5章 黒い影

第88話 放課後の学校

「あるところに、美しい姫と書いて美姫という名前の、美しい少女がいました。美姫は、その学校の美人コンテストで、一年生の時から二年連続で優勝していました。性格も明るく、美姫はそのマドンナの地位を不動のものとしていました。今年、入学してきた生徒たちの中にも、美姫よりも美しい女生徒はいません。美姫は、美人コンテストの優勝を三年連続で勝ち取ることを確信していました。しかし、その年の春のことでした。母親が再婚して、義理の妹ができたのです。その妹が、美姫と同じ学校に転校してきました。名前は、桜野白雪。雪のように白い肌、赤く染まる愛らしい頬と唇、エンジェルリングが光る艶やかな黒髪の、美しい少女でした。しかも、美姫よりも二学年も下の、フレッシュな一年生。白雪が転校してくると、すぐに白雪の美しさ愛らしさに注目が集まりました。」


 冒頭の語りから、『憎き白雪姫』の物語は始まる。舞台上では、美姫役と白雪役の女子が語りに合わせて、演技を見せている。語りの後は、僕たち七人の出番である。美人コンテストの運営委員兼審査員の七人が教室に集まって、白雪の話をする。


「いやぁ、めっちゃ可愛くない? やばいよね。」

「今年の優勝は、一年生の白雪ちゃんで決まりだね。」


 今年の審査員に選出された七人の男子生徒が、そんな会話をしているところを、美姫は盗み聞きしていた。そして、義妹の白雪に呪いをかけることを決意するのである。呪いの儀式を執り行った後、白雪の制服を学校で盗み隠すという実力行使に出るのである。その理由は、制服姿の白雪が可愛いと評判だったから……。その後も、美姫は呪いという名の実力行使で、白雪に嫌がらせをする。そういったストーリーのドタバタ劇である。


 美しい美姫を演じる女子の後ろに、もう一人の美姫役の女子が常に隠れていて、憎しみ丸出し場面だけ入れ替わるという演出が、途中で変更した点であり、面白さを引き立たせるポイントとなっていた。これは、もともと美姫役に決まっていた女子が、上手く演じ分けが出来ないということで、対応策としてクラスにいたお調子者の女子が、もう一人の美姫として加わることになったものである。


 舞台セットの壁を置く位置や、舞台袖の使い方などを確認しながら、舞台上で演技をする人たちの動きを、客席からの目線で見て、全体が大きく見えるように修正を入れていった。体育館で部活動に励んでいる生徒たちから笑いが起こっていたので、上々の出来に仕上がっていると思われた。あっという間に一時間が経ち、本番の舞台を使っての練習は終了した。


 僕たちは、また椅子と机を持って、教室へと戻ろうとしていた。体育館で練習をしていた部活動の生徒たちも、片付けを始めていた。クラスメイトたちは、楽しそうにお喋りをしながら体育館を出て――階段を上がり、自分たちの教室がある三階の廊下を歩いていた。上の階からは、合唱部と思われる歌声が聞こえていた。ロック調の曲を歌っている――。


「あれ、何……?」

「何なの、あれッ!?」


 教室へと戻って来て、一人が窓から中庭のほうを見下ろして言うと、他のみんなも騒ぎ始めた。声を聞いて、そこにいた全員が中庭側の窓へと集まって行く。僕とカールも、窓から中庭を見た。……黒い影が、たくさん蠢いていた。


「気持ち悪い!」


 周りには、そんな声をあげるクラスメイトもいたが、僕は言葉を失った。気持ち悪いとか、そんな余裕なことを言っていられる状況には、思えなかった。上の階からは、廊下側を歩いていた時よりも、歌声がよく聞こえていた。そのロック調の曲に合わせるみたいにして、影たちがリズムを取っているようにも見えた。


 後ろから担任の先生が来て、状況を確認すると、みんなに早めに帰宅するように言った。誰かが、それを言い出すのを待っていたかのように、みんなカバンを持って、そそくさと教室を出て行く。少し出遅れたが、僕とカールもカバンを持って教室を出た。下駄箱に行くには、中庭に面した廊下を少し通らなければならない。そこを、前を行くクラスメイトたちは急ぎ足で通り過ぎている。


 僕は、そこを通る時に、中庭の方を振り向いた。四階の教室に電気が点いていて、中庭の方を見下ろすようにしながら、窓際で歌っている女子生徒が一人いた。歌声としては、複数人の声で奏でられている。教室にいた時から聞こえていたロック調の曲だ。そこにいるのが、九法スミレの姿のように見えた。


 僕が立ち止りそうになると、窓際に立っている女子生徒が、空を見上げた。もう日は暮れている。釣られて僕も上を見た。


 向かい側の校舎の屋上から、人影のようなものが飛び降りるのが、目に入った。中庭の地面は、蠢く影たちで溢れている。それら全てが、僕の視界に入っていた。


 それは、恐らく一瞬の出来事だった。中庭で蠢いていた影たちが、ザワザワっと目の前で一気に引いて行ったのだ。そして、その中心に一つだけ影が残った――。僕の耳のそばを、弦を弾いたような空気音が通り過ぎていった。


 僕は唖然として、完全にその場に立ち止まっていた。中庭に一つだけ残っていた影は、すぐに空中へと飛び上がり立ち去って行った。その寸前、その影と目が合ったような気がした。黒い影ではあったが――九法マチの顔だったように、僕は思った。


「遙人、早く帰ろう!」


 カールが、僕の肩に腕を回して引っ張った。それにハッとして、僕もカールと一緒に下駄箱へと向かった。上履きを脱いで、靴に履き替え、とにかく学校を出た。いつもの通学路を途中まで行ったところで、僕は隣を歩くカールに声を掛けた。


「カールは見た?」

「何を?」

「中庭にいた影たちが、いなくなったよね?」

「いや、そこは見てなかった。」


 カールは、中庭で起こったことを見ていないと言う。みんな、廊下を足早に通り過ぎようとしていたし、あれは一瞬の出来事だった。もう外は暗くなっているから、視界の端に入っている程度では気付かないことも十分にあり得る……。現に、他の人たちも誰も騒いではいなかった。結局、カールはこの影による騒動に関して、何もしていない。

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愛情とは、を考える 七三公平 @na2-3

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