第8話 道場通い

 朝起きたら全身の筋肉痛がひどかったが、ペイルーンの手作り丸薬を飲むと少し楽になった。

 なるほど、効くもんだ。

 朝食の前に、素振りをやる。

 食ってからだと吐くかもしれないしな。


 ひいひいぜえぜえと汗だくになって、鉛入りの木刀を振り続ける。

 今朝も五十回ほどですっかり動けなくなって、路地の片隅に座り込んだ。


「つ……つかれた」

「お疲れ様です」


 控えていたアンの差し出したタオルで汗を拭う。

 しびれきった手のひらを見ると、マメが割れていた。

 ちょ、ちょっと頑張りすぎたか?

 いやしかし、まだまだ足りないんだよな。

 少し休んで水を浴びるがヘトヘトだった。

 マメに薬を塗ってもらい、わずかばかりの朝食をとる。

 午前の店番は二人に任せて休ませてもらおう。


 一眠りすると昼にはどうにか回復していた。

 軽く飯をかきこんでそのまま道場に向かうと、昨日のように地稽古をしていた。

 子供が多いが、あんがい繁盛しているようだ。

 師範のセスに指示されて、隅に腰を下ろす。

 練習の子どもたちに並んで、一番の末席だ。

 高弟の練習が終わると、子どもたちの番だ。

 あと俺。

 上座から順番に呼ばれては高弟達に立ち向かって打たれていく。

 やがて自分の順番が来ると、昨日と同じようにしこたま打たれて、また席に戻る。

 それを二時間ほど繰り返した所で、その日の練習は終了となった。


 騒がしい子どもたちに混じって汗を拭っていると、セスが顔を出して、奥に招かれる。

 十畳ほどの板間に筵が敷かれている。

 畳はないんだな。

 出されたお茶を一口含むと、懐かしい緑茶の味だった。


「素振りはどうです?」

「今朝は五十回振りましたが、それで立てなくなりました」

「焦ってはいけません。ひと月でも半年でも、できるまでじっくりと取り組んでください」


 まあ、そういうもんだろう。

 アン達に心配をかけない程度にはならないとな。

 お茶をもらいながら、セスに色々な話を聞く。

 剣の心構えや、いにしえの剣豪の話など、饒舌というわけでもないが、セスの話は聞きやすい。

 セスが無表情なので、談笑とは行かないが、落ち着く時間だ。

 何かの拍子にふと、セスの首筋に光るものが見えた。

 自分と同じ赤い宝石に見えるが、色が少しくすんでいる。


「セス殿、それは?」

「これはです。私の主人となるはずだった方の……」

「ではセス殿はメイドだったのですか?」

「ええ、私は侍のメイドです」


 なるほど、メイド服を着ていなければ全くわからないな。

 それとも精霊の力とやらで見分けがつくのだろうか。

 俺のことも紳士だとわかる人はすぐにわかるらしいし。

 それ以前に、父親に当たる道場主も紳士ではないようだが、子供だけ紳士として生まれてきたりするのかな。

 あるいは養子だったのだろうか。

 込み入ったことを聞いていいものか悩んでいたら、セスは静かに話しだした。


「道場主であるヤーマ様の一人娘マム様は私の運命の人でした。女紳士は珍しいものですが、初めてお会いした時から、私はこの方にお仕えしようと決心しておりました。マム様が成人した暁には晴れてお仕えするはずだったのですが……急な病でお亡くなりに」


