第2話 アンというメイド

 俺はわけの分からぬままに、少女の案内で小さな雑貨屋に連れ込まれた。

 古いヨーロッパ風の町並みは異国情緒にあふれて立派なものだが、こんな所が近所にあっただろうか。

 店は一畳ほどの小さなスペースに木製のワゴンや戸棚が並び、何やら書かれた御札がたくさん置かれていた。

 その奥は、小さい板張りの一間で、俺は押し込まれるように、そこに上げられる。

 少女はサイズの合わない外套を出して俺に着せてくれた。


 それはありがたいのだが、早く警察に連絡したい。

 電話を借りようとして、周りを見渡すと、なにか違和感がある。

 まず、家電製品がない。

 天井に電球もない。

 いくらレトロ風だからといって、全くないわけがないだろう。

 改めて周りを見まわすと、すぐにあることに気がついた。

 知ってる文字が一つもない。

 雑貨に添えられた値札、壁の黒板の文字、ポスターの売り文句。

 そのどれもが俺の知らない文字で書かれていた。

 そして、それにもかかわらず、俺はそれが全て読めていた。


 なんだこりゃ?

 わけがわからない。

 そういえば、彼女の話す言葉も日本語じゃない……気がする。

 頭でも打って、どこかおかしくなったのだろうか。

 混乱している俺に、彼女がお茶を入れてくれた。


「どうぞ」


 取り乱すのは後回しにして、まずはお茶を頂く。

 惑わない男なのだ、俺は。

 まだ三十代だけどな。

 ぐびり。

 うまい。

 なごむぜ。

 俺が飲み終わるのを見計らって、少女は姿勢を正して話しかけてくる。

 さっきほどではないが、相変わらず体はうっすらと光っている。

 これが一番の謎だな。


「私、のアンと申します。先ほどご覧頂きましたように、貴方様こそ我が主人にふさわしいお方。何卒、貴方様の従者の末席にお加えいただきたく、お願いいたします」


 そうかしこまって少女は三つ指ついて、頭を下げてきた。

 俺はまた混乱してきた。

 混乱しすぎて何から聞けばいいのかわからないが、とにかく少女の必死さに押されて、俺はつい「いいよ」などと気安く答えてしまった。


「あ、ありがとうございます」


 少女は飛び上がらんばかりに喜んで、頬を紅潮させる。

 よく見るとかわいいな、この子。

 きれいな黒髪に整ったボブがよく似合う。


「では、主従の誓いに……契約の印を……頂きたく」


 少女は顔を赤らめながら、熱い眼差しで見つめてきた。

 それに、なかなか色っぽいぞ。

 小柄だが、年齢は結構いってるのかもしれない。


「契約?」

「はい」

「具体的にはどういう」

「も、もちろん……」


 もじもじと言葉に詰まりながら、アンと名乗ったメイド姿の少女が説明するところによると、契約、あるいは血の契約などとも言うその行為は、主人が従者となる者に己の一部を与えて契約の印とする。

 そのやり方も諸説あるらしいがもっともオーソドックスな方法をざっくばらんに言うと、つまり、いわゆる一つのすることらしい。

 ナニってのはアレだ、アレ。

 いや、まずいだろうがっ!

 もしかしてそういう商売?

 昼間から?

 それ以前に年齢的にどうなのよ、君いくつよ、と尋ねると、


「え、私は今年で……」


 いや、聞かないでおこう、それよりもだな。


「いやそのね、やっぱりちょっと考えさせて」

「そ、そうですか」


 俺の言葉に彼女は落ち込み、さらには体の光までしぼんでしまった。


「やはり私のような小娘では……ご満足いただけないでしょうか」

「いやほら、君がどうこうという訳じゃなくてだな、ちょっと記憶が混乱してるというか、ここがどこかもわからなくてだな」

「記憶が?」

「記憶がないんじゃなくて、なんていうか、さっきまで全然違うところにいたはずなのに、気がついたら突然あんな路地で倒れててだな」


 動揺しまくりだな、俺。


「では、お医者様をお呼びしましょうか?」

「その前に、ここがどこかを教えて貰いたいんだけど」


 どうも、ここは全く知らない場所に思える。

 言葉が通じなければ、外国だと言われてもおかしくない。


「ここは……」


 ここはスパイツヤーデという国の外れにある、エツレヤアンという学園都市の郊外、ハクサ通りというところらしい。

 彼女はの娘で、アンと言うそうだ。

 聞いたこともない国だ。

 そもそもメイド族ってなんだ?

 それはさておき、これはあれだ、外国でもなくて、だな。

 いやいや、そんなナンセンスな。

 夢かな?

