約束の時間を過ぎて

 校舎の三階の空き教室に、由佳は廣瀬を呼び出していた。二人は同じクラスの同級生だった。十七時に来てね、今日は部活もないんでしょ。放課後、由佳は一方的に廣瀬に言いつけて教室を出た。放課後すぐにしなかったのは心の準備の時間が必要だと思ったからだ。愛の告白なんていうことに由佳は慣れていなかった。

 教室の後ろの方に余った机が固められている。由佳はそのうちの一つに腰かけて足をぶらぶらさせていた。自分の心臓の音がひどく大きく感じられた。耳鳴りもする。グラウンドで部活をする生徒たちの声が聞こえる。遠い空で飛行機が飛んでいく。最寄駅から学生や会社員をたくさん乗せた電車が発車した。あらゆる音が由佳の頭に流れ込んでいく。由佳は三回深呼吸をした。黒板の上の時計は十六時五十分を指している。約束の時間まであと十分ある。



 校舎の三階の空き教室で、廣瀬は由佳を待っていた。黒板の上の時計は十六時五十分を指している。指定された時間まであと十分ある。廣瀬は何のために由佳に呼び出されたのか思案していた。自分が犯した失態について由佳に怒られるのではないか、と廣瀬は考えていた。もしかしたら、由佳に借りていたボールペンを一か月経っても返していないことに腹を立てたのかもしれない。あるいは、電話でモーニングコールをしてもらったのに二度寝をして学校に遅れたことが癪に障ったのかもしれない。あるいは「最近太った?」と彼女に言ったことが逆鱗に触れたのかもしれない。廣瀬は見当違いな憶測で頭を悩ませていた。しかし彼はたった今間違いを犯していることに気づいていなかった。三階には、廊下の北の端と南の端の二つの空き教室がある。由佳は北側の空き教室と伝えていたが、廣瀬は南側の空き教室にいた。



 十七時を過ぎても廣瀬は由佳の待っている教室に来なかった。由佳は相変わらず机に腰かけて足をぶらぶらさせている。夕日が教室を茜色に染め始めている。やっぱり告白するのはやめよう、と由佳は思った。別に友達のままで困ることなんてないじゃないか。

 由佳は机を飛び降りて教室を出た。

「由佳!」

 背後からの声に由佳は立ち止まった。振り向かなくたってそれが廣瀬だということくらい分かる。こういうとき、どんな顔をして振り向けば良いのか由佳には分からなかった。足音が駆け足になって近づいてくる。由佳は呼び出した理由の言い訳を頭の中にいくつも思い浮かべた。せっかくなら、軽く怒って気を紛らわせてやろう。怒る動機はいくつもある、返ってこないボールペン、意味のないモーニングコール、太ったと言われたこと。よし、この線でいこう。由佳は目を細めて不機嫌そうな顔をして振り返った。廣瀬はもう由佳の目の前まで来ていた。

「ごめん、向こうの空き教室かと思って」

「違うよ、北側って言ったでしょ」

 由佳は努めて低い声でそういった。冷たくするのにも慣れていなかった。

「いや、北と南って間違えやすいじゃん」

「もういいよ。てか、今日は文句を言ってやろうと思ったわけ。前に貸したボールペン、返してほしいんだけど。あれお気に入りなの」

「家にあるよ。明日持ってくる」

「あと、電話で起こしてやったんだからちゃんと起きなさいよ。なんのために早起きしてモニコしてんのよ」

「ごめん」

「あと私、太ってないから! そう思っても言うもんじゃないから!」

 由佳がそう言うと、廣瀬はごめんと言ってから小さく笑い出した。

「なに笑ってんのよ」

「いや、思った通りだと思って。呼び出された理由、そんなところじゃないかと思った」

 廣瀬はこみあげてくる笑いを堪えながらそう言った。自分の考えを見透かされていたことが、由佳には恥ずかしくてたまらなかった。

「分かってるなら先に謝りに来なさいよ」

 由佳は顔を赤らめてそっぽを向いた。

 その日、二人は駅までの道のりを並んで歩いた。それは二人にとって毎日の習慣だった。いつもと同じ道のりが、いつまでも同じ道のりであってほしいと、二人は同じことを考えていた。

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