初デート

 その映画が始まって、どのくらいの時間が経っただろうか。スクリーンでは、高校生の甘々な恋愛映画が上映されている。顔の良いヒロインと顔の良いイケメンが、ひたすらイチャイチャする映画だ。

 もちろん、こんな作品を一人で見に来たわけではない。

 俺の左隣の席には、なんとサヤちゃんがいる。

 聞いて驚くな、あのサヤちゃんだぜ。栗色ロングヘアのサヤちゃん。腰回りは細いのに胸はボインのサヤちゃん。顔に似合わないアニメ声のサヤちゃん。クラスの男子全員の注目の的。

 そのサヤちゃんと、俺は念願の初デートをしているのだ。二人っきりの映画デート。もはや映画の内容なんて頭に入ってこない。俺の心は音量を間違えたスピーカーみたいにバクンバクン鳴っている。

 けれども、それはサヤちゃんとデートする喜びによるものではない。


 


 俺の膀胱は限界を越えようとしていた。原因ははっきりしている。余裕のある男を演出しようとして、大きなサイズのコーラとポップコーンを頼んでバクバク飲み食いしていたからだ。

 チラリと左隣に目を向けると、サヤちゃんはスクリーンの中のイケメンに釘付けになっている。

 なんてとろんとした目なんだ!

 ちょっとトイレ行ってくる、なんて言えるわけがない。そうでなくても、俺の列の席は全部観客で埋まっているのだ。なぜ張り切って公開初日に来てしまったんだ、俺の馬鹿。


 スクリーンでは場面が変わり、イケメン彼氏が映し出されている。そこに、友達と思しき男子生徒が駆け寄ってくる。

「なあ、連れション行こうぜ」

 おい嘘だろ。頼む、それだけは、やめてくれ。

 俺の願いも虚しく、シーンは男子トイレに移った。

 ちょろちょろちょろ。清潔な便器を液体が流れる音。ああ気持ち良い、とわざわざ口に出す友達役の俳優の間抜け顔。

 俺の膀胱は、餌を前にした飢えたライオンのように凶暴な唸り声を上げている。だめだ、頭がくらくらしてきた。


 映画は俺に挑戦しているみたいにゆっくりと進み、ようやくクライマックスを迎える。夕暮れの高校の屋上。そこでヒロインとイケメン彼氏はキスを交わす。

 周りの観客からも吐息が聞こえてくる。しかし俺にはどうでも良い。キスでもなんでも、さっさとしてしまえ。ああ良かった、もう終わってくれた。いや、おいやめろ、二回目を始めるな! 三回目! 何回やるんだこいつら!


 その時、左隣から伸びてきた細い腕が、俺の太ももに触れた。さわさわ。ズボン越しに伝わる指の感触。驚いて隣を見ると、サヤちゃんが俺の顔を覗き込んでいる。

 なんてつぶらな瞳なんだ!

 サヤちゃんはその右手で、俺の太ももを何度か叩いた。とんとん。とんとん。なんだ、この嬉しい状況は。思わず膀胱を締めていた筋肉を緩めそうになる。

 そしてサヤちゃんは、ついに俺の左手を握った。その手の温かさたるや! 左手を通じて、膀胱にまで伝わってくる。嬉しさと緊張で、俺は真っ二つに裂けてしまいそうだ。


 サヤちゃん、サヤちゃん、大好きだ! けど今はそれどころじゃないんだ!


 俺の心がそう叫んだ瞬間、サヤちゃんは俺の左手を握ったまま勢い良く立ち上がった。そして他の観客たちの足元を縫って、俺をシアターの外まで引っ張り出した。


 家に帰ったあと、サヤちゃんからメッセージが届いた。

「今日はありがとう。楽しかったよ。でも、トイレは行きたい時に行けば良いと思うよ」

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