 夢なら別にこの子に手を出してもいいんじゃ。

 だが、違った場合が困るな。

 無職になったばかりとはいえ、俺も分別の有るアラサー独身男性だ。

 もうちょっと考えてみよう。


 原因として思い当たるのは、隣の娘が押しかけてきた時のあれぐらいだが、あれがどう現状に結びつくのか?

 案外怪しげな薬で眠らされて、今も夢でも見てるのかもしれないが。

 やっぱ夢か。

 そういえば、変な夢も見たような。

 それよりも問題は目の前のこの少女だ。


「我々メイド族は、神話の時代に女神の眷属として生み出され、偉大なる神々や英雄、そして紳士と呼ばれる選ばれた者にメイドとして仕えてまいりました」


 だそうだ。

 そしてこの俺が、その紳士だという。


「貴方様のような紳士にお仕えすることこそが、我々メイドの喜び、生まれてきた目的なのです」


 まあなんだ、知性と教養、醸し出す品位という点では、俺も紳士的ではあるけどな。

 いや、ツッコミはいい。

 その証拠が俺の身に着けている赤い宝石らしい。

 これは俺が生まれた時から持っていたものだ。

 正確には、生まれた病院のベッドで、気がついたら手に握ってたものだ。

 誰かがくれたお守りだろうということで、母が喜んでネックレスに仕立てて持たせてくれた。

 以来、俺はずっとこれを身に着けている。


「紳士はその印である精霊石を握りしめて生まれてくるといいます。いえ、それ以前に貴方様から感じる、偉大な精霊の力は、まさに紳士そのもの」


 無論、俺は日本でそんな話を聞いたことはない。

 幼い頃になくなった両親の形見のつもりで持っていたが、まさかこれにそんな秘密が。

 主人の対象は色々あれど、メイド族にとって紳士に仕えることこそが最大の名誉なのだそうだ。

 彼女たちは自分が仕えるべき運命の相手が世界の何処かにいると信じて、旅をしたり、修行をしながら、主人となる相手を探すのだという。


「私はここで神に捧げる御札を作って修行をしていました。それもこれも、貴方様に出会うこの日のため。どうか私を……」


 そう言って再び頭を下げる。

 彼女の説明はわかった。

 ここがどういう所かも、大体わかった。

 なんかファンタジーであれな世界らしい。

 なぜ俺がこんなところにいるのかという、最大の疑問は全く解決していなかったが、それよりも問題は目の前のメイド少女だ。

 必死に懇願する彼女の体からは、赤い炎が溢れだしていた。

 それは彼女の喜びや不安といった葛藤をまざまざと表しているようにみえる。

 多少の恩はあるとはいえ、出会ったばかりの少女の、この重すぎる要求にどう答えたものか。


 結論から言うと、俺は彼女と契約してしまった。

 うん、まあ、しょうがないよね。

 小さな身体を隣に横たえた彼女の、幸せそうな顔を見ていると、猛烈な罪悪感が湧いて来るわけだが。

 どうしてこうなった。

 俺が自問してる間にアンが何処かから買い求めてきた古着を着て、どうにかパンツ一丁の状態から脱出する。


「すみません、私の蓄えではそのような古着しか買えませんでした。もっと紳士にふさわしいお召し物をご用意したいのですが」

「いやいや、これで十分だよ」


 あえて胸を張って、貫禄を見せる。


「どうだ、似合うかね?」

「ふふ、素敵です、ご主人様」

「そうだろう」

「そういえば、ご主人様のお名前を伺っておりませんでした」

「あれ、そうだっけ」


 黒澤久隆だ、と答えると、


「クロサワ、フィ、フィサタカ様?」

「ヒサタカ……発音しにくい?」

「申し訳ありません、すぐに覚えますので」

「じゃあクリュウでどうだ?」

「クリュウ様……ですか」


 俺のガキの頃からのあだ名だ。

 名前を音読みしただけだが、頼みもしないのに何故か学校でも会社でもクリュウと呼ばれていた。


「では、クリュウ様」

「うん、それが名前だよ」

「はい。もっとも普段はご主人様とお呼びいたしますが」


 まあ、そこは好きにしてもらおう。

 せっかくのメイドさんだしな。


「ではご主人様は、異世界から来られたのですか?」


 アンに食事の用意をしてもらいながら、俺の身の上話をしてみた。


「たぶん、そうじゃないかと思うんだがな。そういう話は聞かないか?」

「ちょっと、心当たりはないですね。エツレヤアンの学者なら、なにかわかるのかもしれませんが」


 なんか変わった名前だな。

 けつにアンがついてると全部アンコに思えるのは気のせいか。

 いや、くだらないボケを挟むところじゃないな。

 そいや彼女の名前もアンか。

 こっちのアンコはまた格別の……いや、おやじくさい発言はやめとこう。

 紳士だからな。


「あるいは、別の星から来られたのでは?」

「星?」


 馬鹿なことを考えていると、アンが話を元に戻す。


