第16話 トラブル

 二週間が過ぎた。

 今日もカフェは賑わっている。

 来店者は日に日に増え、待ち時間もかなりのものとなっていた。

「あの、私がこの席をずっと占領してたら、ご迷惑じゃないですか?」

 いつもの特等席に案内されたものの、少し申し訳ない気持ちになる。

「何言ってんの。君は俺たちを好意的に迎えてくれた最初の人だからね。これくらいサービスさせてよ」

「じゃあ、……ありがとうございます」

 私はほっと息をつく。

 私を歓迎してくれる人なんて、これまで誰もいなかった。

 追い出されはしないものの、好意的に迎えてくれる場所などなかった。

(ここは、心地いいな……)

 そう思った時だった。

「あんた、本当に男が好きだよね」

 とげとげしい声が、隣の席から聞こえてきた。

「……千財さん」

 最近は彼女の姿をここで頻繁に見る。向かいの席には池逗さんの姿もあった。

「千財さんたちも、すっかりこのお店の常連だね」

 当たり障りのないことを言ったつもりだったが、千財さんは眉をつり上げた。

「言っておくけどあたしは男目的で来てるわけじゃないから。あんたとは違ってね」

 なぜかムキになっているような彼女の声音に、私は戸惑う。

「千財さん?」

「この店って、ペットカフェでペットが給仕してるようなものよね。あたしにとってはそれだけのこと!」。

「はは、ペットはひどいなぁ」


 私たちの間を遮るように、エイロックさんが姿を現した。

 彼の登場に、千財さんは虚を突かれたような顔つきになる。

 けれどすぐに彼女は自分を取り戻し、フンと鼻を鳴らした。

「実際ペットみたいなものでしょ? まぁ、あたしらはそんな風にしか見てないけど、伊部のことは警戒しといた方がいいよ?」

「琴菜ちゃんを警戒? どうして?」

「だってこの子、人のくせに動物と同じ原始的な繁殖に興味津々なのよ? エイロックさんたちの体、絶対にいやらしい目で見てるから。脱いで見せろとか言われなかった?」

(な……!)

 頭から冷や水をぶっかけられた気がした。

 時を置かず、頬がカッと燃えるように熱くなる。

「私、そんなこと……!」

「こらこら! 健全なカフェの話題じゃないぞ、お嬢さん。ないよ、そんなの一度も」

「ほんとに? でも、絶対体狙われてるから、注意した方がいいよ」

 もう我慢が出来なかった。

 私はテーブルを叩いて立ち上がり、千財さんを睨みつける。

「……おかしなこと言わないで」

 震える声でそれだけ言った私に、千財さんは少し息を飲む。

 しかしすぐにその顔に嘲りの表情を浮かべ、彼女は金切り声を上げた。

「なによ、本当のことでしょ? この男好き!」

「違うってば!」

「お客様―! お客様方、落ち着いてー!」

 エイロックさんののんきな声に、私ははっとなる。

 気が付けば、店中の視線が私たちに集中していた。

「あ……」

「琴菜ちゃん、ちょっとこっちおいで。オジさんとお話しよう」

 エイロックさんの大きなあたたかい手を背に感じる。

「何かと思ったら、伊部じゃん」

 そんな囁き声を背に、私は事務所へと誘導された。



「大丈夫? 琴菜ちゃん」

 事務所の椅子へ腰を下ろした私に、まずかけられた言葉は、優しく気づかうものだった。

「……ごめんなさい」

「ん?」

「エイロックさんのお店で、あんな騒ぎを起こしちゃって」

 その瞬間、私の目から雫がぽたぽたと落ちる。

 けれど彼は優しく微笑み、私の髪をそっと撫でた。

「あんな言い方されたら腹も立つよね。上手くフォローできなくてごめんね」

「エイロックさん……」

「ほら、お茶飲みな。リラックス効果のあるやつだよ」

「……」

 暖かなお茶が、心を緩める。その瞬間、堰を切ったように涙が止まらなくなってしまった。

「うっ、うっ、あぁあ……」

 しゃくりあげる私の肩を、あたたかな手がそっと触れた。

「さっきのは、明らかにあっちが嫌な感じだったよね。琴菜ちゃんはよく我慢したと思うよ」

 彼の手が、あやすように私の肩をタップする。

「もしかすると、これまでもあんなこと言われてた?」

 私は首を横に振る。

「あんなの、なかった。距離を置かれることはあっても、なのに……」

「そっか」

「私がいけなかったの。私のことを好きになってくれた人を傷つけて、でも、彼女を恋愛の対象に見ることが、どうしてもできなかったから! 私が、おかしいから! 異常だから! みんなが私を嫌っても当然で……!」

「……」

「男性に興味があるのも、男女による繁殖に憧れているのも嘘じゃない。それは彼女の言った通り……」

「うん」

「でも、エイロックさんたちを変な目で見たりしてない。興味本位で体が見たいとか、そんなの、私……」

 私の肩をタップしていた手が止まった。

「ねぇ、琴菜ちゃん、知ってる? 人は自分が感じたことを、そのまま他人も同じように感じると思っちゃうものなんだって」

「え……」

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