3 コーディの受難と最期の出会い
魔法学園は、貴族の子どもたちのための学校である。
強制ではないが、高位貴族から下位貴族までほぼすべての貴族の子どもたちが入学し、寮生活をすることで国への忠誠心や貴族としての心得を学ぶ。
そして、タルコット男爵家の三男であるコーディは、学校においては準男爵や騎士爵についで最下層に位置づけられる。
まだ爵位を継いでいない、子どもたちのための学園だ。
表向きには学び舎だからこその平等や同等などと耳障りの良いことを言っているが、実際の学園内には身分差による支配が横行していた。
そして、子どもだからこそ躊躇も遠慮も配慮もなかった。
「あぁ?黒いゴミだと思ったら、極貧タルコットじゃないか。こんなところで寝転んだら邪魔だろ」
空き教室に入ってきたコーディを蹴りつけて転けさせてから、さらに靴で踏みつけたのは金髪に碧眼のアーリン・ナッシュだった。
アーリンはナッシュ公爵家の長男で、曾祖母が元王女というやんごとない血筋であることを自慢し、生まれと身分をかさに着て、常に3人ほどの取り巻きをつれて学園内での権力を欲しいままにしていた。
よく手入れされた金髪はキラキラと煌めき、整った顔、叩き込まれた優雅な所作、そして大きな魔力。火魔法を受け継ぐナッシュ公爵家にあって、なお膨大な魔力量だと判定されており、アーリンは厳しく教育されながらも大事に甘やかされて育った嫡男だった。
「ぅっぐ……すみ、ません」
ぎゅうぎゅうと腹を踏みつけられながら、コーディは小さな声で謝った。
「あぁ?聞こえないなぁ。おいお前ら、何か聞こえたか?」
「いいえ。ナッシュ様のお耳に入るにふさわしい言葉は何一つ」
「気のせいじゃないですか?至高の存在に向けられるセリフ、もしかしたらこれからなにかあるかもしれませんよ」
アーリンの言葉に、取り巻きたちが便乗して楽しそうに嗤った。
その間も、靴のかかとはコーディの腹をグリグリとえぐるように動いていた。
「ナッシュ様、ゴミを踏んだままでは靴が汚れてしまいます」
取り巻きが言うと、アーリンはやっと足をコーディからどけた。
助かったと思ったが、その取り巻きはコーディに近づいて思いっきり足を振り上げた。
「ぅぶっ!!!!」
どかっ!!っとボールのように蹴りつけられたコーディは、大きく開けられた窓から中庭へと転げ出た。
昨日雨が降っていたので、全身が泥だらけになった。
「ナッシュ様、お御足を」
「ん」
取り巻きの一人が風魔法を使い、大して汚れていないアーリンの足の汚れ取り去った。
そのとき、砂を巻き込んでコーディにぶつけるのを忘れない。
「ぐ、ぅ」
コーディは唸ったが、小さく丸まって耐えるほかなかった。
「良い時間ですね。昼食にまいりましょう」
「そうだな。今日は火鶏のローストだったか?メニューとしてはまぁまぁだな。下位食堂ではそれすらないらしいが、一体何を食べるんだろうな?」
「さあ?我々の食べ残しではないですか?」
「さすが卑しいだけのことはありますね」
はははは、と彼らは笑いながら去っていった。
アーリンはまぁまぁと評価していたが、火鶏は魔獣の一種で、かなり高級な肉である。庶民では口にすることなどまずなく、もちろん貧乏貴族のコーディも食べたことがなかった。
食堂は寄付金によって場所が分けられており、上位の方はレストランとして給仕がつき、座るだけでコース料理が出てくる。
下位の方はセルフサービスとなっていて、食事を選んで取り、食器を下げるところまで自分で行わなければならない。一応、上位はレストラン、下位はビュッフェという名称がついていたが、ビュッフェの方についてはほとんどの生徒が「下位食堂」と呼んでいる。
コーディは当然、下位食堂で食べていた。
レストランのメニューの材料は、ある意味使い回されて下位食堂の料理になっている。
それは、お金のある貴族の当主たちがこぞって多額の寄付をしており、その一部が食堂に当てられているからだということは多くの生徒が知っていた。
まずは出資者の子どもたちに返し、残りは余裕のない家の子どもへおこぼれとして与えられる、というわけだ。
それでも、コーディにとっては十分に贅沢な食事だった。
カビなど一切ない焼きたてのパンに、火鶏の骨から取ったスープ、たっぷりの野菜、普通の鶏のソテー。
タルコットの家では、ほとんどお湯のような野菜くずのスープと固くなったパンがあれば十分な食事だったのだ。肉も野菜もきちんと出る学園の食事は、コーディの未発達な体を成長させてくれた。
1年半ほどの間に、20センチ近くも背が伸びた。
これまでは全体で見てもかなり小さくガリガリの体だったのに、平均か、少し大きめくらいにまでなっていた。肉も少しはつき、貧相ではあるが貧しさを感じ取るまではいかないほどになったのだ。
イジメは最初からあった。