 そこで、一呼吸おいて、あとはひとりごとのように、


「せめて契約だけでも交わしていれば、アシハラの園までお供できたものを……」


 そうつぶやいて、セスは口を閉じる。

 重くはないが、どこかもの寂しい空気に満たされる。

 セスの表情には、自責と寂寥の入り混じった陰が落ちていた。


「人の生死は紙一重。どうかクリュウ殿も悔いのなきよう、あなたの従者をお導きください」


 従者としての責務を一度も果たせぬままその機会を失ってしまったセスの心情は、俺にはとても推し量ることはできなかった。

 だから、初めてみせたセスの表情の変化に、俺は戸惑うばかりだった。

 我ながら、まだまだ青いなあ。


 道場を後にして、うちに戻ると、アンが店じまいの準備をしていた。


「おかえりなさいませ、ご主人様」

「おう」

「今日もしごかれたようですね」

「なに、大した事はないさ」

「それでこそ、ご主人様です」


 と微笑むアンの顔を見て、俺も笑い返す。

 悔いのなき人生ってなんだろうな。

 俺にできるのは、主人としての責任を果たすことぐらいか。

 まだ実感がわかないが、食い扶持を稼ぐ以上の、なにか大切なモノがあるんだろう。

 もっとも、今はろくに金さえ稼げていないのだが。

 せめてこいつらにはさっきのセスのような顔だけはさせたくないなあ。

 まあ、焦っても仕方がない。

 ヘロヘロの体でどうにか百回振って、午後の素振りを終えた。


「ねえ、今夜はご奉仕いらないの?」


 その夜、ペイルーンがいつものようにねだってくるが、


「いやね、もう体が動かんのよ……」

「まったく、しょうがないわね」


 ほんと、しょうがねえなあ。




 それから一週間ほどで、朝晩百五十回ずつの素振りがどうにか様になってきた。

 思ったより俺ってタフなんじゃね?

 セスに話すと褒めてくれた。


「さすがはクリュウ殿。紳士として生まれた方は、人より優れた資質を持っているものですが、それでも、さすがです」


 そうなのか。そいや学校の成績も良かったもんな。

 あれは俺が紳士だったから……なのか?


「少し早いですが、気陰流の型をお教えしましょう。まずは完全に型の動きを覚えてください。この型の動作の一つ一つに剣の攻防の全てが詰まっているのです」


 この動作を完全に自分のものとすれば、自ずからとるべき動きが定まるのだという。

 剣道の授業ではこういうことをやらなかったが、空手塾では逆に型の練習ばかりしていた気がする。

 あれももう少しちゃんとやっていればよかったか。

 もっとも両親が亡くなって、祖母に引き取られた時に辞めたので、仕方がなかったのだが。

 しばらく道場通いが続き、ひと通り型のまね事ができるようになってきた頃、俺に道場を紹介してくれた、老騎士のバダムが顔を見せた。


「クリュウ殿、調子はどうですかな?」

「やっと素振りがこなせるようになってきましたが、まだまだこれからのようで」

「なに、それだけでもたいしたものだ」


 練習の後に、バダムと道場主のヤーマの相手をする。

 セスはお茶を入れた後に道場に出て行った。

 年寄りの相手は嫌いではないが、この二人を一人で相手にするのは緊張するな。

 相手と言っても、バダムが一方的に近況を語り、ヤーマと俺が頷くだけというあんばいだ。

 自分のメイドたちを除けば、客以外と話す機会もほとんど無いのだが、店に来るのは冒険者や近所の主婦だけなので、バダムのような立場の話が聞けるのは、それだけでも興味深いものだ。

 そのうちに話題がセスの事に及ぶ。


「どうですな、紳士殿。あのようにを見たのは初めてではないかな?」


 とバダムは笑い飛ばすように言う。

 確かに無表情ではあるが、指導は丁寧で、わかりやすい。

 そう答えると、


「あれも生真面目でな」


 とヤーマがつぶやき、


「じゃが、度が過ぎる」


 バダムがため息のように返す。

 道場主のヤーマは心臓を患っているそうだ。

 もはや剣を持つことはかなわないだろうという。

 いずれ、高弟の誰かがあとを継ぐのだろうが、今のところ、セスより腕の立つものがいない。

 ヤーマを含め高弟たちも後継者はセスだと考えている。

 だが、セスにそのつもりはない。

 メイド族としての本分を果たせなかった自分に、気陰流を継ぐ資格はないとの思いがある。

 ヤーマも無理強いをする気はないようだ。

 彼がセスを見る目は、まるで娘か孫を見るかのようで、それゆえにかえって気の毒な気がする。


「セスにはふさわしい主人が現れてくれればと願っておったが、本人にその気がなくてはのう」


 メイド族の主人候補というのは一人に決まっているのではないらしい。

 いわば相性がいい相手に出会うと体が光るというだけで、そうでなくてもその気になれば誰にでも仕えることができるのだそうだ。

 逆に言えば、その気がなければ相性の良い相手でも仕えることはないそうだ。

 一度主人を選び仕えれば、絶対の忠誠を誓うメイドだけに、主人を選ぶ時は最善をつくすもので、故人に未練を残すようでは、新たな主人候補など、見つかるはずもない、とヤーマは話していた。

