第20話 商人と孫 後編

 街道からそれて、ぬかるんだ田舎道を歩くこと一時間。

 目の前に大きな山がそびえ立っていた。


「あれがズドウ山ですよー」


 デュースの案内で、やってきたのはエツレヤアンの街から二時間ほどのところにある、ズドウ山だ。

 麓までは道も整備され、秋の紅葉の季節には行楽の人で賑わうという。

 だが、夏を控えたこの時期は雨も多く、道もぬかるみ人通りはほとんど無い。


「一応、調べては見ましたがー、あの山に我々の手に負えない魔物はいないはずですー」


 日帰りで来られるところで良かったよ。

 そうそう店もあけられないしな。

 俺達がシーズンオフの登山に挑むのは当然訳がある。


 街で偶然助けた縁で、土木ギルドの長を名乗る老人から孫娘を貰ってくれ、そのための条件としてカクカクシカジカと、かような次第と相成ったわけだ。


「ギルドの元締めともなれば、街の有力者です。貸しを作っておいて、損はないですよ」


 とアンは言うが、こういうのを貸しというのかどうか。


「それにあの時、ご主人様が鼻の下を長くながーくのばしていたお嬢さんでしょう。これも何かの縁というものです」


 バレてたのね。

 いずれにせよ、トレーニングにもなる。

 ゲームのレベル上げならダンジョンと相場が決まっているが、オープンフィールドでの冒険だって重要だろう。


 序盤は軽快に進んだ。

 傾斜が緩く、多少ぬかるみがあるとはいえ、人の通る整備された山道だからだ。

 こうして山道を歩くと、学生時代を思い出す。

 友人が山岳部に所属していて、休暇中にしょっちゅう山に連れだされたものだ。

 男臭い山小屋にすし詰めになって寝たのも懐かしい。

 最近は山ガールとやらが流行って、若い女の子も多いらしいが、あの狭い雑魚寝部屋や目も当てられないほど汚いトイレに耐えられるのだろうか?

