第32話 競馬
従者と連れ立って、街を歩く。
まだまだ暑いが、すでに夏の盛りは過ぎたらしい。
外出の際にはだいたい、セスかエレンのどちらかが必ずついてくる。
最近ではオルエンであることも多い。
今日のお供はオルエンとエレン、それにフルンとアフリエールだった。
散歩の同伴者は、俺が何も言わない場合アンが指示しているようだが、何を基準に決めているかといえば、要するに、俺の護衛役だ。
アフリエールを一人連れて暴漢にでも襲われれば、目も当てられない結果になるだろう。
このエツレヤアンは住みやすい街だが、それでも日本の治安の常識で暮らすわけにはいかないのだ。
オルエンは社交性の面でいささか問題があるかも、と思っていたが、どうもそうではないようだ。
騎士として礼儀作法から宮廷での社交術までひと通り叩きこまれているらしい。
要は、口下手なだけなんだよな。
まあ、そのへんは徐々に良くなっていくだろう。
歩きながらたわいない雑談を交わしていると、目の前で喧騒が沸き起こる。
「ちょっと見てくるよ」
飛び出したエレンは、すぐに雑踏に紛れて見えなくなる。
と思えば、すぐに戻ってきた。
「なんか事故だって。商人の荷馬車と貴族の馬車が衝突して、双方の護衛が睨み合ってて道を塞いでるんだよ」
「普通は商人が引くんじゃないのか?」
「貧乏貴族と街有数の豪商じゃ、なんとも言えないねえ」
そんなものかね。
まあ、今日は急ぐんだ。
見学しても仕方がない。
人混みを迂回して、なんとかという皇太子の記念公園に出る。
ここが今日の目的地だ。
さっそくエレンがいい場所を見つけてきた。
着飾った貴族や商人が並ぶ、見晴らしのいい一角に場所をとる。
混み合っているために五人で陣取るには少々狭く、フルンを膝に抱えて、中央の一段低くなった広場を見下ろす。
大きなトラックの中には、手綱を引かれた馬が何頭も見える。
ここは、要するに競馬場だ。
今日はお馬ちゃんで遊ぶことにしたのだった。
アンがくれたお小遣いが、今日の種銭だ。
こういう場所で楽しむ秘訣は、儲けようと思わないことだよな、やっぱ。
馬券はあくまでスリルを買うための手数料のようなものだ。
「ねえ、みてみて、ご主人様。あの馬かっこいい!」
「凄いです」
実際、フルンとアフリエールは馬が走るだけで嬉しそうだ。
そもそも、競馬が見たいと言い出したのはアフリエールだった。
両親を失いこの街に来て、祖母との行き違いもあり塞ぎ気味だったアフリエールを元気づけようと、祖父のレオルドが連れてきてくれたのがこの競馬らしい。
両親と暮らしていた時は、馬や牛に囲まれた生活をしていたそうだから、こういうのが好きなのだろう。
オルエンの愛馬を見て、世話役を買って出たことからもよく分かる。
今日、大きなレースが有るという話を聞いて、見に来たかったが、自分から言い出せずにいたそうだ。
それに気づいたアンがアフリエールに言うには、
「アフリエール、あなたもそろそろここに慣れてくれなくては。それぐらいの要求を口に出せないのでは困ります。欲望を貪ってもいけませんが、度を越した禁欲もまた心の毒であると、女神ネアルの教えにも有るでしょう。その日の仕事は引き受けますから、楽しんできてください」
との事だった。
しかし禁欲を戒める女神か。
道理でその眷属はご奉仕に躊躇がないと思ったんだ。
「あらー、ご主人様の世界の神は、禁欲をよしとされるのですかー」
俺が首を傾げていると、デュースが尋ねてきた。
いや、うちは普通の仏教な家だったと思うんだけど、そういえばお釈迦様も似たようなこと言って悟りを開いたんだっけ?
よく知らないけど。
「禁欲はいけませんよー。欲望を叱りつけー、我慢できたら褒めるというのはー、いかがわしい邪宗によくある洗脳の手段ですからー。一度偉い人にー、ようするに神様ですけどー、そうやって褒められたらー、もうその相手には逆らえなくなっちゃいますからー」
そんなものか。
なんにせよ、女神様の教えは俺にもしっくり来る気がするな。
いい神様だ。
俺も信仰しようかな?
と言うと、アンに怒られた。
「いくらご主人様でも、自分から神を選ぶのはどうかと思いますよ?」
「じゃあ、どうやって信じる神様を決めるんだ?」
「もちろん、神様に選ばれるんですよ。それは職業、つまりクラスの形でも現れますが、あるとき神の声を聞いて初めて信仰を許されるわけです。もちろん、一時的な神頼みなら構いませんが」
難しいもんだな。
そういえば、英語でも天職をコールと言うよな。
あれは神様に呼ばれるという意味だと聞いたが、似たようなものかなあ。
「ご主人様の世界の神々にも興味がありますね。前の世界ではどのような神を信仰なされていたのです?」
さすが、巫女だけのことはあるな。
日本にいた頃は政治や経済の話題はともかく、宗教の話なんてしたこと無いからなあ。
俺自身はどうかというと、特には……。
「信仰をお持ちでないのですか。そういう方もいるとは聞いていますが、形而上的な問題、例えば生と死などの問題はどのように解釈するのですか?」
難しいことを聞くなあ。
俺が困っていると、デュースがフォローしてくれた。
「無宗教は現世利益に特化した宗教の一形態でもありますねー。ご主人様が特定の利益に執着するのは、そう言う理由もあるのかもしれませんねー」
なにか執着してたかな?
