第9話 噂のアイドル

「ほ、ほんとにあの比良坂よもぎなの?」

「そだよ~」


 放課後の家庭科室にはいきなり現れた人気アイドルの比良坂よもぎの乾いた声が響いていた。

 よもぎはブリリアントライアングルという三人組アイドルユニットのリーダーを務めている。ブリリアントライアングル、略してブリトラはここ数年でメディア進出を増やしており、特によもぎは女優としての活動にも力を入れているためほかの二人のメンバーと比べても世間の知名度は高かった。だけど……。


「よもぎさん、今世間ではあなたのことについて話題になっているのはご存じですよね?」

「そんな固い言葉使わなくてもいいよー。よもぎも少年君と同じくらいの年だしねー」

「質問に答えてください」

「それに関してはさっきオレが言った通りだ」

「だからよもぎさんが煎火の中に入ってたってどういう意味だよ」

「そのままの意味だ。人格がオレの中に乗り移ったのかオレの体にはオレの人格とこいつの人格の二つがある状態が一年間続いていたんだ」

「それで一年間の休学か……」

「お互い混乱していたからな」

「で、でもさあなたが俊介に休学を宣言した時あなたは一年間って言ったわよね?なんでそんな具体的な数字が分かったの?」

「それは……」

「と、とにかく!よもぎはこうしてよもぎの体に帰還した。煎火の体にも異常はない。無事解決。それでいいじゃない」

「ああ。今回この話をしたのは今回のことと俊介たちの依頼が関係あると思ったからだ。というわけで依頼は受けてやる。だが、報酬として俊介、探偵部に入部しろ」

「……えっ……えええええ⁉」


 こうして一年の時を経て出会った探偵はやはり変な事情を抱えていて、晴れてここに俺の星蘭高校探偵部への入部が決まったのだった。


 その日の帰り道。俺はいつも通りティアと共にすっかり薄暗くなった住宅街を歩いていた。今日は本当に濃い一日だった。家庭科部の二人と知り合って、会うために一年待った探偵と会って、人気アイドルの比良坂よもぎともサプライズで会えてしまった。普段から平和で平穏な学校生活を望む俺からしてみれば一日でこれほどの人と話して知り合いになることなどまずないのだ。今日一日の出来事を思い出して自然と表情筋が緩くなるのを感じた。それを隣を歩くティアが冷めた表情で見つめている。


「今日はその……いろいろありがとね」


 冷めた表情を穏やかな笑みへと変えてティアが語り掛けてくる。


「まだ問題は何も解決してないぞ」


むしろ今日一日でまた問題が増えたといえる。なぜ比良坂よもぎは煎火の中に人格が移ってしまったのか……。そして、煎火が考える仮説……。


「それでもね……ありがと。この一年も全力でお姉様探しを手伝ってくれて、今日も探偵部への入部を渋々だったけど受け入れてくれたし、ほんと……感謝してる」

「今そんなこと言われたら明日からの調査のハードルが上がるだろ」


 ティアを微笑むと俺の数歩先へと小走りで駆け出した。そして振り向きざまに満面の笑みを浮かべると……。


「明日からもよろしくね!俊介!」

「っ……」

「さ、早く帰ろ」

「ああ」


 もう少しだけその笑顔を脳裏に焼き付けておきたかったけれど、ティアはまた前を向いて歩きだす。躊躇なく進み続けるその姿は俺には眩しく映った。ティアが目指すのは住み慣れたワンルームのアパートか、もしくはもっと先に待ち受ける何かなのかも知れない。俺もそれに倣って歩き出す。ティアと一緒に進んでいく。せめてティアの前では不安な自分を見せないように。すぐに立ち止まって振り返る自分を見せないように。

 住宅街には本格的に夜の帳が降りようとしていた。季節は春。そして夏が訪れるころにはもう少し陽が長くなっているだろう。そしていずれは秋、冬……。

 俺はこの三年間で何ができるだろうか。そんなことを考えながら星空の元、家路についた。


 それからは放課後は家庭科室に通うようになっていた。放課後の家庭科室にはパソコンで何やら作業をする煎火の姿といつも美味しそうなにおいを漂わせている家庭科部の二人、そしてなぜかティアの姿があった。


