第77話 訪ねて来た人
ある日のこと、放課後に教室で勉強した後、家の近くまで帰って来て、僕はいつもの場所でカールと別れた。そこから、少し坂を上がるとすぐに家だ。僕は、門の前までやって来た。
「こんにちは。遙人くん、よね?」
誰かが、僕に声を掛けてきた。見ると、知らない女の人で、袋を持っていた。
「姪のスミレが、いつもお宅にお邪魔しているでしょう? 私は、スミレと一緒に暮らしている叔母の九法マチです。これ、知り合いからの頂き物なんだけど、お裾分けしようと思って。美味しい蜜柑なのよ。遙人くんは、蜜柑は好きかしら?」
「あ、はい。」
「それは良かったわ。お家の人に渡してくださる?」
そう言って、スミレの叔母と名乗る女の人は、持っている袋を僕に差し出した。本当にスミレの叔母なのかどうか確かではなかったが、おかしなことを言われたわけではないので、僕はそれを受け取った。
「ありがとうございます。」
袋は、ずっしりとしていて意外と重かった。それ以上、話すこともないので、僕は頭を下げて、門を入った。袋を持つ手に、手が当たる感触がして、袋が軽くなった。周囲には誰の姿も見えない。恐らく、姿を消したタフが持ってくれているのだ。
家に入る前に振り返ってみると、女の人は斜め前の家に入って行こうとしていた。九法スミレの家だ。それを確かめてから、僕は家に入った。
袋に入った蜜柑はキッチンに持って行って、九法マチから受け取ったことを伝えて凛花さんに渡した。その日の夕飯のデザートとして、蜜柑が出てきた。確かに、とても美味しい蜜柑だった。翌々日、学校に行くために家を出ると、集積所にゴミを出しに行くマチと鉢合わせた。
「おはようございます。この間の蜜柑は食べてもらえた?」
「はい、とても美味しかったです。みんなも喜んでいました。」
僕もマチも、坂道を下っていく。道の先に、カールの姿が見えた。
「そう、喜んでもらえたのね。それは良かったわ。行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」
それ以降、マチとは顔を合わせる機会が多くなり、挨拶をするようになった。それは、近所に住んでいるから不思議なことではなかったが、逆にこれまで出会うことがなかったことの方を少し不思議に思っていると、マチもスミレも泉美たち家族が僕たちの家に引っ越してきたのと同じくらいの時期に、ここに引っ越してきたのだと言う。近所の人だとは知らなくて、僕が気付いていなかっただけかと考えたりもしたが、そういう事ではなかった。
もうすぐ梅雨入りするだろうという時期になり、その日も雨が降っていた。朝から降り続いていた雨はどんどん強くなり、大雨警報が発令されたということで、午前中の授業が終わると、帰宅の指示が出た。一時的に、雨が弱くなっていたタイミングだった。校舎から出た生徒たちが傘を差して、それぞれの家の方向へと帰っていく中、僕とカールもいつもの通学路を通って帰路に就いた。
「遙人の家の前に、誰か立ってない?」
厚い雲から降る雨が、また強くなり始めていた。いつもカールと別れる場所で、カールが坂道の上に目をやり立ち止った。
「ほんとだ。」
「一緒に行こうか?」
「え、どうして?」
「変な人だったら、困るだろ。」
カールが言うが、変な人だったりするだろうかと僕は思った。最近、カールの家に変な人が訪ねてくるという出来事があって、そういう心配をしているのだろうか。だとしても、僕ももう中学生で、カールは背が高いとはいえ、僕と同級生だ。心配してくれるのは嬉しいが、カールの目からは僕が頼りなく見えているということだろうか。――そんなことを、ふと考えてしまった。
「例えば、犯罪者とか? そんなことある?」
「無いとは言えない。人生、いつどんな不幸が起こるか分からないからな。油断してる時が、危ないんだよ。」
「もし、そうだったらカールも危ない目に遭うじゃん。」
「一人より、二人のほうが何かと良いだろ。相手も、それだけで諦めるかもしれない。」
