第3話 日常の崩壊

 夕方の風が、頬の涙を冷やす。

(ここは心地いい。私を白い目で見る人は誰もいないし、なにより……)

 花の上を飛び交う蝶や蜂。

 草原を進む動物の群れ。

(あらゆる生命が結ばれ合い、命を育んでいる。

 ヒトも昔は、この中の一部だった。

 今では到底考えられないことだが。

(どんな気持ちだろう。機械に頼らず、自分自身の体で命を繋いでゆくというのは)

 ヒト科のオスが絶滅した今、私たちにそれを知るすべはないけれど。


 その時だった。轟音と共に、地面が大きく揺れた。

 鳥が一斉に枝から飛び立ち、動物たちは右往左往する。

(地震?)

 私は身を固くし、辺りを見回す。

 ふと、空の一部の色がおかしいことに気付いた。

(え?)

 珊瑚色の空の一部が、四角く切り抜かれたように黒くなっている。

 更に数ヶ所、色が反転し虹色のノイズが走っていた。

「なにこれ……」

 やがてめりめりと音を立て、真っ黒な部分から何かが姿を現す。

 それは船の舳先へさきのように見えた

「きゃあああっ!」







 同時刻。

 中央管理局のコントロールルームではけたたましい警報が鳴り響いていた。


『緊急事態発生! 緊急事態発生!』

『区画D自然保護区エリア3に大型の異物が突入! ドーム天井を破損した模様!』


 厳めしい制服を纏った室長が眉間にしわを寄せ、声を上げる。

「各所に連絡、ただちに調査へ向かわせろ! 場所は自然保護区エリア3だ!」







 目の前に広がる異様な光景を、私は理解できず、ただ見つめていた。

(何、これ……)

 さっきまで珊瑚色だった空はあちこちに黒い四角形が浮き出し、それ以外の部分には虹色のノイズが走っている。

 空には大きな裂け目が生じ、その向こうには別の空が覗いていた。

 その裂け目から落ちてきたのは、SF小説の挿絵で見るようなフォルムの金属の塊。

(う、宇宙船!? それに、空の向こうに空!?)

 情報を処理しきれずへたり込む私の目前で、船のハッチが大きく開く。

(な……!)

 姿を現したのは、獣頭人身の生き物だった。

「あっちゃ~」

 コリーのような頭の生物はガリガリと頭を掻く。

 その口から飛び出したのは、とても低いが甘い、魅力的な声だった。

「まずいことになっちまったな。天井バッキバキ」

(犬……の形の宇宙人!? まるでおとぎ話に出てくるビーストじゃない!)

 口元のインカムは、翻訳機だろうか。

 仕立ての良さそうなスーツが印象的だ。

「だから幾度も申し上げたでしょう、社長」

 続いて、黒猫に似た頭部の生物が靴音を立てながら出て来た。

 艶やかな黒い獣毛に覆われた指が、銀縁の眼鏡をそっと押し上げる。

「舵を切るときは慎重に、と!」

 その鋭くも低い声に、思わず身をすくめる。

 本能的に恐怖を感じ取った。

(社長? あのコリーみたいな人が社長なのかな)

 更に、ヤモリそっくりの頭を持ったツナギ姿の生物が現れる。

「過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。補償について考えよう」

 最後に軽やかな足取りで、ウサギっぽい頭の小柄で白い生物が飛び出してくる。

「ここの責任者を探して、謝んなきゃね~」

(みんな、唸る様な低い声。少し怖い気がするのに、なぜか体の奥をビリビリと震わせる、甘い響きを感じる……)


 4人は地面へ足を降ろす。

「すげぇな、ここ。地球の自然界を見事に再現してんぞ」

「風も気持ちいい! 草の匂い、最高!」

 伸びをする犬型獣人の側で、兎型獣人が嬉しそうにはねる。

 そこへヤモリ型獣人と猫型獣人が歩み寄りながら辺りを見回す。

「虫や鳥、魚もいる。大掛かりなビオトープのようなものか?」

「高度な技術によって作り上げられていますね」

 そう言って猫型獣人は、額に手を当てため息をついた。

「賠償額を想像するだけで胃が痛みます」

「ん?」

 ヤモリ型獣人のペリドット色の目がこちらを向いた。

(え?)

「社長、あそこに人が」

「へっ?」

 闖入者たちが一斉にこちらへ首を巡らす。

(見つかった……!)

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