 つまるところ、この老人二人は行き遅れた孫のような娘への愚痴を俺にぶつけていたわけだ。

 まあ、わからんでもないが、それでセスは逃げたのか。

 メイドというのも大変だな。




 その翌日。

 今日はペイルーンに付き合って、彼女の所属していた工房に行くことになっている。

 エツレヤアンの中を見てみたいと思ったのだ。

 ペイルーンは俺の従者になってからも、午後の暇な日は工房に顔を出して何やらやっていたが、そうした話を聞くたびに、あの独特の雰囲気が思い出され、気になって仕方がなかったのだ。

 昨日のうちに道場には断りを入れておいた。


「そうですか」


 といつもどおり無表情に答えたセスが、ちょっぴり残念そうに見えたのは、俺の気のせいだろう。

 あれだ、最近メイド二人にチヤホヤされすぎて調子に乗っているに違いない。


 作業のあるペイルーンを工房に残して、俺は学内を散策する。

 アンは店番だ。

 元々一人でやっていたので、支障無いという。

 むしろ、ほいほい店を閉めるほうが問題が多いだろう。


 自分の通っていた大学とも違う空気を醸し出す建造物の間を練り歩くと、見てるだけで楽しい。

 それに職場に引きこもっていた頃に比べて、足取りが軽い。

 僅かの間に、体がたくましくなった気がする。

 元がたるんでいただけかもしれないが、随分変わるものだ。

 それとも、この変化には何か特殊な効果が作用しているのだろうか?

 紳士は人より優れているとも言っていたしな。

 突然、異世界に飛ばされるぐらいだから、なにか他にも目に見えない変化があるのかもしれない。

 そういえば、ここに飛ばされる直前、隣の判子はんこちゃんにされたことを思い出した。

 あの注射は何だったんだろう。

 そもそも彼女は何か知っていたんだろうか?

 ぼんやりとそんなことを考えていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。


「やっと見つけた」


 振り返るとまさに隣の娘だった。


「判子ちゃん、どうしてここに」

「それはこっちの台詞です。どこに飛んだのかと思えばまさか重畳空間をスライドしてたとは。マーカーも薄くなってるしトレースするだけで随分時間がかかってしまいました」


 突然現れた彼女は、何故か怒っていた。


「と、とにかくだな、俺はなんでこんなところに……、いや、君は何者なんだ? いやいや、それよりも戻れるのか?」

「質問は一つずつお願いします」

「えっとそれじゃあ……」


 うっ、何から聞こう。


「時間切れです。ではごきげんよう」

「え?」


 驚く間もなく判子ちゃんの姿はかき消えてしまった。

 次の瞬間、後ろから俺を呼ぶペイルーンの声がする。


「ご主人様ー、終わったわよー」

「お、おう」


 ペイルーンが来たから消えたのか?

 何が何だかわからんが、とにかく元の世界とのつながりがない訳じゃないのか。

 重畳空間をスライドってのはなんだろう。

 トレースって事は追いかけてきたのか?

 わけがわからん。

 悶々としながら家路についたものの、日課の素振りをやると、すっかり心が落ち着いてしまった。

 脳筋も捨てたもんじゃないな。




 その夜。

 素振りとご奉仕ですっかり疲れきって朝まで爆睡……と思いきや、久しぶりに出ましたよ、白いモヤが。


「なんじゃ、歓迎されておらんのう」

「そうは言ってもな」


 相変わらず、心が落ち着くハスキーボイス。

 老婆のような口調が、亡くなった祖母を思い出させる。

 もっともばあちゃんはもっと優しい声音だったけどな、たぶん。


「ほほう、では、もうちと厳しくいくかのう……」


 いや、勘弁して下さい。

 なんだか、この声には頭が上がらないな。


「しかし、とうとう見つかってしもうたか。もっとも今の奴らに手を出す力も無かろうが、それはわしとて同じ……」


 奴ら?


「よいか、まずは従者を増やせ、お主の忠実なるを集めよ、それがお主の……」


 え、何を集めろって?


「……検閲か……また……いず…れ……な。わがあるじ……よ…」


 声はそれで途切れ、俺の意識は再び、まどろみの中へと落ちていった。

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