第30話 前と後
「ぎゃふん!」
太腿の柔らかいところを踏まれて目が覚めた。
「あ、ごめん。だいじょうぶ?」
トイレに立ったペイルーンに踏まれたらしい。
いちおう、大丈夫だったけど。
もうちょっと上だと危なかったな。
「他のやつは踏むなよ」
「わかってるってば、ほいほいっと……」
「ふぃぐ!」
今度はデュースの声だ。
どこを踏まれたんだろうな。
ただでさえ狭いこの家も、今やキャパシティの上限に来ているようだ。
隙間なく川の字を書いて寝てどうにかギリギリ収まっているが、もはや限界だ。
なんとなく、まだ従者が増えそうな気もするし。
まさか俺がこんなにモテるとはなあ……モテとは違う気もするけど。
改めて部屋の状態を見ると、九人分の衣類だけでも、結構な場所をとる。
特にアフリエールは祖父母が持たせた上等のドレスなどが結構あって、体型の近いペイルーンやセスなどがコレを着て、部屋の中でひらひらさせていると実に素敵な気分になるのだが、とにかくかさばる。
タンスもないので、籠や木箱に入れて積み上げてある状態だ。
さらにオルエンの立派な甲冑が増えた。
これがでかい。
もちろん、俺達の装備もある。
そこで……だ。
「引っ越し、ですか? 無理ですね」
例のごとく、アンに相談するが、にべもなく却下された。
「今と同程度の部屋を追加で借りるにしても、この辺りは家賃が高いのでとても貯金まで手が回らなくなります。春までに旅の資金を貯めようと思えば、今で手一杯です。以前お話したように、立ち退きをせまられれば仕方ありませんが、それまでは少しでも多く貯金をしておくべきです」
なるほど、そう言われると説得力があるな。
なし崩し的とはいえ、今の我が家の目標は、紳士の試練に向けて旅立つことになっていた。
俺的にはこのままゴロゴロし続けるのもいいんだけど、メイド族の皆さんは、是が非でも俺に紳士として名を挙げてもらいたいらしい。
まあ、女の子の期待に応えるのもいいもんだ。
「こういう時は、工夫して乗り切りましょう」
ということで、俺達はこのクソ暑い夏のさなかに、我が家をリフォームすることになった。
最大のポイントは屋根裏の活用だ。
この家は石造りのしっかりした外壁に木製の屋根が乗っていて、屋根裏のスペースが有る。
今はアンの作る御札の材料や、薬草の乾燥に使っているだけだが、ここに棚をつくりつけて整頓してやれば、衣類ぐらいは片付くはずだ。
最初、ここをロフトっぽくして何人か寝られるようにしようと考えたんだが、みんな俺と一緒に寝たいらしいのでボツに。
可愛いことを言うなあ。
自分たちでやるにしても先立つ物はいるのだが、盗賊のエレンがどこで拾ったのか、大量の廃材を運んできた。
「客から、薪にする男手も足りないから、処分してくれって頼まれてたんだよ」
とのことだ。
セスが道場から大工道具を借りてきて、これで日曜大工の開始というわけだ。
エレンは手先を使うことなら何でもうまくやるが、騎士であるオルエンもこういう作業はいけるという。
なんでも赴任していた北方砦では、治水工事や砦の修復など、土木作業にも従事していたらしい。
なんだか俺の想像してた騎士とはちょっと違う気もするが、そんなものなのか。
この二人を中心にせっせと作業を続けて、立派な収納スペースができた。
ここに衣類をしまうと、想像以上に部屋が広くなった。
「いいな、これならあと三人は行けるんじゃないか?」
「そりゃあ、僕達だって仲間が増えるのはいいと思うけど、旦那の腰が立たなくなるんじゃないかな」
とエレン。
なんのなんの、俺はまだまだいける。
「出来は……どうでしょうか」
控えめに尋ねるオルエンに、満点だと答えてやると、「素人仕事ですが……」と恐縮する。
そういえば、大工メイドとかっているんだろうか?
