第3話 精霊教会

「これ……これ、主殿」

「むにゃ……もうむり……勃ちません」

「あほう、夢の中まで盛るでないわ」

「あれ、夢?」

「そうじゃ、そんなこともわからぬとは、我が主ながら、うつけじゃのう」


 いつぞやの白いモヤの中で、俺はまた、ぼんやりと漂っていた。


「こんなところにおると、すぐに奴らに見つかるではないか。どれ、少し薄めておこうかのう」


 何か温かいものが胸元に触れる。

 唇のようだ。

 それが俺の肌に触れて、チクリと刺す。


「あいたっ」

「ぬふふ、黙っておれ、今、吸い出すのでな」


 耳に馴染むしわがれ声に促されるままに俺は黙る。

 胸元に空いた穴から、血を吸われるような感触がなんだか気持ちいい。

 そんなくすぐったいような、気恥ずかしいような、不思議な気分で目が覚めた。




「おはようございます、ご主人様」

「ん?」


 俺に抱かれて、胸元に顔をうずめていたアンが、さわやかな笑顔で微笑んでいる。

 なんだ夢か。

 そういえば夢って言ってたもんな。

 誰が?

 うーん。


 朝のご奉仕という、これまた素晴らしいことをしてもらってすっかり目の覚めた俺は、特にすることがないので朝食ができるのを待っていた。

 待ってるだけで朝食が出てくるなんて、ガキの頃以来だよ。

 炒り豆にパンとミルクの朝食をいただく。

 豆が大好きってわけではないよな、多分。

 やはりお金がないんだろう。

 育ち盛りじゃないので、俺はこれでも生きていけるだろうが、そのうち辛くなるかもしれないな。

 アンはもう少しいいものを食べないと成長しないんじゃないだろうか。


「私はもう成人ですけど?」

「そうなのか。メイド族ってのは、それじゃあ、みんなそんな体型なのか?」

「いいえ、人それぞれです。もっと成長してから成人するものもいれば、逆に幼女の段階で成人するものもいます。だいたい主人になるものとの相性で決まるそうですので、私はきっとご主人様にちょうどいい体型のはずですが」


 つまり俺がそういう趣味ってこと?

