57 魔法青年はプチ切れる
「先生!セルマ夫人っ!!」
魔法陣の発動を感知して、コーディは急いでディケンズの自宅へ向かった。
力技でディケンズの家の近くに転移したので、襲撃の通知からわずか10秒のことである。
通りの向こうに走り去る黒いローブが目の端に映ったが、それは無視してセルマに駆け寄った。
前庭の石畳で、セルマは籠を放り出してぺたりと座り込んでいた。パッと見たところは怪我はなさそうだが、顔色が悪い。
ディケンズもすぐに玄関から飛び出してきた。
「セルマ!」
「あ、なた……。いま、火が」
「セルマ夫人、お怪我はありませんか?」
ディケンズが妻を抱えて支えたので、コーディは籠と中に入っていたのだろう散らばった布を集めて持った。
「あら、もしかして、エムさんのお弟子さんかしら?」
支えられたセルマは立ち上がってからコーディに気づいた。ゆったり構えているように見えるが、手や足が細かく震えている。ちなみに、ディケンズのフルネームはエマニュエル・ディケンズなので呼び名がエムさんになっているらしい。
「はい、弟子のコーディ・タルコットといいます。まずは、家に入りましょう」
「セルマ、もっともたれて構わんから、少しずつ足を動かせるか?」
入ってすぐの応接スペースに置いてある一人用ソファにそっと腰をおろしたセルマは、深く息をついた。その震える手を横に立つディケンズがさすっている。
「キッチンお借りします」
「あぁ、そこの右奥だ」
ディケンズが教えてくれた場所には綺麗に整ったキッチンがあった。
持っていた籠をカウンターに置き、コーディは甘い紅茶を淹れた。
「セルマ夫人、とりあえずこの紅茶を」
「まぁ、ありがとう」
まだ呼吸が浅い。ホリー村はかなり治安がいいので、こんな目にあったのは初めてだろう。
ディケンズに背をさすられながら、セルマはゆっくりと紅茶を口に含んだ。
昼下がりだがたまたま人通りはなかった。
黒いローブのフードを深く被っていたので、顔はわからなかった。
外へ出ようとしたら突然門の向こうから出てきて、杖をこちらに向けてなにかしようとした人と、包丁よりも刃渡りの長い短剣のようなものをこちらに向けて走ってくる人が見えた。
何かの魔法と短剣がこちらに届く前に、ポケットのあたりから火が噴き出して襲撃者を攻撃した。
魔法は消えたように見えた。
火の勢いに驚いて尻もちをついたところで襲撃者が3人だということがわかり、彼らは口々に熱いと言いながら逃げていった。
セルマの証言をまとめたところ、相手は本気でセルマを傷つけるつもりできたことがわかった。
命を奪うレベルで、本気で攻撃したのだ。
魔塔の研究員でもなんでもない、一般の女性に対して。
コーディは、ぎりり、と奥歯を噛み締めて拳を握りしめた。
たかだかプライドを傷つけられた程度で、相手を傷つける目的で本人ではなく無力な関係者の命を奪いにきたのだ。
「一応、防犯機能をつけていたのが役立ちましたが、ちょっと威力が強すぎたみたいです。もう少し調整が必要ですね」
諸々の感情を飲み込んだコーディが肩をすくめてあえて軽く言うと、その意図を理解したセルマはくすりと笑った。タイミングよくコーディが現れたことも疑問だろうに、そのあたりも飲み込んでくれたようだ。
「嫌だわ、弟子だからってエムさんと同じように研究第一じゃなくてもいいのよ」
「む?ワシはときと場合をわきまえておるぞ。今はセルマ第一じゃ」
「まぁよくおっしゃること」
会話することで感情を落ち着けていく仲の良い老夫婦を見て、コーディはもう大丈夫だろうと頷いた。
「僕は、自警団に不審者が出たことを伝えて帰ります。きっとあちらは火傷をしましたし、失敗したので今日また来ることはないでしょう。それでも心配なので、できればご親戚のお宅で奥様を休ませてあげてください」
「そうじゃな。自警団がどう動くかはわからんが、一応伝えておいてくれ。今日……いや、当面は義兄の家にお邪魔させてもらうとする。刺繍のハンカチもまだ何枚かあるから大丈夫だ。コーディも、気をつけて帰るんじゃぞ」
「わかりました」
門を出て、少し歩いて角を曲がる。
「……逃がすわけがなかろう?
