10頁 『故』の付いた名前

 『岡田邦宏(オカダ・クニヒロ)上等兵』と云う兵隊(患者)サンが、私にこんな事を話してくれました。


岡田サンも「アメーバ赤痢」に罹(カカ)っていました。

岡田サンの部隊は、ブナに上陸後、『ポートモレスビー作戦』に参加したそうです。


 ポートモレスビーの町は「あの高い山」を超えて、ラエとは反対側に在る大きな港町です。

ある日、ガダルカナル島から沢山の増援部隊が合流して来たそうです。

岡田サンが増援部隊の兵隊に餓島(ガダルカナル島)の戦(イクサ)の事を聞くと、誰も無口に成ってしまうそうなのです。

まるで『箝口令』でも敷かれているかの様だったと言ってました。

それでも一人、「小野」と云う上等兵が内緒でこんな事を話してくれたそうです。


 「実はオレは、あの島でいっぺん死んでしまったんだ。だから名前の上には『故』が付いているんだ」


岡田サンは驚いたそうです。

小野上等兵は今ここに生きて居るのに、(故)小野玄一郎(オノ・ゲンイチロウ) 上等兵にされてしまったと言うのです。

輸送中の船の中で点呼を取った際、ジブンの名前が呼ばれ無かったので後で部隊長に確認すると、名簿には「故(戦死)」と書かれてあったそうです。

ジブンと同じく名前を呼ばれなかった兵隊が十人ほど居たらしいのです。

小野上等兵も最初は「そんなバカな話しがあるか」と思ったそうです。


 岡田サン達の部隊は暫くブナに待機して、数十人の小隊を残し、いよいよポートモレスビーへ出発の命令が下ったそうです。

ニューギニアの山頂には「雪」が残っていたそうです。

ニューギニア島は赤道の近くですよ。

そんな島に雪が? 岡田サンは信じられなかったと言ってました。


 ようやく山を越える寸前、部隊に突然「転進の命令」が下されたそうです。

岡田サン達は『ポートモレスビーの攻略』はどうなったのだろうと戸惑ったそうです。

後ろには連合軍が迫っています。

転進の途中、岡田サン達は「コゴタの陣地」で連合軍と鉢合わせになったそうです。

それはとても激しい一戦だったらしいです。

しかし兵隊達の疲労と火力の違いで岡田サン達は惨敗して、ジャングルの中に散開して行ったそうです。

そこからがまさに『地獄』だと言ってました。


 岡田サン達部隊は小さなグループに分かれ、ジャンルの中を彷徨(サマヨ)い、非常に「厳しい戦い」を強(シ)いられたそうです。

厳しい戦いとは『腹を満たす戦い』だと言ってました。

糧秣(食料)は全て無くなり、動くモノは何でも有り難く食べて命を繋(ツナ)いだそうです。

そこで岡田サンは『野垂れ死ぬ』と云う死に方を初めて見たそうです。

岡田サンが同僚の兵隊を観察して居ると、


 『小便を垂れ流す兵隊はその日に。顔に表情が無い兵隊は生きて二日。返事を返さなく成った兵隊はいつの間にかジャングルの中へ消えて行く』


こう云う法則が出来上がったそうです。

中には『立ったまま死んでいる兵隊』も居たと言ってました。


 ある部隊の兵隊は、隠れ家の洞窟の外にネコの額(ヒタイ)ほどの畑を作り、「芋」や「野菜」の栽培を試みたそうです。

しかし熱帯の気候で、葉や茎の方が早く延びしまって肝心な芋や野菜には実が付いて無かったそうです。


 岡田サン達残留小隊の中にあの餓島(ガダルカナル)の「(故)小野上等兵」も居たらしく、岡田サン達にいろいろな事を教えてくれたそうです。


 ある夜の事、(故)小野上等兵の指導の下(モト)、敵の補給天幕テントに食料を調達(泥棒)に行ったそうです。

何とか成功して急いで洞窟(隠れ家)に戻る途中、(故)小野上等兵が敵の仕掛けた鈴紐に足を引っ掛けてしまったそうです。

途端に敵の「見張り塔」から探照灯を照らされ、一斉に十字砲火を浴び、岡田サン達は一目散に逃げたそうです。

(故)小野上等兵には申し訳が無いが、置いて逃げたそうです。

ところが洞窟に戻ってみると、(故)小野上等兵が洞窟の前に立って笑って居たそうです。

それを見て岡田サン達は目を疑ったそうです。

(故)小野上等兵の足はちゃんと二本付いていたそうです。

(故)小野上等兵は笑いながら、


 「自分は名前の上には『故』が付いているから死なないんだよ」


と冗談を言って笑って居たそうです。

餓島からの転進して来た兵隊サンは奇妙な方ばかりだったそうです。

『幽霊部隊』とでも言いましょうか・・・。


 岡田邦宏 陸軍上等兵

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

 小野玄一郎 陸軍上等兵

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

                          つづく

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