 いや、でもそういうのは案外、女のほうがタフなんだよなあ。

 俺は結構苦手だった。

 ここに来た当初は意識してなかったんだけど、エツレヤアンの街はどういう仕組みかはわからんが下水道完備でトイレも水洗なんだよな。

 通りも綺麗だし。

 いい街だわ、ほんと。


「ご主人様、お気をつけて。どうも、を感じます」


 とセスに言われて、あわてて意識を現実に引き戻す。

 いかんいかん、考え事は家に帰ってからにしよう。

 ここは魔物だって出る場所なんだよ。


 フィールドでの隊列は、ダンジョンとは多少違う。

 登山道は見晴らしがいいこともあって、ある程度余裕を持って歩いている。

 具体的には、先頭がエレンとセス。

 これはダンジョン内と同じだが、一歩一歩確かめるような歩みではない。

 その後に、残りが固まって歩く。

 そのまま進むと、少し切り立った崖沿いに木が生い茂ったところに出た。

 ここを抜ければ尾根に出られるので、あとはまっすぐ目当ての木の実がなる場所まで行けるはずだった。


「先が見えませんねー、気配は感じますかー?」


 デュースがセスに尋ねると、すこし首を傾げる。


「どうも街を出た時から何かの気配を感じるのですが、よくわかりません。ですが、警戒した方がいいでしょう」

「だったら、僕の出番だね」


 とエレンが荷物をおろし、偵察に出た。

 待つこと十分。


「ただいま、熊の糞は見かけたけど、魔物の痕跡は見つからなかったよ」

「そうですかー。ここの熊は凶暴らしいので、気をつけないといけませんねー」


 と言うデュースに尋ねる。


「熊に襲われたらどうするんだ?」

「状況を見て、戦うか逃げるかしましょー。知性の弱い、魔物のようなものですからー」

「ふむ」


 幸い、何事も無く尾根に抜けた。

 一気に景観が良くなる。

 背後には広大な平原と畑が広がり、その中央に、エツレヤアンの街がどっしりと構えている。

 更に南に目をやると海が見えた。

 思ったより近いんだな。

 一度行ってみたいものだ。

 ここからは傾斜のきつい一本道で、ちょっと息が上がる。

 こういう時は、歩幅を狭めて、ゆっくり歩く。

 汗をかくのはペースが速すぎる証拠だと、山岳部の友人もよく言っていたっけ。

 そうして歩くこと一時間。


「つきましたよー。あれがアシトバの木ですよー」


 斜面にそって一メートル程の低木がぎっしり生えている。

 それに赤い実がみっしりとなっていた。


「そのまま食べても美味しいですよー、どれどれ」


 とデュースが一つかじる。


「うーん、まだ早いですかねー。でもおいしいです。余分にとって帰りましょー」


 袋いっぱいに収穫し、一段落ついたところでお弁当を開ける。

 完全にピクニックだな。

 山の上で食べるパンはうまい。

 ちょっと贅沢にハムも挟んであるしな。


「おいしー、これなら毎日来たいよねー、ごしゅじんさま」


 まったくだな、フルン。

 でも、あんまり言うとアンに怒られそうなので程々にな。


 食事を終えると、早々に下山する。

 山の天気は変わりやすい。

 それに日が暮れると魔物も出やすいらしい。

 遅くとも三時には麓まで降りておきたい。

 まっすぐ降りれば二時間もかからないけどね。


「熊だよ熊! 熊きたーっ!」


 先行していたエレンが慌てて戻ってくる。

 すぐ後ろには灰色の巨大な塊が地響きを立てて突進してくる。

 なんか、五メートル位あるんですけど……。


「皆、散開して!」


 そう叫ぶとセスは抜刀し、エレンと入れ替わるように突進する。

 いくらなんでも小柄なセスの体でまともに対峙はできないだろう。


 だが、セスの間合いに入る直前、熊は動きを止める。

 あの巨体でよく止まれるな。

 それ以前に、ちゃんと間合いがわかってるのか。

 動物の本能ってやつか?

 それでも、一瞬足止めできれば十分だったようだ。

 デュースの振りかざした杖が光り、閃光が熊を襲う。

 轟音を立てて土煙が上がる。

 命中したか?


「あー、かわされましたー」


 素早く横に飛んだ熊は、肩口から血を流し多少動きは鈍っていたが、まだ一撃で俺たちを仕留めるだけの余力を残しているように見えた。


「くらえっ!」


 そこにエレンが矢を放つと、うなりを上げて熊の右目に吸い込まれる。

 だが、まだ倒れない。

 片目になってもんどり打ちながらも、確実に俺達の方に距離を詰める。

 怖い。

 巨大な塊が雄叫びを上げながらこっちに向かってくるんだもん。

 はっきり言って、怖すぎる。

 その視界の端を何かが動く。

 熊の背に飛び乗ったセスだった。


「覚悟!」


 叫ぶと同時に熊の首筋に刀を突き立てた。

 分厚い皮を貫いて頚椎を切断され、ついにこの巨大な恐怖の塊は地に倒れ伏した。


「や、やったのか?」

「ええ、もう大丈夫です」


 セスは刀を引き抜き、血を振り払う。

 俺も確認しに近づこうとすると、突然アンが声を上げた。


「ご主人様! 後ろっ!」


 へ、と振り向くと何かいた。


「ふふふ、そうかそうか、ではないか。ようは貴様が死ねば、妾の呪いもとける。それだけのことだ」


 褐色の肌。

 金色の髪。

 そして大きく広がる漆黒の翼。

 色欲の塔で見た、石像の魔物だった。


「たあっ!」

「やーっ!」


 側にいたアンとフルンが同時に切りつけるが、魔族の娘は音もなく飛び上がってかわす。

 そこにペイルーンが続けざまに火炎魔法を放つが、届く前に燃え尽きてしまう。


「ふふふ、貴様を殺して、その血で禊をするとしよう、それでよかろう?」


 そう言って魔族の娘が手を掲げると、黒い塊が膨らんでいく。

 おい、突然現れてよくわからんけどやばくないか?

 殺すとか言ってるぞ?

 こいつはやっぱり敵だったのか?

 つかあの黒い塊はなんか、やばそうだぞ。

 咄嗟にデュースの方を見ると、なんだかキョロキョロしている。

 いいのか、それで!

 なんかこう、すごい魔法でどかーんとやらないとやばいんじゃ!


「それがー、気配がてー」


 何を言ってるのよデュースさん、ほら、あそこあそこ。

 あんなでかいのが、黒くてでかいやばいのが!

 俺が混乱してコントまがいのツッコミをしている間にも、黒い塊はいまや空全体を覆い尽くし、まるでこの世の終わりのような光景だった。


「ご、ごしゅじんさまー」


 フルンは剣を放り出して、俺にしがみつく。

 だが、泣きたいのは俺の方だ。

 あんな巨大な魔法が炸裂すれば、きっとこの星ごと吹き飛ぶに違いない……。


「その通り、チリひとつ残さず消し飛ばしてくれよう。さあ、泣け、わめけ、そして絶望せよ」


 ……ん?

 まてよ、いくらなんでも、それじゃあ、あの魔物も死ぬんじゃね?


「お前は平気なのか?」


 と、つい素朴な疑問を口にする。


「わ、妾は無敵だから平気なのだ!」


 あ、なんか言い訳したぞ?


「ご主人様ナイスツッコミですー。動揺しましたねー、みつけましたよー、てやっ!」


 デュースが茂みに向かって稲妻を走らせると、「ぎゃー」と悲鳴が上がって、ついさっきまで空に浮かんで俺たちを見下ろしていた魔物娘が転がり出てくる。

 と同時に、空に広がる黒い玉も掻き消えてしまった。


「見事な幻影でしたけどー、はったりをかまし過ぎでしたねー。全然精霊力を感じないので、嘘がバレバレですよー」


 え、幻影だったの?

 俺やフルンだけじゃなく、アンやペイルーンなども騙されてたようだけど。

 それにしても死んだのか?