「はい。かつて女神は天よりこの地に舞い降り、魔族を地の底に封印したといいます。実際、古代文明の遺跡には、そのことを裏付けるものが見つかっているそうですし」

「ほほう」


 なるほど、ファンタジーと思ったらSFというパターンか。

 昔、遊んだゲームではよくあったな。

 最近は仕事におわれてゲームどころかTVを見る暇もなかったが。

 それでも数年前、仕事が順調だった頃は、会社の同僚と流行りのMMOで徹夜したものだった。

 けど、三十過ぎると急に徹夜ができなくなるんだよな。


 いやまあ、ゲームの話はいい。

 確かにここは地球では無さそうだが、案外、五十六億年後の地球とか、そういうパターンかもしれないし。

 いやいや、それなら体が光ったりはしないだろう。

 だが、猛烈に進んだ科学であれば魔法のように見えるというしな。

 ナノマシンとかそういうのあるだろ、たぶん。


 まあ、今は想像するより、情報を集める方が先だな。

 アンは服の次に食事を用意してくれた。

 黙っていても万事取り計らってくれる、実に素晴らしいメイドだ。

 出された食事は、豆のスープに硬い黒パンの質素なものだった。

 見かけはともかく味はいい。

 空腹を加味すれば、だが。


「旨いな」

「ありがとうございます。私一人の暮らしでしたので、ろくな物が用意できずもうしわけありません。もっと気の利いたものが出せればよかったのですが」

「いやいや、旨いよ」


 半分ほど食べ終わってから気がついたが、もしかしてこれは彼女の昼食だったのでは?


「お前は食べないのか?」

「あ、はい、私はもういただきましたので……」


 嘘だな。

 やはりここは紳士らしい貫禄を見せねば。

 振る舞いが人を作ると言うこともあるのだ。


「アン君」

「は、はい」


 急にかしこまるアン。


「主従となったからには、何事も包み隠さず行なってこそ、信頼が得られると思うのだがね」

「おっしゃるとおりです」

「ふむ」

「申し訳ありません、昼食の用意はそれしかありませんでしたもので」

「そ、そうか。食べ残しだけど、たべるか?」


 と、豆のスープをすくってみせると、


「よ、よろしいのですか?」


 アンは口を開いて、顔を突き出す。

 これは食べさせろということか。

 スプーンをそっと口に差し入れると、きゅっと唇を閉じて口に含む。

 そのまま、喉を鳴らして飲み干す姿は、妙に色っぽい。

 スプーンを抜き取ると、少し糸を引いたように見える。

 アンはスープで湿った唇をぺろりと舐めて、「おいしい」と微笑んだ。

 なにこの……なにこのさん。

 手にしたスプーンをしゃぶりたい衝動をぐっと抑える。

 さすがは大人だぜ。

 だが、アンはそんな俺の気持ちを見透かすように、俺の手からスプーンを取ると、スープをすくって、俺に差し出す。


「さあ、ご主人様も、どうぞ」


 はい、いただきます。

 そうやって交互にスープを飲ませあって、すっかり満足した俺は、改めて部屋の中をみまわす。

 幅二メートルほどの細長い板張りの小部屋と、通りに面した小さな店舗がこの家の全てだった。

 表に出ると、両隣も似たような店舗が並ぶ、商店街のようなものである。

 正面は、幅二十メートルはある大きな通りで、人通りも賑やかだ。


「ここは精霊教会の所有する建物で、私のような修行中のものが借り受けて、御札を売ったりしながら生計を立てています。あくまで修行の一環としてですが」


 彼女はここで、魔法の札を作って売っているのだという。

 そうして旅人や、冒険者に札を売ってメイドとしての修行をしながら、主人となる相手を探していたそうだ。


「まさか、路地裏であんな格好で現れるとは思いませんでしたけど」


 そう言ってアンは苦笑する。

 俺も思わなかったよ。


「やはり、ご主人様は元の世界に戻られるのでしょうか」

「戻れるなら戻りたいが……そもそも、まだ何もわからんしなあ」


 それに、この子のこともどうしよう。

 成り行きとはいえ、責任とらんと。

 なんせ紳士だからな。


「私は、常にお側に仕えさせていただければ、どのような土地にでもついていきます」

「そうか。まあ、おいて行ったりはしないから」

「はい」


 どこまでも俺を信頼した笑顔で、アンは頷いた。


 アンの案内で散歩に出てみる。

 石造りの街並みには、わずかに潮の香りが混じっていた。


「南に二キロほど行くと、港町に出ます。美味しい魚が取れるんですよ。めったに買えませんけど」


 港が近いのに魚も食えないとは、なんだか想像以上に貧乏な暮らしをしているらしい。

 家の中にも物がほとんど無かったしな。

 精霊教会がどうのと言っていたし、宗教的な理由で清貧に務めているのだろうか?