「なんでお前がいるんだよ?」

「私、家庭科部に入ったのよ。毎日おいしいお菓子が食べられる、こんな最高の部活他にないじゃない」

「ティアさん、食べられるのは自分で作った人だけですよ?さあ、さぼってないで作ってください」

「ところでティアは何作ってんだ?」

「もちろんこれよ。カスタードプリン!」

「まあ、そうだよな……」

「出来上がったら俊介にも食べさせてあげるからそっちも頑張りなさい?」


 ティアは、砂糖やら卵黄やら牛乳やらをボウルに入れて泡立て器でかき混ぜている。


「天愛ちゃん、そんなに激しく混ぜたら中身が飛び出ちゃうです……」


 早くもティアの周りには記事が飛び散り始めていた。久郎崎先輩は心配そうに、ころねはどこかあきれた様子でそれを眺めていた。ほんとに大丈夫だろうか……。

 不器用なティアの面倒は二人に任せておくとして俺は煎火の元へと向かう。


「お前はよくこの環境で作業ができるな」

「まあな。慣れてる」

「お前はお菓子とかには興味ないのか?」

「ないな」

「もう少し女子っぽいものに興味持った方がいいと思うぞ」


 煎火も変人だから忘れられがちだが、実際スペックは高いと思うし、モテようと思えばそんなに難しくはないような気がする。俺が知る限りはその手の話は聞いたことがないが、実際はどうなのだろうか。まあ、聞いたところで答えてはくれないだろうが……。


「そんなことより昨日言いかけていたことを名鳥には話しておきたい」


 俺の忠告などさらりと流してキーボードをたたきながら煎火が言った。


「お前が比良坂よもぎの人格をもとの体に戻した方法か?」

「そうだ。オレはその時に自分の体に起きている状況を把握するのに時間がかかったが状況を把握した後に彼女に事情を聴いたんだ。もちろん彼女の立場もオレは分かっていたからもしかしたらそれが関係しているかもしれないと思ってな」

「それでどうだったんだ?」

「オレの推測通りだったよ。彼女はグループの中で自分だけが人気があることに対する後ろめたさからほかのメンバーとの関係も良くなかったらしい。そこで彼女はグループを卒業して女優に転校することを選んだ。だが、その段階で彼女にはまだ一年の事務所との契約期間が残されていたんだ。彼女のこれ以上今の環境で活動したくないという思いが今回の事象を引き起こした」

「だからお前は俺たちに会うのに一年の期間を設けたのか……」

「そういうことだ。この一年間、オレは彼女のやりたいことにとことん付き合った。買い物したり海外に旅行に行ったりもした。すべては彼女が縛られた環境ですることが許されなかったこと。そうして事務所との環境満了の日、彼女の人格は元の体に戻ったことでオレの考えは確信に変わった」

「比良坂よもぎが死んだって報道は?」

「まあ、人格が移ってもぬけの殻になった体は当然動かないし死んだと思われても不思議じゃない。彼女の身柄はオレが回収しダミーの人形にすり替え、それで葬儀されたんだ」

「なるほどな。お前がすごい奴なのは今更言うまでもないけど、その件がティアと関係があるってのは?」

「あの日からなんだよ。この街にが閃光に包まれたあの日からオレの元には密かに調査の依頼が舞い込み始めた。だが、朝起きたら空を飛んでいたとか、未来が見えたとか、そのどれもがいたずらに思えるほどでたらめなものばかりで相手にしなかった。だがそのあとにオレの身に起きたことを考えるとあの依頼たちもほんとのことだったのかもしれない」

「……そんなのでたらめだ。机上の空論だ……」

「だから……」

「そんなわけっ……」

「聞け!」

「っ……」

「オレはこの探偵部でこの件の調査と解決を行いたい。この件についてわかっていることは解決の余地があること。そして光の目撃情報からもそんなに広い範囲では起きていないはずだ。だから・・・・・・」

「わかった。協力する」

「そうか」


 しばしの沈黙ののち、カスタードプリンが完成したらしくティアが俺のことを呼ぶ声が聞こえた。


「行ってこい」

「悪い」


 ティアの元に行くととてもティアが作ったとは思えないような黄金色に輝くかカスタードプリンが机に並べられていた。


「なによその顔。私だってこれくらいは作れるんだから。ちょっとだけ久郎崎先輩に手伝ってもらったけど……。俊介?」

「いや、なんでもない。美味そうだな」

「でしょ~」


 たしかにティアの作ったプリンはとてもおいしかった。甘さといい口溶けといい申し分なかった。だからこそ、この関係がこのプリンみたいにあっという間に消えてしまうんじゃないか、煎火の推察を聞いた今、そんなことを危惧せずにはいられなかった。


 この日も六時ごろまで部活をして俺たちは帰路についた。閑静な住宅街を仄かに照らす夕日。どこか遠くに聞こえるカラスの鳴き声。その中をティアと並んで歩いてアパートの玄関前で別れた。

 しかし、この日をいつもと違うことが起きたのだ。それは郵便受けに入っていた一枚の便箋。差出人不明の便箋を開封して中の手紙を取り出す。二つ折りの手紙を開くとそこには女の子らしい丸文字でこう書かれていた。


『ゴールデンウイーク初日、一緒に水族館デートに行くこと。当日十時、星蘭高校の正門にて待つ』

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