3章 兄が、兄である理由

第48話 兄の達也

 その日は珍しく、達也と一緒に僕は家を出た。アンドルーが、玄関で見送ってくれた。達也が家を出る時間は決まっていなくて、大学がどういうスケジュールなのか、僕より早く家を出ることもあれば、遅いこともあった。家の前の坂道を下って行ったところで、いつものようにカールが待っている。その姿を見つけて、僕は達也に言った。


「あそこで待ってる友達と、いつも一緒に登校してるんだ。」

「ふーん。仲が良い友達?」

「うん。同じクラスだし、一番仲良くしてる。」


 達也は駅へと向かうので、途中までの数分だけ一緒に歩いて、その後は別れた。カールに対して達也は、日本生まれなのかとか、中学は地元の公立に行くのかとか、そんな質問をしていた。カールは、僕のすぐ後に転校してきた。親の転勤で他県から引っ越してきたと、カールは達也に話していたが、そのことは僕も知っていた。中学は、地元の公立に行くつもりだと言う。


 昨日の出来事から、僕は一つ気になっていることがあった。アンドルーからの影響なのだろうが、達也も幽霊が見えるようになっている。


「達也兄ちゃん、お母さんの幽霊はどこかにいないの?」

「お母さん? 千春さんの幽霊は、見てないな。」


 夜、僕はベッドに入ってから、聞いた。達也も、隣のベッドで寝ようとしている。見上げる天井は真っ暗だけど、怖い話をしているとは思わなかった。それに、いざとなったらタフもアンドルーもいる。


「そっか……。そういうものなんだね。」


 母が死んだのは、四年くらい前のことである。母の幽霊がいないと聞いたからといって、僕の心が大きく揺れ動いたりはしなかった。アンドルーたちも幽霊が見えていて、僕に何も言わなかったのだから、母の幽霊はいなかったのだろう。もしも、母の幽霊がいたら、何か話したいことがあったのかと言えば、そういうことでもない。急に、何を話したらいいかなんて分からない。


「遙ちゃんは、お母さんに会いたいの?」

「うーん、わからない。」

「お兄ちゃんがいるから、寂しくはないだろう?」

「うん。寂しくないよ。」


 達也に聞かれたから、僕はちゃんと言葉にして答えた。そうしないと、達也が気にすると思ったからだ。僕の母の千春は、達也の生みの母親ではない。それでも、達也も僕が生まれる前から僕が八歳の時まで、僕の母の千春と過ごした時間がある。母と達也が、仲が悪そうにしているところは見たことがない。だから、母が死んだ時に、達也も悲しんでいたと思う。


 達也は、母が死んだ後は、僕がなるべく寂しくならないように、いつも一緒にいてくれたし心配してくれて、気に掛けてくれていた。どういう気持ちで、達也が僕にそうしてくれていたのかは、小学生の僕には分からない。母が死んだ時、達也はすでに高校三年生だった。その前から、達也は僕にとっては優しくて、よく遊んでくれる良い兄だったが、母が死んで以降は達也は家事もやっていたし、本当に親代わりみたいな存在になった。


 だから、そのうちに僕も達也に心配を掛けないようにしないといけないと、考えるようになっていったのだ。達也は、僕が隠し事をしていると思うと、すごく心配してくるので、僕はちゃんと言葉にして達也に何でも話すようにしていた。他の兄たちと暮らすようになった、今のこの生活になってからも、それは変わっていない。達也が、以前と何も変わっていないからだ。……見た目だけは、少し変わった。


 時間も遅いし、達也はそれで寝てしまった。最近、達也は少し疲れているように見える。大学とか就職活動とか、いろいろ大変なのかもしれない。


 数日後、ここのところは僕に構うことも少なくなっていた達也が、僕に話があると言ってきた。小学校の夏休みが始まる前日だった。僕は、午前中のうちに学校から帰ってきていて、達也もまだ日が高い午後四時頃に家に帰って来た。その時、僕はタフとリビングにいたが、達也はいったん二階に上がって行き、しばらくしてから僕を呼びに来た。僕は、何だろうと思いながら、達也と自分の部屋に行った。