 知らなかった、俺っておっぱい星人系の人だと思ってたのに。

 いや、でもアンはかわいいな、とてもかわいい。


「あの……もっと成長した体のほうがお好みでしたでしょうか」

「いや、単に人間みたいにもっと成長するのかと思ってたから、俺の好みとかそういうのの話じゃなくてだな」

「そうですか。でも良かった、一度成長が止まると、あとはほとんど変わらないので」


 朝食を終えると、昨日話したとおりに、精霊教会というところにでかける。

 アンの生まれ育った場所だそうだ。

 昨日の散歩とは反対方向に大通りをすすむと、すぐに街の外壁に突き当たる。

 跳ね橋の門をくぐれば、そこは緑の街路樹が連なっていた。


「これがブルーム街道です」


 遠く王都まで続く、主要街道だそうだ。

 道の両側は緑の草原がどこまでも広がり、その先には雪を頂いた山脈が連なる。


「おお、こりゃ綺麗な景色だな」

「そうでしょう、この街はとても景色がすばらしいです」


 主要街道というだけあって、人通りは多い。

 旅姿の商人や、いかにもな格好の冒険者のパーティ。

 巡回中の兵士に、人をたくさん載せた駅馬車。

 そういったものを眺めながら道なりに小一時間も歩くと、どでかい建物が見えてくる。

 立派な石積みのゴシック風な馬鹿でかい神殿で、あたりは参拝客で賑わっていた。

 参道をまっすぐ進むと、巨大な三体の女神像が現れる。


「あれがネアル、ウル、アウルの像です」


 アンに教わったとおりに手を組んで、祈りを捧げる。

 さて、何を祈ったものか。

 日本にさほど未練がないから、何がなんでも今すぐ帰りたいわけじゃないんだよな。

 戻っても無職だし。

 むしろせっかくの境遇を楽しみたいという気持ちのほうが大きい。

 かわいいメイドもいるし。

 結局、願い事が思い浮かばなかったので、面白おかしく過ごせますようにと祈っておいた。

 俺が神様なら、スルーするな。

 まあ、神頼みはもっと困ってからしよう。

 参拝の人混みから離れて、木立を抜け、奥まったところにある建物に向かう。


「アスロ様!」


 アンが綺麗な黒髪をなびかせ居並ぶ婦人の一人に駆け寄ると、年配の女性が手を上げて迎えた。


「まあ、アン。どうしたのですか?」


 と、そこで言葉を切って、隣の俺に目をやる。


「おや、そちら様は……」

「この度、こちらの紳士クリュウにお仕えすることになりました。今日はその御報告に」

「まあまあ、それはおめでとう、アン」


 彼女は向き直って頭を下げる。


「紳士様、アンの後見人をしておりますアスロでございます」


 にこにこと品の良さそうな初老の婦人だ。

 彼女がアンの後見人、ということらしい。


「クリュウです、よろしくお願いします」

「貴方のような立派な紳士様にもらっていただけで、この子も幸せでしょう。この子のことを、どうかよろしくお願いいたします」


 挨拶の後、アンは来訪の目的を告げた。


「主人は、どこか異世界から来られたとおっしゃるのです」

「なんとまあ。では、クリュウ様はの一族だと?」


 放浪者ってなんだろう?

 アンはともかく、彼女は異世界から来るような存在について、なにか知っているのかもしれないな。

 尋ねようと思ったら、アンが先に、


「放浪者とは?」

「まあ、アン。あなたのように勉強熱心だった子が、パフ記の放浪者のくだりを学んでいなかったのですか」

「すみません。ですがブリュワ師はパフ記を授業では取り扱わなかったので」

「まあまあ、あの方にも困ったものですね。ですが、あなたも少し融通を効かせなければいけませんよ」


 なんだかアンが俺のせいでお説教されてるようだ。

 説教ってされてるうちは気が付かないけど、自分がする歳になると、そのありがたさがわかるんだよな。

 同時に、自分の未熟さも再確認させられるという。

 そんなことを考えていると、後見人のアスロがこちらに向き直る。


「失礼しました、それで、クリュウ様は外界から来た異邦人だとおっしゃるのですね」

「ええ、おそらくはそうではないかと。ただ、状況からそう考えているだけでして」

「さようですか」

「そこで、そういうことに詳しそうな方をご紹介いただけたらと」

「さて……そうだわ、ビオンの所の子がたしか放浪者の研究を……。でもあの子は今……」


 後見人のアスロは、しばらく思案した後に、


「申し訳ありません。一人詳しい者がいるのですが、先月より仕事の都合で遠征中でして、あとひと月は戻らぬはずなのです」

「そうでしたか。いや、それほど慌てることでもないのです。戻られた際に、改めてお願い出来れば」

「そうでございますか、では改めて使いを出しましょう」


 アンの後見人である婦人は、どこまでも上品に振る舞う。

 彼女もメイド族なのだろうか。

 尼のようには見えないが。


「それよりも、そのような事情でしたら、なにかとお困りでしょう。当面、遠方から来た巡礼者ということで、神殿で身元を保証させていただきましょう。といってもたいしたことはできませんが」

「それはありがたい、よろしくお願いします。しかし、ご迷惑がかかるのでは?」

「大丈夫ですよ。内なる精霊の輝きを見れば、貴方様が立派な紳士であることは明白です。それにアンの選んだ主人でもあるのですから」

「ありがとうございます」


 紳士というのは、相当に信用のある身分らしいな。

 これは滅多なことはできないだろうなあ。

 少し、紳士について調べておこう。

 帰り道、アスロという先ほどの婦人のことを尋ねる。


「アスロ様は貴族のご出身で、若いころにご亭主とお子様を事故で亡くされたそうです。その後、いろいろご苦労なされたそうですけど、今は教会でボランティアとして、私どものようなメイド族の面倒を見てくださっているのです」


 メイド族というのを保護する仕組みは、随分しっかりしてるんだな。

 実はなにか都合のいい奴隷的な身分なのかと想像もしていたのだが。


「私どもは女神ネアルの眷属として、宗教的に地位を保証されているんですよ。ですから、このように十分な保護を受けて、主人を探し、あるいはその後もお仕えできるんです」

「なるほどね」

「ですが、それも女神信仰、ひいては精霊信仰あってのこと。かつて南方などの異郷の地では、我々メイド族が虐げられていた、とも聞きます」

「宗教が違うからか」

「はい、昔の話、だそうですけど」


 女神を信仰してない土地でも、女神の眷属であるメイド族が生まれるのかな?