「神殿の宮大工のパートナーとして仕えるメイドは見たことあるけどねえ、あの人は僧侶だった気がするなあ……。いるのかな?」
と首を傾げるエレンにアンが、
「女神の定めた役職には居ませんね。でも、例えばペイルーンはクラスとしては錬金術師ですけど、実際は考古学者メイドと名乗ってもいいと言えますし」
要するに、自称大工メイドならいそうなわけか。
それ以外に手を加えられそうなところといえば、裏の土間だな。
ここにも棚を作って、冒険の装備などをしまうことにした。
こうしてどうにか、全員が寝返りを打てるぐらいの余裕が出来たみたいだ。
部屋の隅にうずたかく積んでいた木箱もなくなったので、眠っている時に通り抜ける通路もできた。
これで大事なところを踏まれる心配も減っただろう。
やれば出来るもんだな。
このまま、春まで乗り切れるといいけど。
すっかり広くなった部屋を眺めていると、買い出しに出ていたペイルーンとデュースが戻ってくる。
「ただいまー、例のものあったわよ」
例のもの?
ペイルーンから金属の輪っかを受け取ったアンが、それを俺に手渡す。
「どうぞ、これをお持ちください」
「なんだこれは?」
「隷属の首輪、などと呼ばれていますが、要は奴隷を縛る拘束具です」
「え、なに? 今夜はそういうプレイを……」
「違います!」
「なんだ、違うのか」
「何をがっかりしているんですか。ご所望ならなんでもお言いつけ下されば、させていただきますが……」
「やっぱりしてくれるのか?」
「いえ、ですから、そうではなくて……」
じゃあなんだろう?
首を傾げていると、「話が進まないねえ」とエレンに突っ込まれた。
まったくだ。
「ですから、あの娘を連れてくるなら、これをお使いください、ということです」
「あの娘?」
「そうです。あの魔族の娘のことです」
ああ、そうか。
あの……名前はなんと言ったかな?
たしか、プール。
「そうです。魔族を従えるなら、この首輪は必須です。あの娘のことがあったから、家の引っ越しを言い出されたのでは?」
いや、単に狭かったからなんだけどな。
しかし、あれほど魔物を従えるのに反対していたアンがなぜ、と尋ねると、
「仕方ないでしょう。ご主人様が気に入った相手であれば、我々としても自然と快く受け入れたくなるものです」
そうなのか。
しかし……そうか、俺はあいつを気に入っていたんだな。
気にはなっていたが、そうだったのか。
今までが、どちらかと言えば押しかけられるばかりだったので、気が付かなかったなあ。
「かくなる上は、一日も早く連れてきてください。私がみっちりと行儀作法から従者の心得まで教育いたします」
おお、アンが燃えてる。
しかし……どこにいるんだろうな、あいつ。
最後に見たのは、あの月の晩か。
どこか、様子がおかしかったが、あれは……。
「どうされました?」
「いや、なんでもない。ところで、この首輪はどういう代物なんだ?」
「はい、これを首に付けられると、主人の言うことに逆らえなくなります。と言っても、心まで支配するわけではなく、あくまで肉体に苦痛を与えることで、従わせるものです。具体的には、首が絞まります」
ひどいな、孫悟空かよ。
しかし、そんな都合のいい物がねえ。
感心する俺に、アンが説明を続ける。
「とくに魔族の奴隷は、これがないと町中においては置けません。首輪のない魔族の類は見つけ次第拘束、場合によっては退治されてしまいます」
首輪のない野良犬みたいなものか。
「でも、それだとあいつをほっとくとまずいんじゃ」
「ですから、早く連れてきてください」
「そうはいっても、どこにいるんだろう?」
「ご存じないのですか?」
「だって、いつも突然出てくるし。」
「そうですか、しかも最近見ていないと……」
大丈夫なのか、あいつ。
ちょっと心配になってきたところに、デュースがいつもの間延びした声で、
「あるいはー、魔界に帰ったのかもしれませんねー」
「帰れるのか? 結界はどうなってるんだ?」
「あの強さならー、結界は素通りできると思うのですがー」
「そういえば、強い魔物を通さないだけだと言っていたな」
「ただー、あの子はどうなんでしょうかー、あの幻影は見事なものでしたねー、あんがい魔力は強いのかもー」
「どっちなんだよ」
「いずれにせよ!」
アンは改めて俺に首輪を押しつけて、
「今度見つけたら、無理矢理にでもその首輪を付けて引っ張ってきてください、いいですね!」
「はい」
アンに釘を差されてしまった。
あんなに反対してたのになあ。
「なにか?」
「いえ、なんでもないです」
「じゃあ、ご飯にしましょうか。部屋も広くなったことですし」
そうだな。
また増えれば、狭くなるんだろうけど……。
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