してるか、お前たちに。
俺一人だと、たぶん、毎日のように帰りたいと愚痴りながら暮らしてただろうなあ。
「それでも、死後の問題なんかは、ちゃんと宗教的な枠内で考えてるよ」
「そうでしたか、ならば私からは何も申し上げることはありません」
若干話がそれたが、アンはそんな感じで、送り出してくれたわけだ。
さあ、頑張ってお馬ちゃんで稼ぐぞー。
で、結果としては、すかんぴんだ。
途中何度かは当てたんだが、熱くなって最終レースに全部ぶち込んで負けた。
いやあ、たのしかったなあ。
おみやげをお願いしますねー、とニヤニヤしながら言っていたデュースに、自信満々で 「任せてよ」と親指を立てた俺のプライドは……。
「じゃあ、今夜はたっぷりサービスしてもらわないとね」
と、エレンが腕を絡めてくる。
手には何やら馬券がいっぱい。
みるまでもなく、あたり馬券だった。
「どうしたんだ、それ」
「言ってなかったっけ? 僕は儲けの半分はおウマちゃんで稼いでたんだよ」
「そういうことは、先に言え!」
「アンに止められてたんだよ、旦那が欲をかかないようにしろって」
「うぐぐ、まったくもってそのとおりだ。よし、今日はお前が主役だ」
どうりで途中でホイホイいなくなると思った。
そういえばエレンは最近、家を開けてることが多いな。
特に気にしてなかったが、なにしてるんだろう。
そのことを尋ねてみると、
「ん、僕かい? 例の石像ちゃんの行方を調べてたのさ」
なるほど、俺も気になっていたが、どうにもしようがなかったんだよな。
「で、どうなんだ?」
「わからないねえ。少なくとも、ここ最近、街中で魔族を見た人はいないようだよ」
「そうか、まあ悪い報告ではないな。退治されてないなら、そのうち会えるだろう」
「まあ、のんびり構えててよ」
「ああ、よろしく頼む」
換金して暖かくなった懐を撫でながら市場に向かう。
新鮮な魚介類に、お気に入りの酒、これが芋焼酎に似た風味で、とても美味しいのだが、それらを買い求めてほくほく顔で帰路につく。
夕暮れ時の大通りは人混みが激しく、それを避けて裏通りに抜けようとすると、なにかがあった。
夕日をバックに立ちすくむ黒い人影。
だが、どこか人とは思えない、違和感があった。
無言のまま、オルエンが前にたち、エレンはそっとわきに潜む。
「なにか……ご用か?」
オルエンが尋ねると、人影は、すっと顔を上げる。
今になって気づいたが、そのシルエットは、まるでマネキンか何かのように見えた。
「ますたあ……ますたあですか?」
「人形か?」
オルエンが問いただす。
これが、自動人形?
たしかに、とても人とは思えない。
繊細で、儚く、美しすぎた。
「ますたあ……どうか…わたしを……よんでください」
「この方は……お前のマスターでは……ない」
人形にはオルエンの言葉が届いていないようだった。
真っ赤に輝く瞳は、ただひたすらに俺を見ていた。
吸い込まれるような紅の瞳。
路地の向こうに沈む夕日もまた紅に染まり、彼女の純白の肌も同じ色に染まっていた。
「紅……か」
思わずポツリと呟く。
その声が彼女に届いたとも思えないのに、その体は目も眩むほどに輝きだした。
「わが……なは……我が名は紅。ベヘラの輝ける星、闘神の友、黒き竜の血を引くもの、偉大なる放浪者たる我が主よ。我が授けられし名は……クロサワ・K=K・クレナイ……」
人形の体は、いまや目を開けていられないほどに輝いている。
かと思うと、ふっと闇が戻る。
いつの間には、太陽は沈んでいる。
後には、気を失った人形が、その場に倒れていた。
俺達は結局、その人形、いや紅を連れて帰った。
実際はオルエンが担いで帰ったのだが。
あの後どうしたものか、悩んでいると、オルエンがためらいもせずにこういった。
「マイロード、あなたは彼女に名を与え、彼女はそれを受け入れた。と言うことはすでに彼女はあなたのものなのです。虚ろな体を持つとはいえ、その身に宿す心は我らと同じ、女神より授けられたコアを持つ。その魂は我らと変わりないのです。どうか、彼女を受け入れてやってください」
と、いつになく饒舌だ。
俺が頷くと、オルエンは彼女を担ぎあげて、エレンに目配せする。
「了解、じゃあみんなは先に帰っててよ、僕は後始末してくるから」
止めるまもなく闇に消えた。
「この娘は……、おそらく名のある品。逃げ出した……のでしょう。揉める……かも」
まあ、そういうのはいい。
いざとなったら夜逃げという方針は今のところ変わってないからな。
お前たちより大事なものは、ないからなあ。
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