第28話 アリシア、世界の悲しみについて考える

 緊張でカチコチに固まっているナタヌの手をそっとつないでドアが開くのを待つ。


「よいっしょっと。大変お待たせいたしました~」


 古くて重たそうな扉が音を立てて開く。

 中から現れたのはやはり若い女性だった。こんな若い人は前にいた通いの従業員さんたちの中にはいなかったと思うから、たぶん初めましてかな。


「どうもー、こんにちはー。わたし、アリシア=グリーンと申します。こっちはナタヌ」


 と、ちょっとだけナタヌの手を引っ張ってみる。


「あ、はい! ナタヌです。こんにちは」


 ぺこりと頭を下げる。

 やっぱりこの感じ、初対面だよね。


「こんにちは。エルザと申します。当施設に何か御用でしょうか?」


 不審、とまではいかないけれど、若干警戒されているね。若い女の子2人が尋ねてくるような場所ではないし、それはそうかな。


「えーと、わたしたちはオーナーさんの……知り合いで、ひさしぶりにこの街にきたので寄ってみたんですよー。オーナーさんお元気ですか?」


「そうでしたか。そうですね、オーナーは……元気にしておりますよ」


 一瞬の躊躇。

 んー、もしかしてあんまり調子が良くないとか? 高齢だし体が良くないのかな……。


「『アリシアとナタヌが来た』と伝えてもらうことはできますか? もしよければ直接お会いしたいなーって。オーナーさんがお忙しいなら、奥様でも大丈夫です」


「奥様は2年ほど前に……」


 悲しそうに目を伏せる。

 なんと……。


「そうだったんですね……」


 ナタヌのほうを見る。言葉もなく、目を見開いていてただ茫然と立ち尽くしていた。


「はい……。当時の流行り病で……」


「それは……残念です……」


 オーナーよりも奥様のほうが元気そうだったのに、病気か……。

 ちょっとナタヌ⁉「もし自分がそばにいたら……」なんて考えてないでよね⁉

 そういう“たられば”の話は絶対良くないからね!


 と、つないだ手に力を込める。


「オーナーに確認してまいります。少々ここでお待ちいただいてもよろしいですか?」


「はい。お願いします!」


 わたしの返事に小さく頷くと、エルザさんは孤児院の中に戻っていった。



「ナタヌ……大丈夫?」


「……はい」


 ナタヌの目から一筋の雫がこぼれる。


 まあショックだよね……。

 正直なんて声をかけたらいいか……。


「ナタヌ……」


「私わかっているんです。奥様のことは悲しいですが、ご高齢でしたし、そういうこともあるのかなと……」


「うん……」


「でも私がついていたら――」


 案の定それだ。

 繋いだ手を振りほどいて、荒々しくナタヌの両肩に手を置く。


「ナタヌ! それ以上は言わないで! 病気は仕方ないの。言っても意味のないことで自分を責めない! これだけは絶対約束して?」


「……はい」


 わかっているような、わかっていないような。

 

「いくらナタヌに力があってもね、世界のすべての人を救うことなんてできないの。じゃあ目の前の人だけ救えば良いのかって話になるかしれないけど、それも違っていて……とにかく! できることはできるし、できないことはできない! だからってできなかったことに責任を感じちゃダメ!」


「大丈夫です……わかっています。ただ……」


 ナタヌが顔を上げる。

 もう涙の跡は消えていた。


「もう一度お会いしたかったなって……」


 強がりだ。

 でも、それで良いんだと思う。

 わたしだって身近な人が亡くなったら同じことを思うよ。


「あとでお墓にお花を供えさせてもらうおうね……」


「はい」


 ナタヌとそんな話をしながら、わたしは頭では別のことを考えていた。

 もしかしたら、ヤンス(殿)の国の住人だったら、こんな悲しい別れをしなくて済むのかもしれないな、と。


 思念体。

 魂だけの存在。

 肉体のない存在。


 死の概念すらないのかもしれない。 


 誰も死なない。

 誰もいなくならない。


 それってしあわせなことなのかもしれないね。


 ずっとみんな一緒に。

 いつまでも一緒に。


 あれ? もしかしてノーアさんってそういう存在?

 あらゆる願望を叶えると言われる『賢者の石』。

 死の概念がなく、人のカテゴリーから外れた存在。


 世界中の人がみんなその状態になったとしたら、悲しみはなくなるのかな?


 と、再び重たい扉が開く音で思考が中断される。


「すみません! 長時間お待たせいたしました! オーナーがお会いになるそうです。どうぞ中へお入りください」


 若干顔が紅潮したエルザさんが手招きしてくれる。

 わざわざ走ってきてくれたのかな。

 良い人そう。


「ありがとうございます。それでは失礼しますね」


「失礼します!」


 わたしとナタヌはゆっくりと孤児院の中に足を踏み入れていった。

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