第4話 店番

 アンはよく働く。

 朝はご奉仕に始まり食事の支度に店の準備。

 御札を買うのは冒険者ばかりなので、来客は朝が一番多い。

 冒険に出る前に買い求めるからだ。

 それが終わると御札の作成。

 昼前にはノルマを終えて、昼食の準備。

 食事の後にはまたご奉仕。

 午後は客足がとだえるので、散歩したりご奉仕したりまったりしたり。

 日暮れ前にまた客が増えるので、早めに夕食の支度を終えて、客をさばく。

 日暮れとともに店を閉め、ささやかな夕食を終えると、またご奉仕。

 随分ご奉仕ばかりだと思われそうだが、実際その通りなので問題ない。

 御札は、お店だけでは売上がしれているので、多くは精霊教会に収めている。

 そうして得た金で、夜には晩酌の一本も出してくれる。


 だめだ、これじゃあ完全にヒモじゃないか。

 しかも、こんな少女に……。

 本人は成人だと言ってるけど。


 とはいえ元の世界なら、働き口はどうとでもなっただろうが、この世界で俺はどうすればいいんだろう。

 帰れるのかどうかさえも定かではないのに、どこまで腰を据えればいいのか。


「お仕事ですか?」

「うん、この世界を知るためにも、少しでも働いたほうがいいんじゃないかと」

「流石はご主人様、りっぱなお心がけです。ですが、普通紳士はあまり働いたりしないのです」

「そうなの?」

「はい。労働も私達メイドの大切な仕事なので」

「とはいえ、うちはあまり収入がないんだろ?」


 そう言うとアンは急に顔を輝かせる。


「どうした?」

「いえ、うちは……とおっしゃられましたので、つい、嬉しくなって」

「うん?」

「私はご主人様のものになれたんだな、と思うとなんだか嬉しくってつい顔がほころんでしまいました」


 そうかそうか、どこまでもかわいいやつめ。


「ところで、紳士ってのはどうやって食ってくんだ?」

「多くの紳士は貴族の家系に生まれるか、養子になるなどして所領がありますので」

「それなら少なくとも日銭を稼いだりはしないわな」

「そうですね」

「領地を持ってない俺は、やはり働かんとだめなんじゃ」

「そうなんでしょうか」

「精霊教会で俺の立場みたいなものは保証してくれると言ってたけど、税金とか保険とかどうなってるんだろう」

「保険……というのはわかりませんが、税金は市民が収めるものですから紳士にはかからないはずですけど、ある意味、貴族以上に高貴な身分なので」

「なるほどね」


 特権階級万歳だよ。

 あとは不労所得があれば言うことなしだな。

 サラリーマンだと気にしなくていいが、自営業の友人は税金だの健康保険だの年金だのと、ひーひー言ってたからな。

 倒産が決まった時に、フリーになることも考えはしたが、そのあたりの話を聞いてやめたのだった。

 そういえば、ゴタゴタのせいで転職活動もできなかったんだよな。

 貯金はあったので旅行にでも行って逃避するつもりだった、ってのもあるが。

 まさかこんな異世界にまで旅行に来るとは。


「紳士は成人すると、試練の塔という物に挑むのが通例です」

「ほう」

「試練の塔というのは、神が地上に立てた塔で、中には魔物を始め様々な障害があるんです。それを攻略したものは英雄として称せられるわけですが、なかでも全知の女神ネアルの建てた塔は紳士が従者を従えて攻略する、まさに紳士のための試練なのです」

「つまり、それをやればいいのか」

「そうですね。そうして称号を得てお披露目をすれば、一人前の紳士として広く知られることになります。うまくすれば領地を、少なくとも官職は得られるかもしれませんが……」

「が?」

「今は近くにないんですよ、ネアル様の建てた試練の塔が」

「そうなのか」

「かつては有名どころで言えばルタ島のネアル神殿と八つの塔などがあったのですが、これもずいぶん前に崩壊して、その後復活していません。遥か遠く、常夏のメルンという地には存在すると言われていますが、一年以上かかる長い旅のすえにやっとたどり着くという噂ですから、難しいですね」

「一年かあ」


 そういや一年って何日だろう?

