11頁 陽気な兵隊

 『藤田 勇(フジタイサム) 兵長』も病(ヤマイ)の兵隊サンでした。


藤田サンは「デング熱」に罹っていました。

この病院に辿り着くまでジャングルの中を、熱で朦朧(モウロウ)としながら彷徨(サマヨ)っていたそうです。

頭の中は朦朧としているが、気持ちだけは妙に冴え渡っていたそうです。

子供の頃に遊んだ道端の石コロさえ、はっきりと思い出してしまうと言ってました。


 自分がジブンの中に二人居たそうです。

思い出す自分と考えるジブン。

二人の『自分』が頭の中で喋ったり、笑ったり、怒ったり、悔やんだりしていたそうです。

そして最後に「もう一人」、二人の話を聞いている「自分」が居たそうです。


 ジャングルの道はとても静かで、たまに風が通って行くと、その風は爽やかではなく、生臭い吐き気をもよおす様な風だったと言ってました。

時々、風に乗って「囁く声」が聞こえて来たそうです。

その声が聞こえ始めると自分の頭の中に「死神」が現れるそうです。

それはまさしく『万華鏡』の中に閉じ込められて居る様だと言ってました。


 何日経った事か、地図も無い、どこまで歩いたのかも分からない、そんなある日の事。

藤田サンは歩く気力も無くなり、腐った樹の株に腰をおろし、例によって「死神」と話をしていた時の事だそうです。

ぬかるんだ道を一人の正常(マトモ)な兵隊がフラフラ、ユラユラと揺れながらジブンの前を通り過ぎて行ったそうです。

藤田サンは通り過ぎて行った兵隊の後ろ姿を、下から上までマジマジと見たそうです。

その兵隊はどう見ても悪い所は無い様に見えたそうです。

藤田サンは「脱走兵」かと思って呼び止めたそうです。

しかし、呼んでも兵隊は何の反応も示さなかったそうです。

背嚢に提げた飯盒には『山崎』と書いて有ったそうです。

耳が聞こえないのかと思い、急いで兵隊の前に歩み寄り「杖と手」で話し掛けてみたそうです。

すると山崎はニコニコと笑いながら、ジブンの耳と地べたの『蟻』を指差し、


 「蟻(アリ)に耳をやられた」


と言ったそうです。

山崎は人の良さそうな兵隊でニコニコと笑いながら、耳が聞こえなく成った理由(ワケ)を細かく説明してくれたそうです。

聞いてみると、


 「夜、塹壕を掘って寝て居たら、両耳に蟻が入って来て鼓膜を齧られた」


と言うのです。

それだけではなく、その後、正常に歩けなく成ってしまったと言うのです。


 「このジャングルの蟻は何でも齧って行く」


と笑いながら話してくれたそうです。

藤田サンとしてはこんな兵隊でも、話す相手が出来たと心強く思ったそうです。

耳の聞こえない山崎と独り言を話すジブン、妙な珍道中だったそうです。

山崎は真っ直ぐ歩けないと言うので、藤田サンは蔓(カズラ)を握らせ、ジブンが先導して進んだそうです。

藤田サンが振り向くと、いつも山崎はニコニコと笑っていたそうです。

何を言ってもニコニコ、ニコニコ。

途中、野垂れ死んで居る兵隊を何人も見たそうです。

藤田サンは振り返り、山崎に立って死んでいる兵隊の真似をするとニコニコ、ニコニコ。

まるでアンタは『笑い地蔵』だとイヤミを言ってやったのですが、その兵隊は耳に手をやり、ニコニコと笑っているだけだったそうです。

暫く歩いて行くと、樹に寄り掛って死んでいる兵隊が居たそうです。

その兵隊は「褌(フンドシ)一枚」だったそうです。

藤田は後ろから付いて来る「笑い地蔵サン」に褌を指さし、


 「何でフンドシで一枚で死んでいるのだ?」


と身振り手振りで尋ねたそうです。

するとニコニコと笑いながら「追い剥ぎにやられた」と教えてくれたそうです。

後から来る追い剥ぎの兵隊が階級章以外、靴から帽子、メガネまで、剥ぎ取って行ったと言うのです。

剥ぎ取った兵隊も野垂れ死ぬと、また剥ぎ取られ、そしてまた誰かがまた剥ぎ取って行く。

 藤田サンは子供の頃、寺の坊さんが見せてくれた『鳥獣戯画』と謂う絵が頭の中を過(ヨギ)ったそうです。

そして思わずジブンも笑いながら後ろを振り向くと、耳の聞こえ無い山崎も、藤田サンを見てニッコリと笑って居たそうです。

側(ハタ)から見たら「二人の気狂(キチガ)い」が歩いて居る様にしか見えないでしょうね。

と言っていました。


 藤田 勇 陸軍兵長

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

 山崎一八 陸軍二等兵

 (昭和十九年東部ニューギニアにて行方不明)

                          つづく

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