39 魔法少年とはもう関係なくなった人の話
俺は、アドルフ・タルコット。
タルコット男爵家の長男で跡継ぎ。……だった。
すでに男爵家は取り潰され、罪人の平民アドルフとなって数ヶ月経った。
罪状は、違法薬物取引のほう助。さらに調査の結果、コンパクトながらも運営しやすいはずの男爵領を管理すらできず食い潰していたと判断されて領地は取り上げられた。
母は北の修道院に身一つで送り込まれ、父と俺、すぐ下の弟は西の鉱山に送られた。
まるで犯罪奴隷のような扱いだ。
否、もはや犯罪奴隷なのだ。
父は坑道で働くふりをしながら毎日くだを巻いていたし、すぐ下の弟は鉱山にいる奴らと殴り合いの喧嘩をして何度も独房に入れられた。繰り返す喧嘩は問題行動だとされて特別監視区域にいるので、俺達のいる一般区域と交流がなく、弟が今どうしているのかわからない。
俺は、何が正解かわからず、毎日言われるがまま働いている。
頭脳労働が得意なのに、ひたすら坑道に潜って石を掘るのはとても苦痛だ。
しかし、ある日ふと気づいた。
確かに労働は非常に辛いものだし、貴族として敬われず平民と同じ扱いだし家事も必要だが、毎食きちんと味のついた満足な量の食事が与えられ、休む部屋も隙間風など吹き込まない一人部屋。
もしかして、男爵家でのギリギリの生活より、快適じゃないか?
ぼんやりとどうでもいい考えに逃げた理由は、先週受け取った新聞の小さな記事だ。
俺は、俺達は、一体どこから間違えていたんだろう。
新聞の見出しには、「コーディ・タルコット、魔塔から入所許可。准騎士爵を叙爵」とあった。
記事を簡単にまとめると、あの一番下の落ちこぼれのはずの弟が、革新的な魔法の論文をいくつも発表し、王都近くのスタンピードを食い止め、魔塔からスカウトが来て、それらの功績の報奨として叙爵することになった、と。
さらには、元タルコット男爵家の三男であったが、元男爵家が例の違法薬物関連で取り潰しになった際、無関係の未成年であることを加味して平民となったことも書かれていた。そして、今回叙爵した准騎士爵は、あくまで本人にのみ効力をもたらす爵位なので、元男爵家とは無関係のものである、とはっきり書かれていた。
見出しだけを見た父は、自分もこれで助かると喜び勇んで周りに「息子が叙爵されたからこんなところからは釈放される!」と言って回った結果、記事を読んだ他人に指摘されて喧嘩となって初めて独房に入った。
3日後、その記事をやっと最後まで読んだあとは真っ白に燃え尽き、連れ出される坑道にこそ行くものの、ろくに働かず、それ以外のときにはただひたすらベッドに座っている抜け殻になった。
あまりに働かないので、そろそろ特別監視区域に連れて行かれるかもしれない。
下の弟がどう思っているか、どうなっているかはわからない。
特別監視区域は、ここに長くいる者から聞いた限りでは「人格を矯正される場所」らしく、周りの情報は入らないし中の情報も出てこない。
ただ、ごくたまに特別監視区域から出てくることができた奴は、完全に人格が変わっていて、看守や役人にひたすら従順で毎日きっちり働き、規則正しく生活する、欲を削ぎ落とされた奴隷のようになっているそうだ。
父は何もしないし、下の弟も俺とはもう関わることがないので無害と同義だ。
母だけは、毎日のように手紙を寄こしてくる。
父にも届いているようだが、最近は部屋の隅に積まれている。俺に届ける手紙には、ひたすら修道院がどれほど酷い場所なのかが書かれていた。
しかし、俺に言わせると修道院は天国のような場所だ。
女性に対する無体な暴力などはなく、お祈りと刺繍と家事と庭の畑の手入れだけが毎日の労働。
毎日お湯を張ったたらいを使え、たまにではあるがお茶の時間にお菓子も出るらしい。
外にこそ出られないが、外から訪れる人はいて、情報も随時入ってくる。
贅沢を言わなければ、温かい食事と清潔な服が与えられ、騎士に守られた教会に自分の部屋を持てるのだ。
庭の畑の手入れも、できるものがするので母はしていないらしい。
つまり、母は日がな一日刺繍をしながら同じように修道院に来た元貴族のご婦人とおしゃべりに興じているわけだ。
