第9話 鹿苑の早朝ドライブ

さすがに肌寒い。


秋も深まり一段と冷え込んできた朝、鹿苑ろくおんは秋物のトレンチコートを着込み軽自動車のエンジンをかけた。

近くの山にあるやしろへ向かうためだ。


この辺の田んぼの農業用水は近くの川から引いているが、茶会のお茶や和菓子作り、酒造りにはこの湧水を使っているところが多い。

喫茶一匙きっさひとさじ」で使う飲料水も山からでる湧水を引いている。

西側の山々に降った雨水が地下に浸み込み、地層の関係で山の中腹から湧き出しているのだ。

この地に住まう人々は、この湧水が出る場所を神聖な場所として社を建てて祀ってきた。

これを代々守ってきたのが私の家だ。

昔は常に人を置き、水源・水路の清掃、社の管理、季節ごとの祈祷を行っていたという。

水道が普及するまでは湧水を汲んで家まで運び、飲料水として使っていたらしい。

この町が城下町となってからは領主への献上品として日本酒や和菓子の製造に使われてきた。茶会の開催も頻繁に行われたという。


今となっては社に常駐する人間はおらず、うちの家が中心となって清掃やたまの祈祷をおこなうくらいである。

私は毎朝喫茶店用に湧水を汲んでいく。

社のすぐそばまで車道を整備したので大した労働ではない。

社の隣に車を停め、エンジンを切る。

小さめの鳥居の前で一礼、これまた小さめの境内に入っていく。

鳥居から社までの短い参道の目立つ枯れ枝などは拾っておく。細かい枯葉などは清掃担当の者がきっちり掃いてくれるだろう。

賽銭箱に小銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼。

この辺はそれぞれの神社によって違うだろうがうちはこうだ。

商売繁盛、家内安全、開運招福、いろいろと願いを込めてお参りした。

本来は水源を守るために建てた社だが、うちとは長い付き合いなのだから大目に見てもらおう。


山の斜面から染み出した湧水が小さな滝を作り、流れてきた水を貯める小さい池がある。

湧水は誰でも自由に汲んでよいことになっているので、観光客や散歩にきたご近所さんが休憩がてらここで水を汲んでいたりする。

水道水と違い口当たりがまろやかで、ミネラルが多く含まれている...ような気がする。

うちの店のように商業利用しているところもあるので水質検査はまめに行っているが、毎回基準をパスしている。


車から降ろしてきた二つの水瓶に湧水を貯める。

これ一つで大体12L、合わせて24Lだ。

満杯まで入れるとまあまあの重量だが、エクササイズ代わりに毎日やっている。

うちの店は和菓子喫茶なので、一番注文が多いのが和菓子とドリンクのセット。

ドリンクは抹茶、ほうじ茶、紅茶、珈琲といろいろ揃えているのだが、多く出るのは抹茶か珈琲である。

抹茶用の水は毎朝汲むこの水を使っている。

飲料水もここの湧水なので同じものなのだが、そこは私のこだわりというかなんというか。

ちなみに「喫茶一匙きっさひとさじ」のメイドには通常業務のほかにドリンクの担当が決まっており、

 ・抹茶、ほうじ茶   : 鹿苑ろくおん

 ・紅茶、ハーブティー : 玉鹿ぎょくか

 ・珈琲        : 鹿島かじま

という具合である。

もちろんオーダーされたドリンクを作るのは全員で対応しているが、

仕入れる茶葉・豆の選定、ブレンドの組み合わせ、メニューの考案などを分担しているのだ。

たまたまではあるが、三人の嗜好が被らなかったため、すんなり担当が決まった。


店に入ったばかりの夢鹿むじかはまず作り方から覚える必要があるので、大変だ。

今は玉鹿ぎょくかについて紅茶の淹れ方からマスターしてもらっている。

どうやら実践で淹れ方を覚えるのと並行して、紅茶検定なるものを勉強しているらしい。

これは夢鹿むじかが自分で言い出したらしい。

あの子は何事も順序立てて覚えるのが性に合っているようで、喫茶店の仕事が終わってからも部屋で勉強しているようだ。

あの子のやり方に合わせ、ドリンクのレシピは一つずつマスターしてもらうことにした。

抹茶も紅茶も珈琲も、その世界は奥深い。

お客様にお出しするのだから、生半可なものは出せない。しっかり修行してもらおう。


そうこうしているうちに水瓶が満杯になる。

どうやら少し汲みすぎたようだ。

持ち上げるとズシリと重みを感じる。

仕方ない。これも修行である。

車に積み込み、再びエンジンをかける。

ハンドルを切り返し、山を降りながらラジオの天気予報を聞く。

その日の気温や湿度によって茶や珈琲の抽出を若干変えているので、

頭の中で組み立てながら店へ向かう。


さてさて、今日はどんな日になるだろうか。

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一匙の砂糖 茶匙(ちゃさじ) @tyasaji_gyokuka

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