カールは、僕よりも先に歩き出した。僕たちが近付くと、向こうが気付いてこっちを振り向いた。
「あの人、知ってる。」
僕は、言った。だけど、傘や地面にぶつかる雨粒の音が大きくて、カールの耳には届かなかった。
「こんにちは。久しぶりね。あなたに会いに来たのよ。」
まだ多少の距離があったが、相手の声は不思議とはっきり聞こえてきた。僕の家の前に、傘を差して立っていたのは、ロックハート家で会ったエメロードだった。
「私のこと、覚えてる?」
「はい、覚えてます。」
声が届くとは思えなかったが、とりあえず僕は答えた。エメロードが、ここに居ることに僕は驚いていた。カールが、こっちを振り返った。
「会ったことがあるの?」
「うん、一度だけ。」
「そっか。」
カールは、エメロードと目を合わせた。ますます雨が強くなりそうな音がしていた。
「じゃあ、俺は帰るよ。」
「うん、またね。」
僕は、カールに別れを告げて、エメロードに近付いた。すると、雨が急に弱くなった。びっくりして上に目を向けると、雨が止んだわけではなく、雨が僕とエメロードを避けているように見えた。
「これが、エメロードさんの力ってこと?」
「そうよ。便利でしょう?」
周りから見たら、雨の中で傘を差しているように見えるだろうが、傘が無くても平気そうだった。エメロードが、僕に笑い掛ける。僕は、雨も強いし、家の中に入ってもらったほうが良いかと思ったが、これなら家に入らなくても大丈夫そうだった。
「エメロードさんって、ロックハート家のメイドさんたちとも知り合いなんですよね?」
「ええ、そうね。知っているわよ。」
「家に入りますか?」
エメロードは、ロックハート家の敷地内にいたのだから、当然そうなのだろうと思って、僕は聞いた。ここで立ち話というのは、やはり他の兄弟たちも帰ってくるかもしれないので、良くないように思えた。
玄関前の庇があるところで傘を閉じると、エメロードが埃でも払うように僕の体やカバンに軽く触れた。濡れていた部分が、一瞬にして乾いたのが分かった。
「ありがとう。」
「いいえ、どういたしまして。」
「本当に、その力は便利だね。」
雨の日に、服やカバンが濡れると厄介に感じることが多いから、僕は感心してしまった。カルロスやアンドルーが、こういう事をするところは見たことがない。なので、エメロードは水に特化している人なのかなと、僕は思った。
「どうぞ。」
僕は、玄関を開けて、リビングまでエメロードを案内した。キッチンに、メイドさんたちの姿はなかった。アンドルーたちもいない。僕は、前にカルロスがやっていたことを思い出し、お客さんであるエメロードには奥のソファーに座ってもらった。
「何か、飲みますか?」
「あら、ありがとう。それじゃあ、お茶でもいただこうかしら。」
僕は、冷蔵庫から出したお茶をコップに注いで、エメロードに出した。エメロードは、僕に会いに来たと言ったが、一体どういう用事だろうと思った。自分の部屋に行って、着替えてこようかとも思ったが、制服は乾いているので、そのままソファーに座った。
「僕に会いに来たって、さっき言ってたけど……。」
「ええ、そうよ。あの時、また会いましょうって言ったでしょう。ちょうど、広い範囲で雨が降っているようだったし、飛んで来てみたの。何か困っていることはない?」
傘を差している時は気が付かなかったが、今日のエメロードは改めてよく見ると、髪の毛の色は茶色だし全体的に普通の人間みたいだった。エメロードは、僕に何か困っていることはないか聞いてくるが、何を答えたらいいのか僕は迷ってしまった。それに、飛んで来たと言うが、どういう手段で来たのかについても、ちょっと気になった。
「困っている……、父の再婚相手のこととか?」
考えてみたが、僕の頭に思い浮かんだことと言えば、それくらいしかなかった。つまり、困っていることなんて無かった。
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