第5話 魔女
プリンを食べ終えた少女は満足げな顔で、ふふんと鼻を鳴らしていた。まだ先程のプリンの味が忘れられないのか幸せそうな笑みを浮かべている。
とりあえず元気になったみたいだしいろいろ聞いてみるか。
「なぁ、名前なんて言うんだ?」
「ティアよ!」
「どこから来たんだ?」
「神々と魔法が作りし国、メンティール王国!」
「は?」
やはり外国人だったか。とりあえずスマホでメンティール王国を検索してみる。
しかし、メンティール王国という国は現代には存在していなかった。どういうことだろうか。てか、この人こんなに元気にしゃべれるのかよ。数分前とはまるで人格が違うんだが。
元気になったところで何を言っているのかはよくわからないが、時間も時間だしこの少女をどうするかを決めなくてはならない。
「もうすぐ日が暮れる。帰る場所はあるのか?」
「だ・か・ら!私もここがどこなのかわからないの!」
「そう言われてもなぁ。俺からしてみればアステリア王国がどこだかわかんねぇしなあ。あの人に相談してみるか」
この現象を解決できそうな人物の顔を思い浮かべていると、頬に冷たい感触が走った。あたりを見回してみるとポツポツと雨が降り始めていた。
そういえば夜から雨になるって言ってたか。
こんなに帰りが遅くなるとは思わず傘の用意もない。
「濡れると風邪をひく。うちまで走るぞ」
「ちょっと⁉どうしてそうなるのよ!」
ティアは困惑しているようだったが構わず手を引いて自宅方面へと走り出した。
ティアは俺の家なんかに行きたくないかもしれんが俺は早く家に帰りたい。ここは多少強引になるが仕方ないな。
なおも雨は住宅街を走る二人を打ち続ける。あたりはすっかり日が沈み暗くなっていたが、月や星が見えることはなかった。
♢
「なによ、これ……」
「悪かったな。おんぼろアパートで」
雨の中ティアを連れて帰った俺は、現在一人暮らしをしているワンルームの安アパートにティアを招き入れていた。というか高校生の一人暮らしのアパートなんてこんなもんだろ。
「とりあえず風呂に入れ。そのままじゃ風邪ひくからな」
「なんで私が命令されなくちゃいけないのかしらー?それより何よこれ!あなた普段からこんな牢屋みたいなところに住んでるわけ?」
「誰が牢屋じゃこら」
「こんな部屋のおふろになんて入れないわ!」
「好きかって言いやがって…。そもそも俺はお前の面倒を見る義理もないし、さっき買ってやったプリンとジュースの件のお礼も言われてないんだがな」
「細かいことを気にする男は嫌いよ!こんな部屋こっちから出て行ってや…きゃっ!」
そのときまばゆい光と共に雷鳴が轟いた。ティアは床にしゃがみこんで体を震わせている。そういえばこいつと言い合っていて忘れていたが、外は大雨だったな。しょうがないか。
「ほれ」
「なによ、これ」
「見たらわかるだろ。タオルだよ。この天気の中追い出すほど俺も鬼じゃない。ご飯作っとくからさっさと入ってこい」
「だから命令するなって…うん、わかった。ありがとう」
なんだ、素直なとこあるじゃないか。俺は夕飯の支度でもするとするか。
「待って!」
「ん?どうした?」
「あの……その……」
「なんだ?用がないなら俺は…」
「……入って……」
「え?なんて?」
「だから!怖いから一緒に入ってって言ってるの!」
「は?」
一瞬、俺の中で時が止まった。脳は今しがた言われたことを把握するのにフル回転を用し、外で轟く雷鳴もこの瞬間だけは遠く聞こえた。
名鳥俊介十六歳。家族以外の女性と初めて一緒にお風呂に入ります。
♢
お風呂。それは、一日の疲れを体の汚れと共に洗い流す至福の一時。今にもカポンと音がしそうな鳥羽家の狭い浴室には少女が浴びるシャワーの水音、少女が使うシャンプーの匂い。それは、いつも俺が使っているシャンプーの匂いなわけで、顔を上げればそこには、全裸の少女の姿が……なかった。
「なぁ。なんで俺は目隠ししながら風呂に入ってるんだ?」
「そんな当たり前のこと聞かないでよ。かわいい私の裸があなたに見られちゃうじゃない。それともなにやら特殊な性癖に目覚めちゃうのかしら?」
こいつ、さっきまでは泣きべそかいて怖がってたくせに!
「上がる」
「え?」
「こっちはいろいろあって疲れてるんだ。後で改めて一人で入るよ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!一緒に入る約束でしょ!」
「約束した覚えはないし、誰かさんが目隠しさせて変態呼ばわりしてくるんでな」
「それとこれとは話が別…きゃっ!」
俺を引き留めるために踏み出したティアの右足は、浴室の床に取られ前のめりになる。咄嗟に出したティアの右手は、俺のつけている目隠しの結び目の先端をがっちりと掴んだ。するすると結び目がほどけると同時に振り向いた俺は、倒れそうになるティアを間一髪のところで抱きかかえた。そこには何がとは言わないが慎ましやかなティアの体と状況を把握し顔を赤らめるティアの顔があったとさ。
「!?」
「いやーーー!」
パチン!
こうして鳥羽俊介十六歳の初めてのお風呂イベントは散々な結果で終わったのだった。
♢
入浴を済ませた俺たちはフローリングの床に置かれたちゃぶ台を挟んで向かい合って座っていた。ティアにはとりあえず俺のパーカーを着させた。本人は嫌がったが何も着ないのはもっとまずいだろう。
狭いワンルームのリビングには、シャンプーの香りと風呂上り特有の熱気が漂っていた。しかし、いつもに比べて体が熱い気がするのはなぜだろうか。
「その……悪かったわよ。いきなりひっぱたいて」
「まぁ、あれは事故だ。なかったことにしようぜ」
実際見せたくなかったはずの裸を見てしまったのは俺のほうだしな。反省してるこいつは珍しいし、もっと問い詰めるのも悪くない気はするが。それより俺は確かに見た。こいつの左胸には…。まぁ今はいいか。
「それよりこれからどうするんだ?ずっとここにいるわけにもいかないだろ?」
「ええ。私は帰らなくてはいけないわ。元の世界に」
「は?お前外国から来たんじゃないのか?」
「さっき見たでしょ?私の左胸」
そう言い放つとティアはおもむろに着ていたパーカーを脱ぎ捨てた。ティアの純白の素肌と下着が露わになる。
「ちょ……お前何して……」
「これは魔女の紋章よ」
「魔女?」
「ええ。私はここではない世界のメンティール王国からやってきた。私の実の姉を追ってね」
道理でメンティール王国なんて国、検索しても出てこないわけだ。胸の模様も風呂で見たときはタトゥーかなんかだと思ったが。
「それで?お姉さんを探すあては?なぜこの世界に来た?魔女ってのは何だ?」
「そ、そんなにいっぺんに聞かないでよ!ちゃんと説明するから」
そして、どこか寂しげで悲しげな表情を見せた彼女は静かに語り始めた。それは、俺が初めてこいつに出会った時とはまた違う。失った過去や思い出を愛でるかのような、優し気な表情で。
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