番外編2 ブリタニーの留学物語

「ウェイレットさんって、意外と情熱的だったのね」

ブリタニーが研究室の荷物を片付けていると、先輩の女性研究者がそう言った。そこには妬みやからかいといった感情はなく、単純に事実を表現しただけのようだ。

「そうでしょうか?」

こてん、と首をかしげたブリタニーに、先輩は苦笑した。


「あら、無自覚なの?それとも当たり前だと思っているのかしら。婚約者が留学先から呼んだからって、すぐに手続きして一週間で出発なんて、なかなかの情熱と行動力だと思うわ」

そもそものきっかけは、スタンリーとチェルシーの結婚式のときに酔っ払って愚痴りあったことだ。その愚痴の解決策として、ヘクターと婚約することになった。

そんな自分たちに男女の情熱があるかは疑問だが、お互いに魔法や魔法陣への情熱は確かにある。


結婚式からの帰りに同じ馬車に乗り、婚約に関して打ち合わせた。一通りまとまった後で、ヘクターが誘ってくれたのだ。

「リットは、魔法陣に興味ある?」

家族にはリットと呼ばれている、と伝えると、ヘクターは遠慮なくブリタニーを愛称で呼ぶようになった。ヘクターには特に愛称はないようなので、ブリタニーは普通に呼び捨てにすることにした。


「もちろん。タルコットくんにお願いして、魔法陣の基礎の本を送ってもらったくらいだし。でも、文字を覚えて文法も覚えて、って結構独学だと辛いものがあるわ。間違ってるかどうか確認も難しいし」

「……だったら、ズマッリの研究所に来ない?ズマッリの魔法陣研究所とプラーテンスの魔法研究所で交流を持とうっていう計画があるんだけど、実現までにはまだ時間がかかると思うんだ。かけあってみないとわからないけど、学園の魔法講師を兼任する形での研究員なら、リットは優秀だし、すぐに受け入れてもらえると思う」

楽しそうに言うヘクターを見て、ブリタニーは目を輝かせた。


「ズマッリの魔法陣研究所に行けるなら、魔法講師くらい引き受けるわ!あ、私、もともと火魔法使いだったけど、タルコットくんの論文を読んで訓練してみたら風と土も使えるようになったの。そのへんも有利に働くかしら?」

「そもそも、俺よりもリットの方が魔法は得意だもんな。所長に話して、わかったらすぐに手紙を出すよ」

「ありがとう、ヘクター!受け入れてくれたらいいなぁ」

「うん」


そんな風に言いながら王都に帰り、双方の両親に驚かれつつ婚約を結んだのが約半月前。

ヘクターが「もっとリットとしゃべりたかった」と子どものようにぐずりながらズマッリに帰ってから、ほんの3日後に手紙が来た。

どうやら、向こうに到着してそのまま所長に直談判しにいったらしい。そして、二つ返事で了承を得てきたそうだ。


その手紙を受け取ったブリタニーは、こちらもすぐに研究室の上司に相談。本当は辞めて向こうに行くつもりだったが、ズマッリで魔法陣を学ぶと聞いた副所長が休職を提案してくれた。