初めこそ遠慮がちといってもいい程にちょっとした嫌がらせだったが、すぐに暴力が伴うものへと変化していった。
初めての骨折は2年に上がってすぐだっただろうか。
階段から突き落とされ、腕の骨を折る大怪我を負った。
流石にそのときには周りの生徒が養護教員を呼び、コーディは初めて治療魔法を経験した。
治療魔法と言えど、万能ではない。
魔力を使って体を修復するのだが、元々持っている体力や魔力を利用して治していくのだ。
つまり、コーディは治りが非常に遅かった。
普通なら2日程度入院すれば完治するところ、なんと2週間もかかった。
さすがに大怪我を繰り返すと調査されるかもしれず、まずいと考えたのか、暴力はあっても骨折などの大怪我まではいかないよう調整するようになった。
入院中はイジメもなかったので、それが良かったのか悪かったのか、コーディには判断できなかった。
高位貴族に目をつけられたコーディには、当然友人などできなかった。
積極的に作ろうとしなかったのも原因ではあるが、基本的に遠巻きにされていた。
そんな中でも将来のためにと必死に勉強し、奨学生を維持するためペーパーテストでは常に上位5位に入っていた。
魔法はてんで駄目なのに勉強は自分たちよりも上で、媚びもしない下位貴族の三男など、彼らにとっては気晴らしに使っても良いおもちゃだったのだろう。
とはいえ、2学年が半年を過ぎる頃までは、暴力はあったものの命の危険につながるようなイジメはしてこなかった。
きっかけが何かは分からないが、推測はできている。
ナッシュ公爵家と対立している派閥のトップ、現王弟であるマーキュリー公爵家から事務官募集の話があり、コーディにも声がかかったからだ。
気に入らない相手だということももちろんあるが、まぁまぁ優秀といえるコーディが政敵に取り込まれるくらいなら消してしまえ、という考えがあるのだろう。もしかすると、ナッシュ公爵家当主、つまりアーリンの父から何らかの指示があったのかもしれない。
そして、コーディはこれまで入ったことのない学生用のダンジョンの中にある魔獣部屋に閉じ込められた。
教師から許可を得た生徒には、学生用に整備されたダンジョンへ入る許可が出る。そこで経験を積み、修行するための場になっている。
主に騎士や魔法使いを目指す生徒用の場所なので、事務官希望のコーディには縁のない場所だった。
学生用とはいえ、ダンジョンなのだ。
命の危険がある。
無理やりパーティーを組まされてもここへ来たのは、アーリンが
「ダンジョンに付き合ったら、これ以上関わらないでやってもいい」
と言ったためだ。
もちろん、断っても無理やり連れてこられただろう。
そうなるよりは、少しでも準備をしてから来たほうがマシだと思った。
けれども、魔獣を倒さなければ出られない部屋に一人で放り込まれたのだ。
初めはアーリンたちが魔獣の相手をするのを、傷薬などが入った荷物を持って見ているだけだったのだが、下へと降りて行き、荷物を取り上げられたと思ったら突き飛ばされた。
そこが、魔獣の出る部屋だった。
コーディは、なけなしの魔力を振り絞り、唯一使える風魔法で応戦した。
しかし、数発の風弾は狼型の魔獣に少しも効かず、思い切り首元に噛みつかれた。
なんのために生まれてきたのだろう。
痛みと寒さの中、そう思ったのがコーディの最期の記憶だ。
そして、気づいたら不思議な空間にとどまっていた。
多分死んだのだろう。
痛みも寒さも何も感じない。それどころか、わかる限り周りには何もない。
どこかに行くべきだという焦燥感はあったが、うまく動けなくてじっとしていた。
すると、目の前に大きく輝く光の玉が漂ってきた。その光の玉は、コーディの目の前で止まって、それから温かい何かを注ぎ込んできた。
温かいものは、多分魔力と似た何かなのだろう。
コーディは動けなかったはずなのに、受け取ったもののおかげで動けるようになった。
そして、温かいものを注いでくれた光の玉が、優しげな老人だということもおぼろげにわかった。
見返りを求めるでもなく、ただただコーディを救ってくれたのである。
コーディは、死んで初めて無償の愛情の欠片を受け取った。
できることなら、生きているうちに知りたかった。
この繋がりがすぐになくなるかもしれないと思い、コーディは感謝の意思を伝えようとした。
老人の光の玉が揺らいだので、多分伝わったのだろう。
行くべき場所はわかっている。
ゆっくり進んでいると、もう一度老人から温かいものが注がれた。それはコーディの心を満たし、守ってくれるようだった。
コーディには、来世にその温かいものを持っていけることがわかった。
もう一度だけ老人に感謝を向け、そしてコーディは輝く輪廻の輪へと進んでいった。
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