9頁 マッチ棒の兵隊

 筵(ムシロ)のベッドで一日中、ブツブツと「念仏」を唱えて居る兵隊(患者)サンが居りました。


毛布の名札には『吉野善吉(ヨシノ・ゼンキチ) 軍曹』と書いてあります。

渡辺軍医に尋ねると、


 「あの患者は『マッチ棒の兵隊』で、自殺する事すら出来ないんだ」


と言うのです。

よく見ると両手両足が無く、胴体と頭だけで生きて居るのです。

眼は一点を見詰め、念仏三昧(ネンブツザンマイ)でいつ来るか分からない「お迎え」を待って居るのです。

渡辺軍医は私に、


 「あの患者に食事を摂らせたいのだが、キミやってくれるか?」

 「え、ワタシ?・・・ですか。 私は・・・」


即答が出来ませんでした。

私は看護婦として失格です。

私は吉野軍曹のベッドの傍を通る時はいつも目を反らして、


 「ワタシは看護婦としては失格です」

 『ワタシは看護婦としては失格です』


と念仏の様に唱えながら、足早に通り過ぎる様にしてました。


 妻と子供の名前を大声で呼び続ける兵隊(患者)サンが居ります。

大声を出すと人間の精神は安定すると「看護婦学校」で教わりました。

でもここに入院している兵隊(患者)サンは、「気違い」で居る事で、精神の安定を保っている様です。

私はこのニューギニア島『ラエの野戦病院』に赴任して初めて、


 『兵隊とは死ぬ為に必死に生きて、そして死んで行く』


と云う事を知りました。

敵も味方も皆「気違い」に成って、死んで行くのです。


 吉野善吉 陸軍軍曹

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

                          つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る