108 魔法青年は帝国入りする

「飛行魔法、習得されたんですね」

「あぁ。私にかかればこの程度は身につけられる。元々風魔法は得意だったからな」

胸を張って言ったのは、久しぶりに会ったギユメットだ。


どうやら、飛行魔法を習得していたことも、ギユメットが選ばれた理由だったらしい。

まだ慣れていないため一日に3時間ほどしか飛行できないらしいが、魔塔ではトップクラスなのだという。

そんなギユメットは、いつにもましてピシリとした上質なシャツとズボンにジャケットまで身に着けていた。大きなカバンには着替えや土産物を入れているそうだ。ローブはいつもの上等なものである。


一方のコーディはいつもの格好だ。サイズこそ合っているが、動きやすいシャツとズボンにローブ。鞄には少しの着替えとドレススーツ、辞書が入っている。

二人が並ぶと、どう見ても貴族と侍従見習いだ。

「まぁ、帝国の貴族はマナーを重視するからな。彼らとやり取りしている間、タルコットは私の後ろで聞いているだけでいいだろう。礼の取り方だけは覚えたな?あとは、直接聞かれた場合に聞かれたことにだけ答えればいい」

「助かります。僕はプラーテンスでもろくに貴族らしいマナーを学んで実践したことがないので」


コーディがそう言うと、ギユメットは片方の眉をひょいと上げた。

「今はいいが、主要国のマナーくらいはすべて覚えておいたほうがいいぞ」

「え、必要になりますか?」

「あぁ。研究室を持つ研究者は、各国と直接やり取りすることも増えるからな。没交渉という方法もあるが、そもそも向こうから連絡を取ってくる。ちょっとしたやりとりでも揚げ足を取る奴はいるし、なんにしても煩わしい。そのあたりをそつなくいなすのに必要な技術だ。私は当然、学園入学の前に一般常識として習得したがな」


確かに、外とのつながりが全く無くならない限りはそういったこともあるだろう。

ちょっとしたマナーが、コミュニケーションの鍵になることもある。逆に、思い違いでこじれてしまう場合もある。そういった意味で、ギユメットの言うとおり知っておいて損はない知識だ。

「なるほど……そうですね、研究室を持つのはまだ先の話だと思いますが、心に留めておきます」

「そうするといい」


うむうむ、とギユメットは満足そうに頷いた。

そこへレルカンがやってきた。コーディとギユメットは、魔塔を出て北側の門へ向かう道でレルカンを待っていたのだ。

「待たせたね。この親書を持っていってくれ。国境ではこっちの許可証を見せればいい。それから、ドン・ルソルのすぐ南の領地を治めるノディエ伯爵には別途手紙を送ってある。滞在に協力してくれるはずだから、遠慮せず受けるように。それから、無理はせずに、できるだけ詳しく調査してきてほしい。めったにないことだからな」


「わかりました、先生。私は監督者としてやり取りするだけですからね。ご心配には及びません」

ギユメットが、レルカンから封書を受け取りながら答えた。自信のありそうなギユメットを見て、レルカンは満足そうにうなずいた。

「負担をかける。しかし、我々には必要な情報だ。どうか頼む。タルコットくんも、ジェルマンを頼るといい」

ジェルマンとは、ギユメットのファーストネームだ。この師弟は、礼節こそきっちりしているが、わりと仲が良い。


「はい。僕にはわからないことも多いので、頼もしいです。道中の危険は、僕も気をつけます」

「ジェルマンは貴族としても優秀だからな。対魔獣に関しては、タルコットくんを信用しているよ」

ディケンズとは、昨日のうちにやり取りを済ませた。向こうで魔法陣や石碑のメモを取ってまとめたら、すぐに手紙を転送する手はずになっている。

ギユメットが親書をかばんに入れたのを確認して、レルカンは一歩下がった。


「では、行ってまいります」

「行ってまいります」

「あぁ、気をつけてな」

なんだか初登校の子どもを見送る親のようだな、と思いながらコーディは軽く頭を下げた。

そのまま北側の門へと向かい、森へ出てからは空の旅だ。






迷いの樹海の上空を飛び、3時間弱でロスシルディアナ帝国の国境が見えてきた。

別に国境をすべて塀などで覆っているわけではないが、入国審査を行っている小さな関所が存在する。もっとも、迷いの樹海への出入りはほとんどないので、どちらかというと樹海へ迷い込む人がいないかを見張っている意味が強いだろう。

コーディとギユメットが樹海方面の上空から降り立つと、関所で見張りに立っていたらしい兵士が慌てて中へ入っていった。


「いやぁ、歩いて来られる研究者様は年に数回いらっしゃいますが、飛んで来られたのは初めてですよ」

きっちりと騎士服を着込んだ男性が、二人の前に立ってそう言った。帝国出身者が多いからか、定期的に帰省する研究者がいるので通行量はゼロではないらしい。

「そうだろうな。我々としても初の試みだ。まだ飛行魔法を長時間行使できる者は多くない。が、これからは増えるだろう。それから、飛行魔法を使えるからといって魔塔の者とは限らない。こういった許可証を持っているかどうかは、きちんと確認してくれたまえ」


「はい、お言葉しかと受け止めさせていただきます。まぁ、実用的に飛行魔法?を使いこなされるのはまだまだ魔塔の方しかいらっしゃらないでしょうが」

男性はそう言いながら、証明書を確認してサインした。表情は冷静だが、親しみを感じる態度だ。

「当面はそうだと思うが、特に秘匿している技術ではないのでな。念の為だ、容喙ようかいならすまない」


「いえいえ、気にかけていただけるだけで十分ありがたいですよ。それに、ご理解もいただけて助かります。……では、こちらをお持ちください。こちらは帝国内での簡易身分証明にもなりますので、それぞれご自身のお名前が書かれた方を携帯してください」

男性は、証明書2通をテーブルの上に広げてこちらへ向けた。それぞれギユメットの名前とコーディの名前が入っていて、右上には小さな魔法陣もある。

さっと読み解いた限り、内容の書き換えを禁じるものらしい。追記はできるので、関所の役人が通過許可のサインをすることはできるわけだ。


「そう言ってもらえると、こちらも助かる。……確かに、受け取った。帰りもこちらを通ると思うので、そのときはまた頼む」

証明書を畳みながらギユメットがそう言い、コーディも受け取ってぺこりと頭を下げた。

彼は『使われている役人』感を出しているが、どう見ても貴族の所作である。爵位まではわからないが、態度から察するにギユメットの方が上らしい。



そのまま外へ出て男性と簡単に言葉を交わし、見送られながら二人で空へ舞い上がった。


そして、関所が後ろへ流れて見えなくなったところで、ギユメットがギブアップした。

体力的には問題ないが、魔力がつきたらしい。顔色も少し悪くなっていたので、本当にギリギリまで使ったようだ。


―― これも、貴族の見栄というやつかのぅ。


コーディも一緒に街道の近くへ降り、そこからは数時間歩くことになった。

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