掃除や洗濯、調理といった家事は、平民の仕事となっていて元貴族の婦人たちは当然手を出さないと書かれていた。
出さないのではなく、出せないの間違いだろうとアドルフは思っている。そもそも、貧乏男爵家の婦人だった母ですら、家事は通いの農婦にさせていたので指示しかできないはずだ。
下手に手を出せば、邪魔にしかならないことが目に見えているから、何もしないよう誘導されているのだろう。
金の心配をしなくて良い分、男爵夫人だった頃よりも余裕のある生活をしているんじゃないだろうか。
しかし、まるで自分が世界で一番不幸な目に合っているかのような愚痴と不満がひたすら綴られた手紙。
自分しか見えていない文章に、「叙爵までしたコーディが何もしてくれないのは親不孝ではないか」という文句が追加されるようになった。
アドルフは、もう母からの手紙を自分に届けないよう鉱山の管理人に伝えた。
違法薬物の輸入の親元だったという公爵家は、ブリンクでの魔獣退治(ほとんど死刑と同義)が刑として与えられているらしいと聞いた。
アドルフたちがそうならなかったのは、ひとえに魔獣退治できるほどの能力すらないため。
自分たちの刑期は無期限。
これからは、ただ生きて罪を償わされるだけだ。
アドルフは、開かない窓から夜空を見上げた。
◆◇◆◇◆◇
―― 学園の教師という誉れにあった私が、どうしてこんなことに。
オーガスタス・オリオーダンは、実家の離れの小屋に軟禁され、毎日領地の事務作業を手伝わされていた。
それも、特に重要なものではない。ある程度わかるなら誰でもできるが、ただめんどくさいという部類のものだ。オーガスタスの手にかかればほんの2〜3時間の仕事が、週に3回程度。
嫌がらせにしか思えなないが、正しくオリオーダン侯爵家の当主となった兄の嫌がらせなのだろう。
そんな状況でくすぶっていたある日、珍しく兄が離れにやってきた。
「オーガスタス、まさかとは思うが、お前は違法薬物に関わっていないだろうな?」
「兄上?!そんなわけがないでしょう!私は、誉れ高い、学園の教師でっ!!」
「……そうか。そうだな。お前はそういうやつだ。だから、一回で使い捨てられただけだったんだな」
「っ!!!」
兄は、哀れなものを見下ろす目でオーガスタスを見た。
「プライドが高くて、でも大したことはできなくて、学園の教師であることに固執していた。どうしようもなく小物だ。しかし、そのおかげでどうにかオリオーダン侯爵家は難を逃れた」
「難?兄上、いったいそれは」
怪訝な顔をしたオーガスタスの前に、バサリと2部の新聞が投げ捨てられた。
折ってある新聞に書かれた見出しは、すぐ目に入った。
「っ?!ナッシュ公爵が捕縛?!まさか、あの方が……。こっちは、……っはぁ?」
古い日付のものは、ナッシュ公爵を筆頭とする貴族派の大部分が、違法薬物に関わっていて取り潰しや家長の挿げ替えがあり、罪人に刑罰が与えられたという内容だった。
新しい方は、あの生意気なタルコットが叙爵されたという記事だ。
「嫉妬か何か知らないが、こっちはお前が突っかかった生徒だろう?あのときにさっさと切られたおかげで、それ以上の瑕疵はオリオーダン侯爵家にない。とはいえ、お前がやらかしたことはある程度広まっているからな。多少肩身は狭いが、あのナッシュ公爵に強要されたようだと言えばなんとか同情の方向に持っていける」
ギリギリ首がつながった、と兄は言い捨て、オーガスタスの返事を聞くこともなく小屋を出ていった。
「もし、あのまま教師を続けていたら……」
きっと自分は、もっとタルコットに難癖をつけてさらに醜態を晒す羽目になっただろう。叙爵されるような相手を敵にしたら、それこそ貴族籍を抹消されていただろうし、オリオーダン侯爵家も何らかの被害を受けたはずだ。
まさに、ギリギリ首がつながったのだ。
侯爵家から出られず、未来もないとはいえ、オーガスタスが貴族籍のままなのは、きっと両親と兄のなけなしの恩情である。
なんとも言えない感情が胸を駆け巡り、オーガスタスは目の前に落とされた新聞を裏返した。
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