第18話 商人と孫 前編

 塔から戻り、十日ほどは何事も無く過ぎた。

 色々課題も多いが、地道にやるしかないだろう。

 とはいえ、商売もあるので、そうそう探索に出向くこともできないしな。

 難しいところだ。

 とりあえず、日々の鍛錬はしっかりやろう。


 朝から従者にして剣の先生でもあるセスに指導を受けて、木剣を振る。

 夏が近いということで昼にはだいぶ暑くなってきたが、早朝のこの時間はまだ過ごしやすい。

 犬耳のフルンも俺と一緒に重り入りの木剣を振るのだが、種族の違いか、最初から軽々と振る。

 この幼い体でこうなのだから、末恐ろしい。

 下手に抱っこして寝てると、うっかりサバ折りされるんじゃないかしら。


 この調子ならすぐに剣を教えるのかと思ったら、そうではないらしい。

 俺の場合は単なる基礎トレだったが、フルンにはもっと根本から仕込むのだそうだ。

 重い木剣で、ひたすら素振りの精度を上げていくかのような修行だった。

 あの重くて堅い木剣で、このスピードで殴られれば、たいていの生物は砕け散る。

 それでもまだまだと言わんばかりに、セスはフルンにひたすら木剣を素振りさせ続けた。


 修行中のフルンは別人のように真剣である。

 これが命のやり取りのための鍛錬だと、本能的にわかっているかのようだった。

 だてに戦士の種族と呼ばれてはいないのだろう。


 先に練習から上がると、魔導師のデュースと錬金術師のペイルーンに数学を教える。

 この二人は俺の科学知識に随分興味が有るようだった。

 彼女たちに出し惜しみする必要はないので、知ってる限り教える。

 もっとも、大学を出てからあまり復習する機会もなかったので、高度なことになるとあやふやになる。

 せめて教科書の一つもあればよかったんだけどな。

 実学的な物から教える方が良いかとおもったが、当人たちの要望ではそうでもないようで、基本から思い出すように、少しずつ教えていくことにした。


 それ以外の時間では、ペイルーンはデュースに呪文を教わっている。

 ペイルーンの使う火炎系呪文は、デュースのもっとも得意とするところだそうだ。

 最強の呪文というのを見せてもらいたいと思ったが、ダンジョンのような閉所では危険すぎて使えないらしい。

 なんか凄そうだな。

 もっとも、ペイルーンでは魔力の上限の問題で、そのレベルまではいけないだろうとの事だった。

 クラスの違いってのは、わりと本質的なんだな。

 たんなる向き不向きのことではないらしい。

 デュースも人に教えることで自分の修行になると言っていた。

 先日のミスを反省しているのだろう。

 俺も、魔法を使えないなりに仕組みだけでも教えて貰おうと思ったが、残念ながら魔法というのはそれほど体系的な物ではないらしい。

 神々の時代には、もっとちゃんとした魔法体系があったというが、今は魔法の才能を持つものが、その力に応じて文献に残された呪文や護符を通して魔法を使う。

 ロストテクノロジーなわけか。

 せめて自分で使えれば、もうちょっと興味も湧くんだけどな。


 午後はメイド長のアンと盗賊のエレン、それにフルンをしごき終えたセスを伴って買い物に。

 フルンがまともな服をもっていなかったので、アンが自分のお古のメイド服を仕立て直そうと考えたのだが、少々生地が足りないのでそれを買い足しにきたのだった。

 メイド族の従者は皆、普段はメイド服を着ている。

 セスは修行の時は袴を着ているが、うちでは基本的にヤーマから贈られたメイド服だ。

 今もメイド服で腰に刀を差している。

 なかなか胡散臭い格好だ。

 エレンはどうするのかと思えば、部屋の中ではスクミズ一枚だった。

 それはそれでいいものだ。

 個人的にスクミズに思い入れはなかったのだが……。

 そういえば同僚に一人スクミズ好きがいたな。

 会社が潰れて、今頃どうしてるだろうなあ。

 俺がスクミズ少女と一つ屋根の下でアレコレしてると知ったら、どんな顔をするだろうな。


 それはさておき、エレンは外出時には地味すぎるぐらい地味な格好をしている。

 たぶん、盗賊というクラスならでは、なのかもしれない。

 かくいう俺は、タキシードというかスーツというか、黒地のシックな物を着ている。