 一日は感覚的にほぼ同じように思えるが。

 あとで聞いとくか。


「以前、司教様から聞きましたが、最近では若い神のつくる塔しか現れておらず、ネアル様のような古い神はほとんど地上に干渉しなくなったのだとか」

「ふむ」

「近場にも一つ試練の塔がありますが、これは通称色欲の塔と呼ばれてまして、女の魔族が数多く住み着いていて、倒すと従えて性奴隷にしたり売りさばいたりできるそうで、文字通り欲にまみれた冒険者であふれているそうです」

「ほほう」


 思わず身を乗り出して聞き返す。


「鼻の下が伸びてますよ」

「そ、そうか?」

「もちろん、ご主人様には紳士としてもっと多くのメイドを従えていただきたいですが、魔族は忠誠度や貞淑さにおいて、いささか……」

「メイドってのはたくさん従えるものなのか?」

「はい。庶民ならともかく、紳士ともなれば最低でも四、五人。八人ぐらいは普通じゃないでしょうか。伝説の紳士であるレオーヌ卿などは二百五十六人ものメイドを従えたと伝えられています」

「そりゃすごい」


 こんな可愛い子を何人もはべらせるとなれば、それはもうたまらないものがあるな。


「冒険をなされたいのであれば、もちろんご主人様の剣として盾として働く所存ですが、そうなるとせめてあと二、三人は仲間がほしいですね。傭兵でもいいですが、お金が……」


