第61話 クラーケンスライム
「大変だぁあ! クラーケンスライムが出たぞぉぉおお!」
その叫びが響き渡った瞬間――海水浴場にいる者達は例外なく阿鼻叫喚の反応を見せ、海から離れるように駆け出していく。
「嘘だろ!? ここには魔物が出ないんじゃなかったのかよ! それもクラーケンスライムって!」
「そんなことを考えるより、今は逃げるべきよ! 悲鳴はあっちから聞こえたわ! 早く!」
「命を賭けてでもこの場に残るべきか……どうするべきなんだ、くそぅ!」
人々の顔に張り付いたのは紛れもない恐怖。
男性の顔にはまるで自分に死が迫ったかのような恐怖が、そして女性の顔にはどちらかというと暴漢に襲われているような焦りがあった。
そして中にはその場に突っ立って葛藤の表情を浮かべる男もいる。何がどうなっているか訳の分からない光景だった。
「ッ、何をしているトモヤ! 早く逃げるぞ! ルナもだ!」
そんな人々の様子を眺めていると、リーネから激しい叱咤が飛んでくる。
彼女もまた他の女性と同様焦っている様子だった。
クラーケンスライム――名称からして間違いなく魔物だろう。
それもスライムというトモヤにとってRPGなどで馴染み深い存在だ。
通常、旅の初めに出てくる最弱を代名詞とするような魔物。実力者であるリーネが恐れている理由がトモヤには分からなかった。
「リーネ、クラーケンスライムってのは一体――」
瞬間、ザパァンという海が波立つ音が盛大に響いた。
トモヤは反射的にそちらに視線を向け目を疑った。
「なっ」
海から姿を現したのは城ほどに巨大な、ぎょろりとした二つの赤色の目を持ったイカのような頭に、タコの様な触手を持った透明の生命体だった。
鑑定自動発動――《クラーケンスライム》。Bランク中位指定。
たしかに強力な魔物と言うことは出来るだろうが、決してトモヤやリーネが遅れを取る相手ではない。
故に、余計にリーネの焦った様子が理解できなかった。
そう考えていると、突然クラーケンスライムは動きを開始する。
陽光を反射する透明な触手、それも通常のイカやタコと違い30本ほどもありそうな物を、次々と人々に向け伸ばしていく。
「ッ! 空斬!」
トモヤの動きは早かった。
反射的に創造を発動、剣を創る。
剣術・空間魔法を併用発動、空斬を放ち触手を断ち切る。
ただそれでも咄嗟に対応できるのは10本程度だけだった。それも斬られた部分から新しい触手が次々と生えてくる。
残りの触手は無残にも人々を襲っていく。その触手に弾かれた男性は弾丸の様な勢いで吹き飛び、女性に関しては……弾かれるのではなく、なぜか触手が女性の体をまさぐるように巻き付いた後、その触手の中に取り込まれていった。
「これはまたマニアックな――じゃなくてまずい、このままじゃあの人たちが!」
少し場違いな思考を無理やり頭から追い出し、トモヤは現況の把握に努める。
クラーケンスライムの中に取り込まれた女性たちは、まるで水中で溺れ、息が出来ないかのようにもがいている。さらにはそんな状態のまま、なぜか触手から頭の部分まで女性の身体が運ばれていった。
もしそれがクラーケンスライムの意思によるものなら、頭にまで辿り着いた時に何が起きるのか分からない。
すぐに彼女達を助けなければならない。そう思い行動に移そうとしたトモヤがさらなる驚愕に目を見開くのは、次の瞬間だった。
「なっ……水着が、溶けてる!?」
そう、クラーケンスライムの中で溺れる女性達が身に纏う水着がどんどんと溶けて、とうとう生まれたままの姿が露わになっていった。
動揺する間にも他の女性たちがどんどんと触手の中に取り込まれ、男性は例外なく弾き飛ばされていく。
「これは子供には見せられない!」
「ふえっ? くらくなったよ!」
そんな光景を見て、トモヤは反射的に剣を握っていない左手でルナリアの視界を遮った。ただ女性の裸があるだけならルナリアが見ても問題はないのだが……スライムの中にいるという状況も相まって、ちょっと子供が見るにはえろすぎた。
「くっ、こうなってしまえばさすがに見捨てる訳にはいかないか!」
「ッ、リーネ、あの人たちを助ける手段があるのか? というかそもそも、あの魔物は何なんだ?」
「アレはクラーケンスライム、通称・女性の天敵と呼ばれている魔物だ! 男性は触手で弾き飛ばし、女性はその身の中に捕らえ、着衣を溶かし裸にするんだ!」
「……へ、へぇ。いや、まあいいか。それで、このままの状態が続いたらあの人たちはどうなるんだ? 衣服だけじゃなく、その体まで溶かされるとかは――」
「そういったことは起きない! 暫くして満足すると解放してくれる。ただ、あの中は人間が呼吸することは出来ない。このままだと、解放された時には呼吸困難で死ぬ者も出るかもしれない!」
「な、なるほど。とにかく助けなくちゃいけないってことだな」
結局何がしたい魔物なんだと思わないこともないが、とりあえず現状の解決に思考を割くことにするトモヤだった。
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