「こうしてのんびりするのは、久し振りですね」
「そうだな」
「お仕えし始めた頃は、日がな一日こうして、お側にいたこともありましたが」
「あれからまだ、半年しか経ってないのか」
「ご主人様はすでにこれだけ多くの従者を従えたというのに、私は何も成長してなくて……ちょっと焦ってたんでしょうか」
「アンは真面目だからなあ」
「ご主人様は、なんでも受け入れてくださるから……。私、ご主人様に甘えてたんですねえ」
「俺達もみんな、アンに甘えてるけどな。アンがいなけりゃ、うちはまわらんだろう」
「そうなんでしょうか……」
「お互い、そう思ってるから、一緒にやっていけるんだと思うぞ」
「ははあ、そういう考え方もありますか。ふふ、さすがはご主人様ですねえ……」
気がつけば、アンの寝息が聞こえる。
いつの間にか、俺にもたれ掛かったまま、眠ったようだ。
俺はあくびを噛み殺して、水面の浮きを眺める。
遠くでフルン達の遊び声が聞こえる。
釣りはもう、やめたんだろうか。
もう一度、今度は大きくあくびをして、真っ赤に染まる水面を眺める。
まるで血のように赤い水面には、重苦しい天井が映り込む。
はるか上空をどこまでも覆う真っ赤な蓋は、地に這うものすべてを抑圧していた。
ああ、また夢を見てるのか、俺は。
そう気がつくと、ふわりと体が軽くなり、水際にそって漂い始める。
そのまま流されていくと、人影が見えた。
一人は壮年の戦士、今一人は美しい褐色の姫君だ。
「叔父上、なぜに兵を挙げて民を救わぬ、よもや臆したのではあるまいな!」
若さに任せてつっかかる娘に、男は諭すように言い聞かせる。
「プールや。敵が蛮族や地上の勇者であれば、兵も奮おう。じゃが、あの災いは陛下をもってしても……」
「言い訳など妾は聞かぬ! 叔父上が行かぬのならば、妾が行く!」
そう叫ぶと、娘は走り去った。
あとに残った戦士は、黙って首を振る。
その姿が徐々に白いモヤに包まれて、俺の意識も朦朧としてきた。
「人の夢を覗くものではないな、主殿」
「お前だって覗くだろう」
「わしとお主は一心同体、何をいまさら隠すというのじゃ?」
「また、都合の良いことを……」
「なに、わしとてたまには、甘えてみたくなるのじゃよ、のう……主殿」
耳障りの良い、個性的なハスキーボイスをいつまでも聞いていたいのに、勝手に目は覚める。
まったく……いつになったら……。
「ご主人様、引いてますよ!」
アンの声に慌てて飛び起きて竿を引くが、逃げられてしまった。
残念。
「惜しかったですねえ」
まったくだ、逃した魚は大きいってもんだ。
それにしても最近、プールの夢をよく見るな。
内容はあんまり覚えてないんだけど。
ほんとにあいつ、どこに行ったんだろうなあ。
「ごしゅじんさまー、うなぎとれたよ、うなぎー」
俺の悩みなど吹き飛ばすような元気な声でフルンがかけてきた。
手には籠を抱えている。
駆け寄って取り出したのは、りっぱな鰻だった。
「ほらー、すっごいよ。黒くて太くてヌルヌルしてる!」
そのとおりなんだが、その言い方はどうなのよ、フルンさん。
「ちょっと、気持ち悪いですね。これが食べられるんですか?」
アンはお気に召さないようだ。
まあ、俺だって、食べたことがなければどうかと思うしな。
「えー、おいしそうだよ? ほら」
といってフルンがうなぎを掴んだ手をつきだした瞬間、ぬるりと逃れたうなぎが、アンに飛びかかった。
「ひっ」
うなぎはアンの首筋に巻き付くと、狙いすましたかのようにうなじから背中へと滑りこむ。
「ひうっ、と、とって、早くとってください! ああぁ、ひああ!」
慌ててアフリエールが取ろうとするが、アンがもがくものだから上手く取れない。
見ている俺達は、我慢できずに笑い出してしまった。
「な、何を笑ってるんですか、はやく、はやくぅ、あああっ!」
そうは言っても、こういう場合、笑わなきゃ勿体無いじゃないか。
俺は久しぶりに、たっぷりと馬鹿みたいに笑ったのだった。
もちろん、後でこってり絞られたけどな。
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