8頁 ハンカチ

 夜、私が兵隊(患者)サン達の間を巡回している時の事でした。

綺麗な南国の月灯りがジャングルを照らしています。


ふと目を移すと、一人の兵隊(患者)サンが庭で小用(小便)を足していました。

用を済ませ、病室へ戻って行く兵隊サン・・・。

どこか見覚えのある顔です。

その兵隊(患者)サンも片腕がありません。

私は巡回しながら、暫くその兵隊サンの事を思い出していました。


 「あ! あの時の」


それは私がこの病院に来る時、一緒の輸送船の中で上官に殴られていた兵隊サンでした。

私は殴られて唇を切ったその兵隊サンに、「ハンカチ」を渡したのです。

あの時の兵隊サンが片腕を飛ばされ、この病院に入院して居たとは。

私は、あの兵隊サンがどことなく「兄」に似ていたので覚えていました。


 数日経った朝。

私と緒方軍医長と野嶋婦長サンの三人で、兵隊(患者)サン達の間を回診していた時の話です。

私はウッカリ、筵から出ていた兵隊(患者)サンの足先を踏んでしまったのです。

兵隊(患者)サンは私を睨んでムックリと起き上がり、


 「キサマ〜・・・」


と怒り始めたのです。


 「あ! 失礼しました」


私は急いで謝り、その兵隊(患者)サンの名札を見ました。

名札には『宮本勇一(ミヤモト・ユウイチ) 二等兵』と書いて有りました。

よく見ると数日前の夜、外で用を足していたあの片腕の無い兵隊サンです。

その宮本二等兵も私を暫く見詰め、


 「あッ! あの時の」


私は軽く会釈をして、その場を去りました。


 それから数日して、宮本二等兵の所に朝食を持って行くと、眼は私の方を見て居るのですが、何も喋りません。

医務室に戻って渡辺軍医に尋ねると、


 「脳にバイ菌が回った(破傷風)」


と言うのです。


 ある朝の事。

宮本二等兵は突然病院から居なくなりました。

歩ける兵隊(患者)サンが、病院から消えてしまう事は珍しくありません。

私は「消えた宮本二等兵」の事を隣に寝ている『園田吾一 (ソノダ・ゴイチ)上等兵』と云う兵隊(患者)サンに聞いてみました。

するとその晩、宮本二等兵から、


 「殺してくれと」


と頼まれたそうです。

園田上等兵が、


 「イヤだ!」


と言って断ると、宮本二等兵は突然立ち上がりフラフラと病院の外に出て行ったそうです。

ここに入院して居る兵隊(患者)サン達は皆ギリギリの「階段」を登っているのです。

あの時、戦場の階段を踏み外せないで生きてしまった兵隊サンばかりなのです。


 その後の宮本二等兵ですか?

分かりません。

夜のジャンルで階段を踏み外し、奈落の底に落ちて逝ったのかも知れませんね。


 宮本勇一 陸軍二等兵

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

 園田悟一 陸軍上等兵

 (昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)

                          つづく

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