 こちらに見事なお尻をつきだしたまま、地面に突っ伏して動かないぞ。

 紐パンなのでほとんどお尻丸出しなんだけど。

 あ、ちょっとぷるんと揺れた。

 と思うと突然飛び上がり、


「わ、妾はあきらめんぞー!」


 そう叫ぶと、魔族の娘の姿は掻き消えた。


「あらー、ちょっと手加減し過ぎましたー。思ったより頑丈でしたねー」

「大丈夫なのか?」

「はいー、見事に姿を隠してますが、もう波長は覚えたのでー、あれ以上近づけば気づけますねー。逃げるぶんには、ちょっと追えませんけどー」


 そうか、よくわからんけど、大丈夫らしいな。


「まったく、とんだ災難だぜ。というか、一体なんだったんだ?」

「ほんとですねー、ご主人様も、とんだ魔族に魅入られたものですよー」

「魅入られたというのか、あれは」

「モテモテですねー」

「勘弁してくれ」


 熊は担いで帰るわけにもいかず、たまたま出くわした猟師に安くで譲っておいた。

 皮や肝は高く売れるそうだ。

 もったいない気もしたが、俺達の目的は狩猟じゃないからな。


 街まで戻ると例の実を持って、土木ギルドの長、レオルドの別宅まで赴く。

 老夫婦が揃って出迎えてくれた。


「紳士殿、お待ちしておった。して、例のものは?」


 俺が差し出すと、レオルドの妻は静かに受け取った。

 側の女に目配せすると、奥から、長耳美少女のアフリエールが出てくる。

 白い肌を美しいドレスで着飾り、俺達に挨拶すると、義理の祖母に向かい合う。


「お祖母様、御用と伺いましたが」

「あなたに、これを……」


 とレオルドの妻は、俺が取ってきたばかりの木の実を手渡す。


「これは?」

「これは、あなたの祖母が、エイリエルが好きだったものなのです」

「祖母が?」

「エイリエルは、私がまだ娘時代からうちにいて、歳も近かったから、とても仲が良かったのよ。休みの度にこの実を取ってきてくれて、私に食べさせてくれたの」


 アフリエールは黙って聞いている。


「だから、あなたのお父様が生まれた時には、私は親友に裏切られた気がして、とてもショックだったの。それにプライドもあったのね。仲直りもできないまま、彼女が死んで……結果的に、あなたのお父様も家から追い出すような形になってしまったわ」


 レオルドの妻は、まるでここにいない誰かに話しかけるように、淡々と話す。


「そして今度は、あなたがこの家を出ようという時に、私があなたにあげられるものと言ったら、これしか思い浮かばなかったの。だから、紳士様にご足労願って、こうして手に入れていただいたのよ」


 そんな曰くの品だったのか。

 しかし、まわりくどい婆さんだな。

 一言、口にすれば、それで済むだろうに。

 いや、済まないからこそ、こじれたのか。

 アフリエールは、手渡された実を大事そうに手で包むと、祖母を見据えた。


「アシトバの実は、よく父が食べさせてくれました。私も、大好きなんです」

「そう、良かったわ。私の口から言えたことじゃないけども、どうか……」

「母から聞いていました。六つの流行病の時のこと、山火事の時のこと、それに、毎年の誕生日のこと。お祖母様にお礼を言いたくて、私はこの家に来たんです。だから、今こうして言えてよかったです。ありがとうございました」

「そう、彼女が……そうだったのね」


 レオルドの妻はそのまましばらく、じっと黙っていた。

 そうして、ひとつ頷いてから俺に向き直ると、


「紳士様、この度はこの偏屈な老婆のためにお骨折りいただき、誠にありがとうございました。貴方様のもとでなら、きっとこの孫娘も、幸せになれるかと存じます。どうか、よろしくお願い致します」


 こうして、アフリエールは俺のものになった。

 交わされた会話だけでは、孫と祖母の間の心情を推し量るのは難しいが、それは身内であるレオルド老人からしてよくわかっていなかったようなので、まあ俺にわからなくてもしょうがないよな。

 女心は難しいぜ。


 でも、仲直り出来たことだけは確かなようだ。

 せっかく仲直りしたものを引き離すのもいかがなものかという気もするが、そこはそれ、また一緒にいるとギスギスしてくるものなので、綺麗に別れるのがベストなこともあるんだよ、たぶん。


「紳士様、初めてお会いした時から、お慕いしておりました。どうか、末永くおそばに仕えさせてくださいませ」


 連れ帰ったアフリエールは、そう言って俺に身を委ねた。

 あとは、いつもの通りなわけですが。

 いざ抱いてみると、思ったより子供だったかも。

 張り詰めた緊張感が、大人びて見せていたのか。

 だが、守備範囲なので大丈夫だ。

 フルンのほうがたぶん年下だしな、と思ったら、


「歳は一緒だよ?」


 と右手で抱きかかえていたフルンがいうと、


「はい、そうです」


 と左手で抱きかかえていたアフリエールが頷く。

 そうか、またうちの平均年齢が下がったのか。

 ははは。

 それよりもあの魔物、何だったんだろうなあ。

 気になる。

 特にあの尻が……。

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