 やっぱり金か。


「俺も戦ったことなんてないしなあ」


 せいぜい、中学高校と授業で剣道をやったぐらいか。

 あれが実践に役に立つとは思わんが。

 あとはガキの頃に習ってた空手とか水泳とか……だめだろうな。


「あ、紳士は普通戦いませんよ。特に紳士の試練に挑む場合は従えたメイドだけで戦い抜かねばなりません。それ以外であれば別に構いませんけど」

「まあ、気が向いたらやってみるか」


 なかなか大変なものだな。

 王様にはした金を掴まされて前線に送り込まれるゲームの主人公とはわけが違うわな。


「じゃあ、せめて店番でもするか。ちょっと暇でね」

「では、私は御札づくりをさせていただきますね」


 なんにせよ、今日の食い扶持だけ考えればいいのなら、気楽かな。

 この店の商品である御札は十種類程しかない。

 細かい模様や呪文のようなものが書かれている。

 いつの間にか身についていたこの世界の文字の知識で読めるとこだけ読んでみると、なにやら神様を称える文句がつらつらと並んでいた。

 それに赤やら黄色やらのカラフルな縁取りが施されている。

 その色で、赤札や青札と呼んでいるらしい。

 軒先に座って番をしていると、いろんな人物が見える

 たいていは街の住民だが、中には冒険者っぽい格好のものも見かける。


「やはりエツレヤアンには多くの冒険者がいますから。あとは先ほど話した色欲の塔を攻略するために人が増えてますね。拠点は隣町なんですが、ここは物が豊富ですし」

「隣町って遠いのか?」

「駅馬車で小一時間ですね。日帰りで行けますから、休みの日にでもご案内しましょうか?」


 なんだかアンの言葉に刺があるような気がしたので慌てて断った。


「そうですか、やはり紳士様にはふさわしい試練というものがありますからね」


 ふう、あやうく地雷を踏むところだった。

 とは言え、やっぱり冒険とやらにも興味がある。

 せっかくのファンタジー世界だしな。

 もっとも命の危険もあるんだろうが。

 学生の頃、ブラブラと海外を旅行してたら、突然暴動みたいなのが始まって、爆発音やら催涙弾やらの飛び交う中を半泣きで逃げ惑ったことがある。

 幸い怪我一つなかったものの、ああいうのはちょっと勘弁して貰いたいな。

 そうして店番をしていると、若い女戦士風の二人連れがやってくる。

 ゲームにありがちなビキニアーマーじゃないのが残念だが、皮っぽい鎧で固めた、ムチムチとぽっちゃりのコンビだ。

 なかなかいい。


「あれ、いつもの子は?」

「奥にいますよ。呼びましょうか?」

「ううん、別にいいけど。あなたバイト?」

「まあ、似たようなもんで。なにかご入用ですか?」

「青の御札を十五枚と、赤を二十枚」

「えーと、これと、赤ってどれだっけ」

「こっちよ」

「ああ、すいません。あわせて八百五十Gですね」

「え、計算あってるの?」

「あってますよ」


 自慢じゃないが暗算は三段だ


「ほんとにー?」

「ええ、これが一つ三十Gで十五枚だから四百五十Gでしょ、こっちは二十Gが二十枚で四百G、合わせて八百五十Gですよ」

「そ、そんなペラペラ言われてもわかんないわよ!」


 ムチムチの女戦士さんは憤っておられる。


「まいったな」

「どうかしました?」


 声を聞きつけて、アンが顔を出す。


「ちょっとアンちゃん、この人なんか計算怪しいんだけど。値段表も見ないし」

「ちょ、ちょっと待ってくださいね。ご主人様、どうされたんです?」

「ごめんごめん、実は」


 と手短に説明すると、アンは値段の一覧が書かれた表を取り出して確認する。


「あ、大丈夫です、八百五十Gであってますよ」

「え、そうなの? やるじゃない、値段覚えてるなんて」


 いや、計算したんだけどな。

 もしかして、あれか?

 暗算できないとか。

 昔のヨーロッパでは九九の語呂合わせみたいなのがなくて、いちいち表を見ながらやってたとか聞いたけど。

 あとで聞いとこう。


「いえいえ、それよりこちらが商品です」

「あ、ありがとう。じゃあ、お代を」

「まいど」

「ところであなた、アンちゃんのご主人様なの?」


 ムチムチのほうがころっと態度を変えて愛想よく訪ねてくる。


「ええまあ、そういうことに」

「へえ、おめでとう、良かったね、アンちゃん」

「ありがとうございます」

「仕事もできそうだし。いい人見つけたね」

「はい。気をつけて行ってらっしゃいませ」


 主人を褒められて、アンもまんざらでもなさそうだ。

 俺のことだけどな。

 二人を見送ると、アンが尋ねてくる。


「ご主人様、今のはどうやって?」

「計算しただけなんだけどな」

「暗算というやつですか?」

「そうそう」

「うーん、大きな商いをする商人などはそれが得意だそうですが、私は無理ですねえ。神殿でも算術は習いませんでしたし」

「これぐらいなら簡単だよ。掛け算は知ってるのか?」

「はい、この表は欠かせません」

「それの一桁同士の組み合わせを丸暗記するんだよ、たったの八十一個だからすぐに覚える。あとは足し算と組み合わせるだけだから、慣れればすぐだよ」

「むむ、よくわかりませんが素晴らしい、そんな秘密が。ちょっと教えて下さい」

「普通は語呂合わせで覚えるんだが……」


 語呂合わせしようとすると、自分の喋ってる言語が日本語でないことがわかる。

 発音を合わせるところからが大変な気もするが、もっと大変なことに気がついた。

 数字がローマ数字のような奇天烈な表記になっているのだ。

 スラスラ読んでいたので意識してなかったが、これじゃあ、計算は辛いよな。


「まず数字の書き方から変えないとだめだな」

「どういうことでしょう」

「えーとだな、まずこれを見てくれ」


 といってアラビア数字で0から9まで書いてみせる


「これは?」

「これはそれぞれ一桁の数字だ。」


 しかし十進数でよかった、十二進数とかだとさすがに混乱したところだよ。


「なるほど、これは合理的ですね。特に桁が増えた時が素晴らしい。これは革命的ですよ」


 アンはなかなか賢い娘だな。

 しばらく数字について話しているうちに日が暮れてしまった。

 続きは明日にして夕食となる。

 今夜はマメと干し肉のスープに、チーズ、そしてワイン。


「もっと美味しいものを召し上がっていただきたいのですが……、私が不甲斐ないばかりに」

「いやいや、それはこっちのセリフだよ。何から何まで世話になるなあ」

「もったいないお言葉です。さあ、せめて熱いうちに召し上がってください」

「よしよし、お前にも食べさせてやろう」


 そうやって、今日もイチャイチャと一日を終えたのだった。

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