 契約などと言って、こんな少女にナニさせるぐらいだから、ガチガチに厳格な宗教というわけでもあるまい。

 ドロドロにみだらな宗教でも困るが。

 いや、困らないか?


「それが、御札が全然売れなくて……」


 単に商売がヘタなのか。

 それなら多少は協力できるかな?

 小売業は学生時代のバイトしか経験がないが。


 街ゆく人は、ちょっと民族がかった衣装を着ていることを除けば、概ね自分と変わらない……と思っていたら、青い肌や長い耳、それに獣っぽいのまで、いかにもな連中もまれに見かける。


「賑やかな街だな」

「はい。エツレヤアンには様々な人種や経歴の人が集まります。魔法技術の最先端でもありますし」

「学園都市なんだっけ?」

「元々は冒険者を育てる学校だったそうです」


 そう言ってアンが遠くに見える尖塔を指さす。


「伝説の勇者が魔王を倒した褒美に授かったこの土地に建てた、冒険者学校のようなものが始まりで、そこに魔導師や神官なども集まってきて、今のような巨大な学園都市になったのだとか」

「なるほどね。そういうところなら、俺がどうやってここに来たか、わかる人もいるかもしれないな」

「ですが、私にはコネがありませんので、一度精霊教会の神殿にいって、紹介していただくのが良いかと思います」

「精霊教会というのは?」

「女神と精霊を信仰する精霊教会のことですが……」


 アンは少し首をひねってから続ける。


「私達メイドは女神の卵と呼ばれる巨大な精霊石のご神体から生まれます」

「母親から生まれるんじゃないのか?」

「そうです、私たちは人のような生殖は行えません。そもそも女しかいませんし。精霊石から生まれて、死ぬと精霊となって天に帰ります」


 そんな不思議生物だったのか。

 そういやさっき何も考えずにナニしちゃったけど、避妊しなくてもOKだったのか、よかった。


「ですから、いくらご奉仕させていただいても大丈夫なんですよ」


 とアンは微笑む。

 うっ、なんか全部お見通しな感じだ。


「それでですね、生まれると精霊教会に保護され、一人前になるまでそこで育てられます。その後、奉仕誓願を立て、それぞれが主を探しながら己を磨く旅にでるのです」

「なるほど」

「いわばメイド族の後ろ盾でもあるので、こういう場合はまず頼ることになりますね」


 つまりアンのホームというわけか。

 頼れる相手がいるのは心強いな。

 俺はあんまり身内がいなかったからなあ。


「あと、貴方様のような立派な主人を得られたことを、女神様にご報告いたしたいですし」

「女神様かあ」

「ここからだと片道一時間ほどかかりますので、明日にでもどうでしょう」

「ああ、たのむよ」

「かしこまりました」


 夕食後、アンは手桶にお湯を張って、俺の体を綺麗に拭ってくれた。

 お風呂はさすがにないらしい。

 だが、こうやって愛らしい少女に体の隅々まで綺麗にしてもらうというのは、実に退廃的な楽しみではなかろうか。

 その後たっぷりとというのをしてもらう。

 たまらん。


 すっかり満足して、薄く小さい布団に二人でくるまると、互いの火照った体が触れ合って心地いい。

 だが、それが冷めてくると、いささか肌寒いようだ。

 立て付けが悪いのか、隙間風も吹いてくる。

 日本で言えば、三月ぐらいの気候だろうか。


「申し訳ありません、もっとしっかり稼いで、もう少しましな暮らしをしていただけるように頑張ります」


 そこを頑張るのは主人の俺の勤めじゃないのだろうか。

 しかし金かあ。

 金さえあれば会社も無くならなかったんだよなあ。

 金は大事だよなあ。

 俺もどうにかして稼がないと。

 それ以前に働けるのか?

 戸籍とかどうなってるんだ?

 異邦人の扱いってどうなんだろう。

 ああ、そういう話はめんどくせえなあ。

 そんなことを考えていると、いつの間にか俺は眠りに落ちていた。

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