第190話 ひうっ


 ☆★☆★☆★



 「ひうっ!」


 執務室で『ルルイエ商会』の来訪を待ってると、突然得体の知れない悪寒に襲われた。


 体が反射的にビクッってなって、変な声が出ちゃったわ。これが『狂姫』アンジェリカの威圧感。まだ外に居るはずなのに、屋敷の中にも伝わるその圧は、戦場に出た事のない私にとっては酷だった。


 しばらくして、旦那であるエスピノーザが執務室に私を呼びにやって来た。


 「大丈夫かい?」


 「大丈夫じゃないわよ」


 これからこの威圧感の元凶に会いに行かないといけない。やっぱり会うのは早まったかしら…。体の震えが止まらないのよ。


 「あなたも少し顔色が悪いわよ」


 「真正面であの圧を受けたからね…。俺一人で足止め出来ると思ってたのは傲慢だったよ。近くで見てはっきり分かった。あれは騎士団総出で止めないと、太刀打ち出来ない」


 「ちょっと。更に怯えるような事を言わないでちょうだい。もし話し合いの最中に『狂姫』が暴れたら終わりじゃない」


 「部屋の外に騎士団は待機させておくよ。武器は回収したし、初撃は防いでみせる」


 ああ…。やっぱり会うのはやめておけば良かったわ。でもいずれ関わる事になりそうだったし、今日会わなくても問題の先送りなのよね…。


 ほんと、なんで『狂姫』が商人に手懐けられてるのよ。噂ではあなたはそういう人物じゃないでしょうが。


 「商人の方はどうだったかしら?」


 「商人の方は……まあ、若いなって事ぐらいかな? 正直、後ろに控えていた『狂姫』に気を取られて注意深く見れてないんだよ」


 「それはどうなのかしら…? 今回の話し合いで鍵になるのは商人の方よ? 主人に気持ちよくなってもらえば、護衛である『狂姫』は何もしないでしょうし」


 「俺には人を見る目がないからね。そこはクロエに直接見てもらって判断してもらうしか」


 「はぁ。責任重大ね。胃が痛くなってきたわ。肌も荒れそう」


 エスピノーザは苦笑いしてるけど、こっちは笑い事じゃないのよ。


 はあ。そろそろ向かいましょうか。ここで話し合ってても仕方ないわ。なるべく穏便にして帰ってもらいましょう。





 「まぁ! 凄いわ!」


 「領主様にここまで喜んで貰えるとは。光栄です」


 気付けば商人が持ってきた商品に夢中だった。この『狂姫』の雇用主であるレイモンドは中々やり手ね。話し方は終始穏やかで、媚びてくる訳でもなく、『狂姫』の威光に借りる訳でもなく。真っ当なやり手商人という感じがするわ。


 これなら『狂姫』を飼い慣らしてるのも納得なのかしら? うーん…。ただ優秀なだけで、あの『狂姫』が靡くとは考えづらいのだけど。まだ他にこの商人に何かあるのかしらね。


 商人レイモンドの人物評はともかく、この転送箱という献上された商品は素晴らしいわ。『狂姫』の事なんて忘れてしまうぐらいよ。


 これがあれば貴族社会が劇的に変わる事は間違いないわ。僅かな時間で遠方と情報をやり取り出来るのは本当に大きい。


 「このポーションも俺達が普段使ってるものより、随分質が良さそうだ」


 「優秀な職人に恵まれまして」


 エスピノーザは転送箱にも注目していたけど、それよりも目を付けたのはポーション。


 既存のポーションより少しだけ値段は高いが、それを差し引いても良い質らしいわね。騎士団は演習や訓練でポーションをよく使うから、とてもありがたいわ。


 他にも綺麗な水を出す魔道具、着火の魔道具、娯楽のボードゲーム等、目を見張るものばかり。


 魔法を使えない使用人達には、この魔道具はかなり有用でしょう。火を起こすのも一苦労だし、毎日井戸から水汲みをするのは使用人から敬遠されてる仕事の一つ。


 今まで魔道具と言えば、戦闘の補助をするようなものだったり、魔法を撃ち出せるものだったり。とにかく戦いに関するものばかりだったけど、これは盲点だったわね。


 なんで気付かなかったのかしら? 私も職人をもっと保護すべきね。恐らくこの魔道具は序章にすぎない。この商会はこれからも生活を豊かにする魔道具を開発するでしょう。


 この商会から買い付けるのも良いけれど、私達も研究すべきだわ。この商会だけに全てを握られるのは面白くない。


 「献上する品は以上になります。もし、更に数が必要であれば我が商会で買い付け頂ければと」


 「随分商売上手ね」


 効果を知ってしまったら、買わない訳にはいかないわ。初期投資で少しお金が掛かってしまうけれど、充分リターンは見込める。


 最初は会うのも憂鬱だったのに、今では会って良かったと心から思えるわね。危惧していた『狂姫』は終始大人しくしてるし、少し考え過ぎだったしかしら?


 「少しよろしいでしょうか?」


 「あら? 何かしら?」


 私は終始穏やかな会談だから油断していた。話し合いの最中もずっと笑顔で話していたレイモンドが、急に真剣な顔になって。


 「アンジー、アリーナ」


 「ひうっ!」


 「なっ!?」


 「騒いだら刺すわよ」


 「大人しくする事をお勧めするにゃ」


 護衛の『狂姫』と獣人の女が、どこから出したのか、武器を片手に私とエスピノーザの首に剣と短剣を突き付けていた。


 エスピノーザ…。武器は回収したって…初撃は防いでみせるって言ったじゃない…。


 一体なんで急にこんな事になったのよ…。私はあまりにも突然な出来事に思考が停止してしまった。


 


 

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