卒業式ハイジャック計画
卒業式というのは学校生活を締めくくる一大イベントである。しかし高校の卒業式となると、すでに小学校と中学校の卒業式を経験したあとだから、じつにあっさりとしたものになる。卒業生の歌もなければ、在校生の歌もない。卒業生の別れの言葉なんてものもない。校長やPTA会長の長々とした説教を聞くだけの退屈な時間である。そんな時間を、過剰な自意識とエネルギーに満ちた十八歳が耐えられるはずがない。
ヒロキは卒業式に実行すべき一つの計画を持っていた。卒業式ハイジャック計画だ。この日のためにヒロキは仲間たちと入念な準備を進めてきた。決行のタイミングは校長が祝辞を読み始めた瞬間だ。手始めに、三年三組で最前列に座っているハルカがパイプ椅子から滑り落ちる。パイプ椅子が床に倒れ鈍い音を立てる。
「先生! ハルカさんが貧血のようです!」
「すぐに保健室に連れて行きましょう」
両隣に座っていた男子生徒が、ハルカの肩と足首を担いで体育館の外に連れ出す。生徒だけでは心配だからと、三年三組の担任教師も連れだって体育館を出る。もちろん男子生徒も教師もグルだ。校長は祝辞を遮られ、壇上でおろおろしている。第一フェーズが無事に決行され、ヒロキはほくそ笑んだ。ここから次の段階に移る。
校長は小さく咳払いをしてから祝辞を再開した。
「えー、彼女のことが心配でなりませんが、ここはひとまず祝辞を読み上げさせていただきます。えー、みなさんが本校の卒業生であることを大変誇りに・・・」
校長はまたしても祝辞を中断した。彼の目線の先には、じゃがいもの被り物を被った三年生の生徒がいた。被り物はヒロキたちが夜なべして作ったものだ。きっちり三年生全員分を作るのに、十人の人出をもってして三日間徹夜をしなければならなかった。最初は一人きりだったじゃがいも生徒が、やがて二人、三人と増えていく。校長はその光景に目を疑った。愛すべき生徒たちが連鎖反応のように次々とじゃがいもへと変わっていく。緊張をほぐすために聴衆のことをじゃがいもだと思うと良い、というのは使い古された決まり文句である。しかし聴衆が現実にじゃがいもへと変わっていくなど、夢にも聞いたことがない。
三年生全員がじゃがいもへの変態を遂げたとき、校長はようやく口をひらいた。
「えー、みなさん、卒業おめでとう」
それは歴代の校長たちのなかで最も弱弱しく威厳のない祝辞だった。百数名のじゃがいもたちに見送られ、校長は茫然自失のまま壇上を降りた。帰ったら精神科に行ってみよう、と校長は思った。
そして第三フェーズが始まる。突如として体育館を照らしていた照明が落とされた。そして二階に並んでいた窓たちに一斉にカーテンが引かれる。体育館を照らす光はカーテンの隙間から漏れ出すこぼれ日のみとなった。そして轟音、スピーカーから流れる音楽、ステージ中央へのまばゆいスポットライト。シンセサイザーと打ち込みのドラムで構成されたアイドルソングに合わせ、退場したはずのハルカと男子生徒たちがステージの上手から登場する。そこから始まる、嘘偽りない正真正銘の「卒業ライブ」。卒業式で行うライブを「卒業ライブ」と呼ばずしてなんと呼べば良いだろう。ハルカたちはビビッドカラーのステージ衣装に身を包み、はつらつと腕を振り、足を上げる。
唐突に始まった卒業ライブに熱狂するじゃがいも頭たち。大量のパイプ椅子がなぎ倒され、生徒たちはステージ前になだれ込んでいく。どこからか持ち出されたペンライト、宙を舞うパイプ椅子、そして意味を成さない発狂と歓声。体と体がぶつかり、汗と涙がスポットライトの光を受けて煌めく。ため込まれていたエネルギーの発散、残された若さの消耗。それは彼らの青春の残滓でもある。彼らの青春、仲間と励まし合った部活動、退屈極まりなかった授業、体育大会、文化祭、二泊三日の京都への修学旅行、初めての男女交際、そしてその破綻、実らなかった恋心。その場にいた誰もが三年間の青春のカオスの中にあり、その残り香に触れようと懸命に手を伸ばす。ライブが終わってしまえば、この煌めきには二度と触れられないことを彼らは知っている。
そして音楽が終わる。訪れたはずの沈黙をかき消すように、軽快な爆発音とともに真っ白なリボンが発射される。リボンはひらひらと宙を舞い、じゃがいも頭の男子生徒に、女子生徒に、降りかかっていく。
第四フェーズ。在校生たちが蓋を開けた段ボールを台車に載せて運んでくる。じゃがいも頭たちは蛸が蛸壺に入っていくように、段ボールの中にその身を畳み入れる。在校生は押し込むようにして段ボールに蓋をし、ガムテープで封をする。そして台車を押して体育館の外に運び出す。三年生の卒業である。じゃがいも頭たちが次々と段ボール箱に詰められる様子を、校長は茫然と眺めていた。そして最後の一人が運び出されたとき、体育館の床にはパイプ椅子と真っ白なリボンが残った。
卒業式のあと、ヒロキは共犯者のハルカを家に招き入れた。ハイジャック計画成功のお祝いをしようという口実だった。ハルカはにこやかに誘いに応じた。
「僕は君が好きだ」
ヒロキはハルカにそう伝えた。ヒロキの部屋で、学習机の上にポテトチップスの袋とオレンジジュースが置かれていた。大学に入ったら、僕と付き合ってほしい。
「言ったでしょ」とハルカは口を開いた。「私、じゃがいもになるつもりはないの」
だからあなたとは付き合えないわ。彼女は真っ白のリボンを手首に巻いてブレスレットにしていた。その煌めきにヒロキは目をつぶった。
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