掣肘
三鹿ショート
掣肘
前世において、彼女は私の母親だったのではないか。
そのように考えてしまうほどに、彼女は私の言動に対して、一々口出しをしてきていた。
幼少の時分の私は、何らかの問題が発生すれば即座に涙を流すような情けない人間だったために、慰めてくれていた彼女の存在は有難いと思っていた。
だが、私は成長している。
かつては親しい人間が彼女だけだっただが、今では両手の指では足りないほどの友人が存在している。
理不尽な暴力を振るわれれば、涙を流すことなく反撃をするようになっていた。
彼女の助力が無くとも、日常生活は特段の問題もなく良好であるために、もはや彼女など必要としていなかった。
しかし、彼女は私に接触し続けていた。
他にやることが無いのかと問うたところ、彼女は腕を組みながら、
「私が口出しを止めてしまえば、あなたは堕落してしまうからです」
彼女は、どうやら現実を見ることができていないらしい。
問題を抱えているのは、私ではなく、彼女の方ではないか。
学業成績が重要なものと化すようになると、彼女は頼りにならなくなった。
課題を片付けたかどうかを訊ねてくるものの、彼女本人は、手をつけていなかったのである。
だが、それは忘れていたわけではなく、課題の何もかもを理解することができなかったからだった。
同時に、身体能力も低く、私に構うばかりであるために友人が一人も存在していなかった。
学生という身分を失った今、彼女が何をしているのかというと、何もしていなかった。
私に助言を与えることが仕事だといわんばかりに、毎日のように私の部屋を訪れていたのである。
私が仕事に出ている間は何もすることがないと言っていたために、家事を手伝ってもらおうと思ったことがあったが、一度で懲りた。
彼女は、家事も苦手だったのである。
つまり、彼女には良いところが、一つも無かった。
そのような人間に一々口を出されていては、どれほど善良なる人間だったとしても、苛立ちを覚えるに違いない。
それでも私が彼女を追い出そうとしないのは、彼女の生きる意味というものを失わせるわけにはいかなかったからだ。
彼女は、己が無力であることは理解しているはずである。
だからこそ、幼少の時分のように、私が頼りとするような人間を演じ続けることで、自分がこの世界には不要な無能の人間であるということを忘れようとしているのではないか。
どれほどうんざりしていたとしても、長年の付き合いから、彼女を失うことを望んでいるわけではなかった。
ゆえに、私は彼女の相手をすることを決めていたのである。
***
ある日を境に、彼女が姿を見せることはなくなった。
彼女の小言を聞かずに済むということは喜ばしいことだったが、それが無くなるということが気になってしまうこともまた、事実だった。
自宅を訪れた私を見ると、彼女は周囲に目を向けながら、
「私と会っていて、良いのですか」
その言葉に、私は首を傾げた。
「きみと会うことに、誰かの許可が必要なのか」
「交際相手が自分以外の異性と二人で会っているということは、面白いものではないでしょう」
伏し目がちの彼女の言葉で、私は理解した。
彼女が姿を見せることがなくなったのは、私が彼女に恋人を紹介してからのことである。
彼女は、私やその恋人に気を遣っていたのだ。
これまでの私に対する態度を思えば、そのような気遣いをすることが出来たとは、にわかに信ずることができなかった。
思わず、私は口元を緩めてしまった。
その様子に、彼女は口を尖らせた。
「私は、真面目に言っているのですが」
私は彼女に対して謝罪の言葉を吐いてから、
「きみが気にすることなど、何も無い。我が恋人は、きみのことを理解しているからだ。口うるさい姉のような存在だと思っているゆえに、きみを競争相手だと考えてはいない」
私がそう告げると、彼女は目を丸くした。
そして、大きく息を吐いた。
彼女は額を手で押さえながら、
「私の早とちりだったというわけですか」
「その通りだ。きみにしては珍しく、物わかりが良いではないか。これまで私の言葉を素直に受け取ろうとしたことがなかったことが、信じられない」
私が笑みを浮かべると、彼女もまた、口元を緩めた。
私は彼女に向かって手を差し出すと、
「きみの小言の全てが私を向上させるということはないが、それが無ければ寂しさを感じてしまうということは、事実である。互いの生存確認も込めて、これからも小言を吐いてほしい」
私の言葉に、彼女は苦笑を浮かべた。
そして、私の手を握りしめながら、
「私は、あなたのためを思って言っているのです。聞き流すばかりではなく、受け入れてほしいものですね」
「前向きに考えよう」
「それは、そのように行動しない人間の言葉です」
***
彼女が優秀ではないということに変化は無いが、私の子どもにとっては、良い保護者の一人だった。
成長した私の子どもが、やがて彼女のことを鬱陶しいと考えるようになった際には、告げようと考えている言葉がある。
「諦めるが良い。私もまた、長年悩まされているのだが、奇妙なことに、無くなれば寂しさを覚えてしまうようなものなのだ。確実に言うことができることは、彼女が存在する限り、孤独を感ずることはないということだ」
笑いながらそのように告げれば、理解してくれるだろうか。
掣肘 三鹿ショート @mijikashort
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