 アンが仕立ててくれたものだ。


「良い生地が手にはいらないので、安物ですが」


 とアンは言うが、なかなか立派なものだ。

 これを着て腰に刀を差していると、そのちぐはぐさ故に、ああ、俺って異世界にいるんだなあ、って気がしてくるんだよな。


 歩くうちに、再び思考が冒険へと移る。

 今のパーティは回復役がいないのが、やっぱり不安だよな。

 RPGで僧侶抜きとか考えられないし。


「そういえば、先日の僧侶を増やしたいって話だけど、精霊教会の神殿に行けばメイド族……ホロアだっけ、それがいっぱいいるんじゃないのか?」


 ふと思いついたことをアンに聞いてみる。


「ホロアは多少いますけど、主人を探す見習いはいないんですよ」

「そうなのか」

「はい。ふつう、成人すると女神に奉仕誓願ほうしせいがんを立てて、旅に出ます。あるいは私のように町中で働きながら修行します。そうして自分から外に出て行かなければ決して主人には出会えないといいます」

「じゃあ、神殿にいるのは?」

「あの人達は、成人前の者を除けば、あとは女神に仕える巫女です。つまり、いにしえのように、神を主人としたホロアなんですよ」

「そういうのもあるのか」


 簡単には行かないものだな。

 そりゃまあ、そうか。


 市場でさんざん値切り倒してアンは目当てのものを購入したようだ。

 随分エキサイトしていたが、女の買い物に口を挟むなと祖母にきつく言い聞かされて育ったので、俺は黙って立っていた。


「アンに任せておけば安心だね」


 とエレンはいうが、ほとんど買い物などしたことのないセスは、目を丸くしていた。

 家事を覚え始めたばかりのセスには、まだまだハードルが高そうだな。

 俺だって、真似はできないが。


 みんなで両手いっぱいに荷物を抱えて家路につく。

 もっとも、俺だけ手ぶらだ。

 主人が荷物など持つものではないと、アンが断固として持たせてくれない。

 家事もそうだが、結構厳格だよな。

 その割に店番はOKなのは、なぜだろう?

 深く考えても仕方ないか。

 たわいない話をしながら通りを進んでいると、ぱっと目を引くものがあった。

 透けるような白い肌に、青みがかった銀髪。

 そしてファンタジーの定番、エルフのような長い耳。

 凄く綺麗で、どこか儚げな娘だった。

 まるで作り物のような美しさだな。

 年の頃はどれぐらいだろう、アンと同じぐらいかな?

 見とれていると、目があった。

 真っ白な頬を赤く染めて、顔を伏せる。

 うわー、かわいい。

 思わず追いかけそうになったが、それじゃあただの変質者だよ。

 などと自分に突っ込んでいるうちに、人混みに紛れて姿が見えなくなった。


「旦那。往来で鼻の下を伸ばしてると、アンに怒られるよ」


 おっとやばいやばい。

 振り返るとアンはセスとの会話中で、気がついてなかったようだ。


「ははは、危なかったね」

「まったくだ。それにしてもお前は隙がないな」

「それが僕の仕事だからね」

「頼もしい話だな」

「あれ、後ろで何かあったかな?」


 エレンがそう言うと同時に、後で悲鳴があがる。

 何事だ?

 と振り返ると、人混みが割れて暴れ馬が踊りだしてきた。


「ご主人様、こちらに!」


 セスに手を惹かれて俺達も慌てて脇に避ける。

 だが、逃げ遅れた人もいるようで、あちこちから悲鳴が。

 こりゃ大変だ。

 よく見るとさっきの長耳美少女が転んでるじゃないか、いかん、颯爽と助けねば。

 と思ったが、そんなに都合よく体が動くわけもなく……。


「これ、頼んだよ」


 とエレンが俺に荷物を放り投げ、矢のように飛び出す。

 そのまま倒れた美少女を抱え上げ、間一髪横っ飛びに暴れ馬をかわした。


「ご主人様、これを」


 と今度はセスが俺に荷物を手渡す。

 慌てて受け取ると、セスはすっと通りに出た。

 セスが手にした石塊を馬に投げつけると、横っ面に命中する。

 驚いた馬は立ちすくみ、その場でいなないた。

 その隙にさっと飛び乗ると、セスは馬を抑えこむようにいなした。


「どうどう、さあ、いい子だ」


 セスの言葉に、暴れ馬は落ち着きを取り戻す。

 ふう、どうなることかと思ったよ。

 馬の方は大丈夫らしい。


 で、美少女の方は?