「遙ちゃんに、見せたいものがあるんだ。」


 部屋のドアを閉めると、達也は僕を部屋の奥へと連れて行き、目の前に立った。それから、達也は両手を僕の前に出して手のひらを見せてきた。その手のひらは、両方とも何もなっていない。達也は、目を瞑っていた。数秒で目を開くと、目が赤く光っていた。


「目が、赤く光ってる。」


 僕は、見たままを言った。特に驚きはしなかった。それを見せたかったのかと僕は思ったが、見せたいものは別にあるみたいだった。達也が、ゆっくりと瞬きをする。


「これだよ。」


 達也の視線の先を、僕は見た。達也の手のひらの色は、変わっていなかった。僕は、揶揄われているのかと思った。すると、達也が僕の頭に何かを乗せる動作をする。


 何をされているのか、僕は訳がわからなかった。達也が、そのまま僕の頬に両手で触れてくる――じっと僕の目を見つめている。


 達也の手が熱かった。少しずつ顔を近付けてきて、おでこをくっ付けてくる。すごく近い距離で目が合っている。目の奥を、覗き込まれているようでもあり……僕が口を開こうとすると、達也がチュウをしてきた。その時、ビリッと一瞬、頭に電気が走った気がした。それと同時に、僕は頭に何かが乗っているような気がしてきた。達也が、唇を離した。


「遙ちゃんの頭に、何が乗っていると思う?」

「わかんない。けど、何か乗ってるのは分かる。何が乗ってるの? 僕に見せたかったものって、これ?」

「そうだよ。」


 頭に乗っている感覚は、とても軽い。ティッシュペーパーを一枚、頭に乗せられたくらいの感覚だ。僕は、手をあげて触ろうとしてみるが、ゆっくり触れようとしても何も無くて、手のひらが自分の髪の毛に触れるのを感じただけだった。でも、何かが頭に乗っている感覚は今もある。僕は、その感覚を頼りに位置とか形を確かめようと両手を動かしてみるが、目で見ていないから、触れているのかいないのか……自分の手の体温なのか、空気の温度なのか……確かな感触を得ることができなかった。


「帽子?」


 頭の広い範囲に接している気がするため、僕は帽子を考えた。そういう変わった帽子があるのかなと、想像した。この時点で、なんか変だなとは思っていた。そもそも、達也は見えない何かを僕の頭に乗せる動作をしたのだ。手品の可能性もあるが……と考えつつ、僕は達也を見た。


「帽子、ではない。」


 達也は、僕の頭の上に乗せたものを両手で取る動作をすると、再び僕にそれを見せた。グレープフルーツくらいの大きさの、白っぽい毛が生えたっぽいものが、達也の手にはあった。見えてはいるが、はっきり見えているとは言い難く、透けていた。思ったよりも大きさは小さかった。


「これって、何?」


 目で見ても、僕はそれが何なのか分からなかった。ぼんやりとした白い光、そんな風にしか見えなかったからだ。


「手を出して。」


 達也が言うので、達也と同じように僕も両手を揃えて出した。僕の手の上に、それを乗せるのかと思った。だけど、僕が考えていたのとは違っていた。達也は、そのまま手は動かさなかった。その代わりに、達也の手の上の白いものが、飛び跳ねるように自ら動いて、僕の手の上に移動してきた。


 さすがに、それは僕にとって予想外だったため、ただ驚くことしか出来なかった。咄嗟に避けなかったのは、達也のことを信じていたからかも知れない。手に伝わってくる感触は、とても不思議なものだった。重さはほとんど無いのに、手に何かが触れているのは感じ取れる。そんな薄い感覚にもかかわらず、さらっとした感触ではなく、意外と密着感があるように感じられた。よく見ると、長い毛が数本ゆらゆらと揺らめいている。

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