 その設定を額面通りに信じるものでもないのか。

 一応、覚えておこう。


 帰宅後、俺はアンが用意してくれた本を手当たり次第に読みふけった。

 大半は宗教関係の書物だったが、とにかく知識は役に立つ。

 それにしても、文字が読めるのはありがたい。

 何故読めるのかはわからないけどな。

 時折、アンにわからないところを尋ねると、内職の御札づくりの手を止め、教えてくれる。

 歴史は地球のそれとあまり大差ない。

 時代別に歴史をごちゃ混ぜにして、単語を置き換えて再構成すれば似たようなものが出来上がるだろう。

 強いて違いを言えば精霊か。

 そして魔法。

 もっとも、それほど万能の力でもないようだ。

 二十一世紀の地球のようにブラックボックス化した多様な技術に埋もれている方が、よほど魔法のようだ。

 少なくともこの世界における魔法は、火薬や化石燃料と言った物を代替する程度のものでしかないらしい。

 言い換えると、化学エネルギーのオーダーしか扱えないということだ。

 今のところ上辺だけしかわからないので、中には原子力並みのケタ違いのパワーの有る魔法などもあるかも知れない。

 そもそも、俺は魔法が使えるんだろうか?


「魔法ですか? 今までお使いになったことは?」

「ないよ」


 ガキの頃、手品は得意だったけどな。


「うーん」


 と、アンは少し考える素振りを見せてから、


「じゃあ、試してみますか」


 と表にでて、桶に水をはる。


「ここに手をかざして、燃えろ、と念じてみてください」

「それだけ?」

「それだけです」

「こう、呪文とか、精神統一とか、そういうのは?」

「燃やすだけなら、ないです」

「そうか。……燃えろ!」

「……」

「燃えないね」

「燃えませんね。じゃあ、凍れ、と」

「凍れ!」

「……」

「凍らないな」

「凍りませんね」

「だめか」

「だめですね。まあ、そういうものです」

「そうか」


 というわけで、使えなかった。


 ちなみに、アンは初歩の回復呪文が使えるらしい。

 擦り傷が治る程度のものだが、十分便利なものだろう。

 まあ、魔法はいずれ詳しく調べてみよう。

 それとは別に、自分の異世界の知識を生かして、金儲けをするチャンスはないだろうか。

 そういうことも、調べておくべきだろう。

 身寄りもない俺が、異世界で暮らすとなれば、何はともあれ金がいる、たぶん。

 金ももたずに知らない土地で生きるほど、惨めなことはないもんだ。

 いや、身寄りはいたか。

 アンを見ると目が合う。

 にっこりと微笑む姿はとても素晴らしい。

 この笑顔が自分のものだなんて、考えただけでよだれが出てくるじゃないか。

 最初にこの娘に会っていなければ、俺はこんなにのんびり本など読んでいられなかったかもしれない。

 主人云々はさておき、この恩はちゃんと返してやらんとなあ。


 読書をやめて、店越しに表の通りを眺める。

 夕方になると宿に戻る冒険者が増えてくる。

 冒険者というのも気になるな。

 ざっと聞いた話では、それこそRPGの主人公のように、野山やダンジョンを巡り歩いて魔物を倒し、財宝を手に入れる職業だ。

 一時は減っていたが、最近はまた増えているそうだ。

 とくにエツレヤアンというこの街は冒険者との関わりが深いとも聞く。

 それでよく見かけるのかな?

 もっとも、腕っ節に自信のない俺には向かないだろうな。

 アンは冒険者としての基本も学んだというが、相方がド素人の俺ではどうにもなるまい。

 やってみたくはあるが、命あってのご奉仕ライフだ。

 焦らずじっくり、楽しみましょうかね。

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