 と顔を向けると、エレンがこちらに向けてウインクしている。

 気の回しすぎだろう、と思うが、せっかくなので、俺も荷物をほっぽり出してさっそうと歩み寄り、尻餅をついた美少女に手を差し出した。


「災難でしたね、お嬢さん。大丈夫ですか?」

「あ……、紳士様、ありがとうございます」


 俺のさわやかな笑顔にメロメロになったのか、美少女は耳まで真っ赤にして俺の手を取り、起き上がる。


「とても優れた従者をお持ちなんですね。お陰で助かりました」


 こいつらのことを褒められると、なんだか自分のこと以上にくすぐったいな。


「あの、お名前を……」

「クリュウと申します、お嬢さん」

「クリュウ様……、私は、中央通りの……」


 とそこで、しわくちゃの老婆が血相を変えて飛び込んできた。


「お嬢様! お嬢様! ああ、ご無事でよかった、貴方に何かあったら私は旦那様に合わせる顔が……」

「私は大丈夫です。そんなに取り乱しては紳士様に失礼でしょう」


 だが、老婆はおざなりに頭を下げると、美少女を引っ張って去っていった。


「あはは、惜しかったね、旦那」

「全くだ。いい感じだったのに」

「綺麗なプリモァの子だったのにねえ」

「プリモァ?」

「フルンと同じ、古代種の一つさ。魔術が巧みで、いい従者になるよ」

「へえ、やっぱり人間とは違うのか。でも、手をとった時に光らなかったから、相性は悪いのかな?」

「光るのは大抵、ホロアだけだよ。まれに光ることもあるらしいけど、フルンだって光らなかったろ?」

「そういえばそうか」

「でも、どこか普通とは違ったね」


 普通のプリモァというのを知らんからな。

 でもまあ、かなりいい感じの美少女ではあった。

 改めてその姿を思い返していると、兵士を連れた騎士がやってきた。


「おお、紳士殿が取り押さえてくれましたか、かたじけない」


 確かバダム翁の部下で、名前は……。


「先日はお世話になりました、騎士団のドルンです」


 そうそう、たしかそんな名前だった。

 俺より一回りぐらい上だろうか。

 がっちりした、海兵隊かアメフト選手みたいな体つきだな。


「お陰で、怪我人も出ずに済みました」

「いったい、何があったんです?」

「どうも荷馬車を休ませようとした際に、毒虫に刺されたとかで。あとで詳しく確かめますが」


 なんにせよ、怪我人がなくてよかった。

 あとの始末があるからと、騎士のドルンは馬を連れて去っていった。

 しかし、実際に馬を止めたのはセスなのに、俺だけ礼を言われるのはしっくり来ないな。


「主人とはそういうものです。逆に我々が失態を犯せば、その結果もご主人様にかかってきます。我々従者は、常に主人の名を背負って行動しているのです」


 とセスは言う。

 なるほどね。

 だが、さっきの美少女は、ちゃんとお前たちにも感謝していたぞ。

 やはりおっさんより美少女だな。


 しかし、主人の名を背負うか。

 そういや、潰れた勤め先の社長が言ってたっけな。

 俺ぐらいの世代はちょっと個人主義が過ぎるとか何とか。

 何でも自己責任ですまそうとするが、個人で取れる責任なんてたかが知れている。

 もっと周りに依存してることを自覚しろとかって。

 若者の常として、そういう説教は聞き流すんだけど、いざ問題に直面すると、難しいもんだな。

 俺は単に指示がうまくなるだけじゃダメなのか。

 しかし、責任ってのはつねに社会的なものだと思うけどな。

 例えば恥をかくとか、会社を首になるとか、そういうの。

 今の俺みたいに、社会的に失うものがほとんどない場合、どうするんだろ?

 ああ、それでデュースはいざとなったら夜逃げと言っていたのか。

 逆に言えば、逃げてやり直せる社会なのか。

 そう考えると気楽でもあるな。

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