7頁 軍用犬『菊1号』
私がこの筵(ムシロ)の病院に来て一週間、経ちました。
この日も受付には朝から沢山の負傷した兵隊サン達が、並んで居(オ)りました。
兵隊サン達の周りには沢山の極楽蝶が乱舞して居ります。
昨日、「十二名」の兵隊(患者)サンが亡くなったので、収容出来るのは十二名です。
こんなに沢山並ぶ負傷した兵隊サンに「引導」を渡して行く『三人の軍医達』。
「オマエはまだ戦える。傷は浅いぞ。部隊に戻りなさい!」
「隣の病院に行ってくれないか。 ここは今、一ぱいなのだ、勘弁してくれ」
「すまん。ここでは治療は出来ぬ。他の病院に廻ってくれ」
傷病兵一人一人に右手を差し出し、固く握手をして励まして行く軍医達。
隣りで問診表を書くワタシも、感動して泣いてしまいました。
その中に一人、痩せた犬(軍用犬)を連れた兵隊(患者)サンが居りました。
兵隊(患者)サンの名前は『木村雄二(キムラ・ユウジ) 伍長』。
両目を負傷し、目をゲートルで巻いていました。
「犬」が眼の代わりをして、ご主人をここまで連れて来たのでしょう。
それは痩せ細っていましたが「立派な犬」でした。
犬の首輪には『菊1号』の名札が付いていました。
木村伍長の言う事を忠実に聞いています。
木村伍長は、
「キク、キク」
と呼んで犬に指示を出していました。
木村伍長は運良くこの病院に入院する事が出来ました。
緒方軍医長も盲目では始末が悪いし、無碍(ムゲ)には出来なかったのでしょう。
たまたま中ほどの筵(ムシロ)が今朝、空きました。
キクはワタシと一緒に、盲目の木村伍長を空いた筵まで案内しました。
木村伍長の側(カタワラ)を片時も離れずに付いて来るキク。
可愛いと云うよりあれは「人の化身」の様でした。
隣の筵に寝て居る『上田三郎(ウエダ・サブロウ) 上等兵』と云う兵隊サンも最初は、
「キク、キク」
と言って頭を撫でていました。
でもこの病院に入院して居る兵隊(患者)サンは、全てマトモ(正常)では無いのです。
キクを可愛がっていた上田上等兵も例外ではありません。
この兵隊(患者)サンは昼と夜とでは人格が変ってしまうのです。
厳しい戦場で精神をやられてしまったのでしょう。
ある晩の事です。
あれは木村伍長が深夜、熟睡して居た時。
その人格の変わる上田上等兵はキクを連れ出し、何処かに行ってしまったのです。
翌朝、キクが居ない事に気付いた盲目の木村伍長、
「キク、キク」
と呼びながら必死に病院内や外を探していました。
看護兵や衛生兵達も木村伍長の眼となって、一緒にキクを探していました。
暫くして、外が騒がしくなりました。
玄関で見ていた野嶋婦長サンに聞くと、ガジュマルの樹の下に胴体だけの血だらけの『キクの亡骸(ナキガラ)』を看護兵が見つけたそうです。
その樹の傍には、あのキクを撫でて居た上田上等兵が、大声で笑いながら座って居たそうです。
看護兵と病院に戻って来た上田上等兵。
盲目の木村伍長はとても怒って、その気の狂った上田上等兵の上に馬乗りになり、首を絞めて殺してしまったと言う事です。
看護兵や衛生兵もそれを見て、誰も止めようとはしなかったそうです。
木村伍長は、その気の狂った上田上等兵の息の止まった事を確認すると、自分も発狂したかの様に、
「キク、キク」
と叫びながらジャングルの中に消えて行ったそうです。
夕食の時間に成っても木村伍長は戻って来ません。
看護兵達はジャングルの中を探したそうです。
すると、ガジュマルの樹の蔓で、首を吊って死んでいる木村伍長を発見したそうです。
その足元には『菊1号の頭部』が置いてあったと言う事でした。
木村雄二 陸軍伍長
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
上田三郎 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
つづく
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