怒りのため無表情になったコーディの視界には、半透明の地図と赤い点が見えていた。火魔法の放出と同時に、追跡用の小さな魔法陣を襲撃者の服に焼き付けたのだ。地図は追跡魔法に付随させた自分専用の画面表示である。
ディケンズには追跡の魔法陣のことは伝えていない。証拠集めに使えると思ったからこっそり付帯させたのだが、もはや証拠集めなどと悠長なことを言っていられなくなった。きっと、次はもっと厳重に準備して襲撃しようとするだろう。当然、そんな余裕など与えるはずもない。
コーディは、赤い点に向けて静かにかつ迅速に足を進めた。
◇◆◇◆◇◆
「失敗しました!」
「も、もうしわけ、ありまっ!せん!!」
とある屋敷の裏口がノックもされずに音を立てて開けられた。ところどころ焦げたローブを着て、あちこちに火傷を負った男が3人、飛び込むように入ってきた。
「どういうことですか?」
彼らの目の前にいたのは、お仕着せを着た執事のような男だった。
報告先はその執事で間違いない。
「こ、この短剣を向けたんだ!間違いない!」
「おれも、つ、土魔法の、魔法陣で強化した石の刃を飛ばしたはずなんだっ」
「私は、この魔法陣に魔力を込めた!発動、したと思ったのに!」
口々に言い募る彼らを見下ろし、執事は片眉を上げた。
「つまりは、何らかの魔法で攻撃がすべて止められ、あげく火魔法で攻撃され、おめおめとこの屋敷まで逃げてきたと」
「し、仕方ないだろう?!」
「人に、攻撃なんて、生まれて初めてなんだぞっ」
「言われたとおりにしただけだ!なのに、なんで」
執事はボロボロのまま床に座り込む3人を冷たい表情で見下ろしていた。
「言い訳は不要。完敗したという結果だけで十分です。はぁ、貴方がたのような樹海にすら出ない研究者もどきを信用したのが間違いでした。次はもう少しまともな方に頼みましょう」
「な……?!」
「もどきとは何だ?!俺はれっきとした魔塔の研究者だぞっ」
「待て、失敗したからってコーエン先生には――」
暴言に絶句したり言い返したり、口々に執事に言い募る3人は、執事にギロリと睨み下ろされて黙った。
「そのとおりでしょう?樹海に出たことなどないし、論文もこの数年自著のものは出していない。確実に仕留められるよう、威力を強めたものを私自ら準備して与えたというのに。たとえ開祖の子孫だろうが、コーエン様に逆らうものの身内など死んでも構わないのです。ただの一般人を消すだけのことすらできないとは」
ふぅぅ、と深いため息をついた執事は、軽く額に指を添えて頭を左右に振った。その言葉を聞いて、3人のうちの1人が驚きに目を見開いた。
「開祖の血筋だと?!あの婆さんがかっ!!……、それなら失敗して良かったぜ。俺は降りる!開祖の子孫に手を出して村にいられる人間なんていないんだ。さすがのコーエン様もバレたらタダじゃすまないと思うぜ。じゃあな!」
またしても音を立てて扉を開き、叫んだ男は慌てて走り去っていった。
「ま、待て!俺も降りるぞ。こんなことやってられない」
「俺だって……!ちょっと脅かすだけだって言ったじゃないか!殺すレベルの攻撃なんて聞いてない!け、契約違反だ!!」
残りの2人も、慌てふためいて飛び出し、扉をばたんと閉めた。
「まったく、学も実力もなければ矜持もないとは。しかし、使えない人材を選んでしまったのは私のミスです。きちんとコーエン様にご報告してご希望を叶えるのが遅くなると謝罪しなくては。それにしても馬鹿ばかりですね。私が彼らを把握していないとでも思っているんでしょうか。魔塔はもとより、村からも魔法の研究界隈からも追放ですよ、当然です。罰として身一つで追放すれば、彼らのことですから命も樹海で散らしてくれるでしょう」
にんまりと口の端を上げた執事は、しかしすぐに表情を消した。
「……あいつらめ」
扉は大きく音を立てたが、その後聞こえるはずの門の音が耳に届かない。彼らが来るときには門を開ける音が聞こえた。立ち去ったなら門を閉める音が聞こえるはずである。つまり、彼らは門を開けっ放しで去ったのだろう。
眉をひそめた執事は、静かに勝手口の扉を開いた。
昼下がりの庭は、いつもどおり整っている。そしてさきほどの3人は影も形も音もなく、裏の門はしっかりと閉まっていた。近隣に気づかれないよう、静かに門を閉めていったのだろうか。
万が一を考え、敷地内を一周、次いで敷地の外も一周してみたが、何の痕跡もなかった。
立ち去ったのであれば問題はないはずである。
そして、執事は襲撃が失敗したことを報告した。成功の報告しか欲していない理不尽な主人は、執事を容赦なく殴った。
その仕打ちを粛々と受け止めた執事は、次で挽回することを胸に誓った。
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※サブタイトル、ブチ切れではなくプチ切れで間違いありません。
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