第1話 人生の境界線
2017年の春。僕は大学4年生になった。そう、4年間の長いモラトリアムもあと残すところ1年。単位は夏までには卒業要件は満たす予定だし、あとは就職活動をいかに進めるかだった。
前年の夏から、僕はゼネコンに焦点を当て、インターンに積極的に参加した。なぜゼネコンかというと、小さい頃から巨大な建物が大好きだったからだ。
福島の田舎で生まれた僕は、時たま親戚のいる東京の家に遊びに行った。その時、東北新幹線に乗り、小山を過ぎるとだんだんと田園地帯や民家よりもビルが目立ちはじめ、高崎の方から新幹線の線路が合流してくる頃には、街並みは一変し、建物だらけの風景になる。そして、さいたま新都心が見えてくると、その建物の大きさにまず驚かされた。
荒川を越えるとますます巨大な建物があちらこちらに見えはじめ、東京駅で降り、丸の内に向かうと、出口を出た瞬間、巨大なビル群が視界を独占した。当たりが山や田畑、ちらほらと民家が見えるくらいの僕の田舎と比べたら、それは目新しい光景だったし、これを全て人間が作ったと思うと、途方もなく素晴らしい偉業に思えたのだ。
そういうわけで、僕はそんな建物を作って、自分の偉業を後世に残したいなどという大それた想いを胸にゼネコンを志望したのだ。
しかし、結論から言うと僕はゼネコンに全落ちした。ESは何とか通るのだ。文章を書くこと自体はそこまで苦手ではなかったと思う。それこそ、大事なことは端的に鉤括弧で括り、それを冒頭に見出しのようにして、そこから詳しく書いていくなど、忙しい社員さんたちがすぐ見てくれるような工夫をするなどはした。
ただ、そこができても、肝心の中身が備わっていなかったと言うか、それを面接で相手にうまく伝えられないのだ。ほとんどの企業が大学の成績だとか試験の結果などより面接を重視する。文系なら尚更その傾向が強い。その面接で全くPRできなければ、落ちたのは決まったも同然だった。何度も何度も自己分析やイメージトレーニングをして、就職課の人や友達と面接の練習をしたが、なぜか本番は上手くいない。
いや、本番で100%そのまま上手く行くはずはない。これは、単に場数が足りないんだ。そう思って、ゼネコンにこだわらず、その周辺業種の企業、ハウスメーカーや住宅設備の企業を受け出した。それでも、受からず、少し自分を見つめ直し、自分はどちらかと言うと誠実さや真面目さが売りかなと思い、それが活かせそうな銀行や損保生保など金融系や準公務員系の企業や団体を回り始めたら。そして、それも全落ちした。
こうなると焦りだけが付き纏い、とにかく一社でもいいから合格して自信が欲しいと思い、今までは全然狙ってもいなかった中小企業や自動車メーカーや飲食業、スーパーや商社など、一貫性なく、自分の興味や関心が少しでもあれば受けるような、就活生の失敗の典型パターンをお決まりに進んでいったような形となった。
夏から秋に変わり、周りが合格を決めて行く一方で、70社近く受けて全落ちし、僕の社会的価値は全く持って証明できず、自信を失い、最後の面接で
「何のために来たの?君なんかに構ってるほどうちは時間ないよ。」
と言われ、とうとう心が折れた。何をどう足掻いても無駄なのだと。自分では頑張ってるつもりでも相手には全く通じない。僕はダメなやつだ。周りと比べると本当に何もできない。落伍者だ。
僕の心はいつしか卑下することしかできなくなり、そして、周りの人間が怖いと思いはじめた。
大学の単位を何とか取り終えた後、卒業を待たずに、僕は東京から福島の田舎に戻ることにした。東京が怖かった。あんなに煌びやかに見えた建物たちが、今は冷たい悪魔たちが住み着く伏魔殿のようにすら思えた。もう東京には行きたくない。そう思いながら早々とアパートを解約し、荷物を整理し、親戚の叔父さんの車を借り、福島へと高速で戻っていった。
利根川にかかる長い橋を渡る時、ふと後ろを見返すと関東平野に相応しいどこまでも平な風景と遠くにビル群が見えた。そして、再び前を向くと、町と同時に山々が見えてきた。山々のずっと先に、福島があるのだ。僕が散々田舎だと思ってきた福島が、今は無性に恋しかった。この橋が、自分の人生の境界線だったように思えたのだ。
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