無給だが、籍を置いておいてくれるらしい。

「私も興味はあるが、向こうまで行くのはな。戻ってきたら、魔法陣のことを教えてほしい。ついでに、まだ枠がありそうならこちらの研究所の人員を推薦してほしい」

とは、上司の談である。

そう上手くいくかどうかはわからないが、魔法研究所の人たちは確かに優秀なので、もし聞かれたら推薦しておくと答えた。


そして手続きを進め、実家に連絡し、1週間ほどで出発と相成ったのである。

ブリタニーは、惜しむ声と期待の声に送られて、ズマッリへと旅立った。






数日の馬車の旅を経てズマッリに入国し、さっそく魔法陣研究所へ向かった。

到着して窓口で手続きを頼んでいると、バタバタと走ってくる足音が聞こえた。

「リット!久しぶり、長旅お疲れ様!」

「ヘクター。まだ2週間くらいしか経ってないわよ」

「待つ時間って長いんだよ」

そう言いながら、ヘクターはするりとブリタニーの荷物を手に持った。



魔法陣の勉強は、ものすごく面白かった。

独特の文字と文法がわかれば、問題なく理解できるようになっていった。

同じようなところで躓いたヘクターが都度教えてくれたので、ブリタニーはサクサクと学べた。


「リット、お昼食べに行こう」

「わかったわ。それじゃあ、失礼します」

ヘクターは研究もしているが、学園の講師に呼ばれたり所長(王弟)に呼ばれてプラーテンスとのやりとりを補佐したりと忙しい。


そこで、昼休みを一緒に取るのが二人の恒例になっている。

ブリタニーが初めて講師を務めるときこそ心配してついてきたが、2回目以降は都合がつけられず見送るだけだった。

もともと気の合う友人だったので、二人で過ごすことに違和感はないし、男女の駆け引きも不要で身構えなくていいし、話も弾むので一緒にいて楽しい。





そうして生き生きと研究留学生活を楽しんでいると、ふと噂を耳に入れてしまった。

「やっぱり、カトラルさんには本命がいたんだわ」

「強くて気さくだしそこまで高位でもない貴族だから、良いと思ったのにね。全然反応がよくないなんて、何だろうと思ってたら」


そう聞こえてきたので、廊下の角で思わず立ち止まってしまった。

「あれを見たらよくわかったわ。だって、ねぇ」

「すっごい気にかけてるっていうか、お世話してるっていうか、なんかこう、纏わりついてるわよね」

「いつでも駆け寄ってるイメージしかないわ。スキンシップも多いし。懐いてる感じだけど、あれはほとんど執着じゃない?」

「まぁ、ラブラブよね。ベタベタした感じがないから許せる範囲かしら。あんなふうにひっつかれてるのに、ウェイレットさんがなんだかさらっと受け入れてるんだもの」

「彼女、いつも自然体よね。なんかいいわ、こっちも肩の力が抜けて癒やされる」

「それでカトラルさんが癒やされに行くわけね」

「わかるけどちょっとあれは鬱陶しい」

噂をしているのは、研究所の女性所員たちだった。年も近く、ブリタニーも世間話をしたことのある人たちである。


「でさ、ウェイレットさんものすごく魔法が上手なんでしょう?」

「聞いた聞いた。火魔法が信じられない威力とコントロールだって。しかも、土魔法も使えるって」

「風魔法もよ。あのプラーテンスで魔法研究所にいたっていうんだから、相当優秀ね」

「優秀で、美人で、癒やしなのね。そりゃあカトラルさんも惚れ込むし囲い込むわ」

「確かに囲い込んでるわね。私たち、ほとんどお昼に誘えないもの」

「ね。彼女に色々聞いてみたいのに、カトラルさんが独り占めしてるもん」

「1年近く離れ離れだったから仕方ないのかもしれないけどね」


きゃわきゃわと話すのを聞き、ブリタニーは思わず赤面した。

確かに仲良くはしていたが、自分としては友だち付き合いの延長だったのだ。もちろん、婚約者になったし留学先で知り合いがいないしと、一緒に過ごしていた理由はあったが、まさか周りにそういう風に見られていたとは。



彼女たちが立ち去ってからも、ブリタニーは恥ずかしさに動けないでいた。

そこに、ヘクターが軽い足取りでやってきた。

「あれ?リット。こんなところで立ち止まってどうかした?体調でも悪い?」

さらりと肩に手を置いたヘクターが、顔を覗き込んで心配そうに見てきた。

数秒迷ったが、耐えられなかったのでブリタニーは口を開いた。


「なんか、……私たちが、こう、すごくラブラブだって」

「ん?うん。それって、嫌な雰囲気の噂?」

「ううん。むしろ好意的な感じだった」

「ふぅん。普通に仲良く一緒にいるだけなのになぁ。なんでそういう結論になったんだろ。どう言ってたの?」

「えっと、ヘクターが」

「うん」

「ヘクターが、私を気にかけてて」

「そりゃそうだろ、知り合いのいない留学先なんだから」

「それから、すごいお世話してて」

「まぁ、留学の先輩だからな」

「駆け寄ってくるから懐いてるみたいって」

「あー……」

「その、纏わりついてる感じでひっついてて」

「……」

肩に置かれた手に、きゅっと力が入ったのがわかった。


「でも私がそれを受け入れてて」

「……」

「ヘクターが囲い込んでるって」

「……」

「……ヘクター?」


会話を思い出して並べていくと、なんとなく落ち着いてきた。

確かに距離は近いが、女子同士の仲良しだとそういう距離感で周りを排除することもよくある。つまり、やはり友情の延長であって、彼女たちの言うようなラブラブとは少し違うだろう。


返事がないので、恥ずかしさに俯いていた顔を上げた。

すると、ヘクターは目が点になっていた。

「ヘクター、大丈夫?外から見たらそうだっていうだけだから!ね?びっくりしたの。それだけ、気にしないで」

「外から見たら……」


自分の行動を思い起こそうと目線だけで斜め上を見たヘクターは、しばらくして首から上を真っ赤に染め上げた。

「あああああ!!!」

両手で頭を抱え、ヘクターはしゃがみこんだ。

「ちょ、待って、そこで照れないで!私まで恥ずかしい!!ね、ここ廊下!立って、せめてあっちのベンチに」

ヘクターの手を引こうとしたブリタニーの腕を、彼はそっと掴み返した。


「いや、俺、自分でもびっくりだわ。無自覚だった」

「え?」

「俺、リットが好きだ」

「っ!?」

「リット、結婚して」

「も、もう婚約してるわよ」

「そうだった!」

にぱっと笑ったヘクターは、さっと立ち上がって掴んだ腕を引っ張った。


「うわー、嬉しい。好きな子と結婚できるんだ、俺。ヤバい幸せ」

そのままぎゅうぎゅうと抱きしめられた。ハグは嫌ではないが、正直に言えば、首の向きをどうするのが正解かわからなくて苦しい。

「ちょ、っと。ここ、廊下」

「うん。少しだけ」

そう言われて、ブリタニーは開きかけた口を閉じ、腕をそっと背中に回した。





ブリタニーの気持ちを聞き忘れた、とヘクターが気づいたのは、その日の夜であった。

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