第18話 「常識」への浸食

 深夜、営業を終えた「カフェ・ビースト」で、獣人たちは後片付けをしていた。

「琴菜ちゃんさ、この世界から離れた方がいいよね」

 エイロックの言葉に、他の三人が頷く。

「同感。ここは彼女に合ってないよ」

「俺らの船に乗せて連れ出してやれたらなぁ」

「……あなたが彼女を連れて行きたいのではないですか?」

 タロクの言葉にエイロックは微かに息を飲む。

 やがてそっと睫毛を伏せると、消え入るような声で肯定した。

「……あぁ」

「ここの性質上、難しいでしょうね」

 タロクは首を横に振る。

「上層部はこの世界に『外』があることを住民に知らせたくないでしょうし。逆にこの世界へ、『外』の人間に接触してほしくないでしょうから……」

「……だな」




 事件が起きたのは、「カフェ・ビースト」が、軌道に乗ったある日のことだった。

「ちょっと!!」

 椅子の倒れる音と共に、金切り声が飛ぶ。

 たっぷりとレースを施したワンピースの客が、ショートヘアの客に噛みついていた。

「あんたさっきから、タロクさんにくっつきすぎじゃない!?」

「何がいけないのよ。ここは猫カフェみたいなものなんでしょ? 頬にキスくらい許されるわよ、ねぇ?」

 タロクさんは首を横に振る。

「困ります、お客様。風営法に引っ掛かります」

 軽く咎められたショートヘアの客に、ワンピースの客は勝ち誇ったように笑う。

「猫カフェとか言って、あんた本当は男が好きなんじゃない?」

「はぁ? それはそっちの話でしょ? アタシはただモフモフしたいだけ! だいたいアンタだってさっき、タロクさんの手をじっとりと握っていたじゃない」

「わたしは肉球を触らせてもらっていただけよ!」

「はぁ? いやらしい手つきで、うっとりと指をこね回していたくせに! 男好きの異常者!!」

 その言葉がいけなかった。

 ワンピースの客が、手元のフォークを掴み上げる。

 そして躊躇なく、ショートヘアの客へ振りかざした。

(えっ)

 止める間もなかった。

 フォークの先が、ショートヘアの女性の目へ飲み込まれる。

「あ……あぁああっ!!」

 店内に響き渡る絶叫。

 その事態にあちこちから悲鳴が上がる。

 エイロックさんたちがどこかに連絡を入れたりする間、ワンピースの女性は仁王立ちのまま、うわごとのように呟いていた。

「異常者は、あんたの方よ……。わたしをあんたと一緒にするなんて、許さない……。わたしは違う……、わたしは男なんて好きじゃない……。異常者じゃない……」



 必死に否定していたけれど、彼女らは明らかにタロクさんに魅了されていた。

 彼女らの熱を帯びた瞳、薄く桜色に染まった頬、甘さの混じる声。

 想いを寄せる対象を奪われそうになった時の、嫉妬をみなぎらせた眼差し。

 敵意丸出しの声。

 彼女らは恋をしていた。

 彼女らの感情が、タロクさん個人に向けたものなのか、獣人に向けたものなのか、男に向けたものなのか、その判別はつかなかったけれど……。

 そして、この世界において異常とされる特別な感情を抱き始めたのは、この二人だけじゃなかった。

「カフェ・ビースト」の常連となった客の一部は、明らかに彼らに恋心を抱き始めていたのだ。



「男」をめぐる恋のさや当ての挙句起きた傷害事件。

 それは最高指導者第十三代輝夜の怒りを買うには十分だった。

「輝夜様!」

 中央管理局の幹部は、怒りをあらわに言葉を発した。

「あの獣人どもが来てから精神に異常をきたした者が複数おります! 男をめぐって傷つけ合うなど、およそまっとうな人類のすることではない。なんとおぞましい……」

 輝夜は氷のような表情で報告者を見下ろす。

 その双眸には白々とした怒りの炎がゆらめいていた。

「輝夜様! やはり奴らをここに置いておくのは危険です! このままでは、善良な住民の魂までも汚染されてしまいます!」

 輝夜が紅い唇をそっと開いた。

「『男』どもはこの世界において悪質なウィルス。疾く処分せよ」

「はっ!」

 その場にいた一人の職員が、顔色を変えそっと部屋から抜け出す。

 それは、「カフェ・ビースト」の常連客の1人だった。

「いけない、今すぐエイロックさんに知らせなきゃ」



 息を切らせて店へ飛び込んできた一人の客。

 その口から語られたのは、輝夜様によるエイロックさんたちの処分命令だった。

「処分て! 俺らはゴミか何かか!?」

 憤るエイロックさんに、シラフェルさんが冷静に告げる。

「船はほぼ直っている。ここを出るくらいなら可能だ」

「あの事件以来、この事態は覚悟していました。値の張る食器類・内装品等はすでに船に積み込んであります。店内のものは諦め、今すぐ脱出を」

「はぅう、この調理器具、使いやすいから気に入っていたのにな」

(行ってしまう、みんな……)

 慌ただしく脱出準備を始める彼らの姿に、私の頭の芯が凍り付く。

(また元の日々に戻る。人間のくせに異性に惹かれる異常者だと白眼視される日々に……)

 胸の中にぽっかりと穴が開く。

(私を普通だと言ってくれた人たち、いなくなってしまう……)


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