2章 生活に起こる変化
第29話 早く起きた朝……
僕は、あの時の悪い気配の正体がタフだったとして、今のタフがどんな状態にあるのかを、確かめなければ……という焦る気持ちになった。タフは、退治される前の記憶はある――と答えた。
「退治された感覚は無いって、退治されてないの?」
「退治はされたが、そういう意識を全て処理された、というか消されたんだろうと思う。」
本人が言っている通り、本当にタフ自身には退治された感覚が無いからなのか、タフは淡々とそれを語った。でも、タフの話を聞いて、僕はようやく――タフに感じていた存在感への、違和感みたいなものの理由が分かった気がした。もしかしたら、達也がタフに悪いイメージを持ったのも、そのせいかも知れないと思った。
「そうなんだ。記憶があるんだったら、聞きたいことがあるんだけど。退治される前は、なんで僕のところに毎晩来ていたの?」
「それは、」
タフは、言い澱んで視線を遠くにやった。記憶を辿っているのか言葉を選んでいるのか、一文ずつ間を置きながら……タフは答えた。
「遙人が良い感じだったからというか、カルロスたちの父親が遙人に目を付けていることを知って、俺も遙人に目を付けた。怖がる遙人からエネルギーを得ていた。この辺りは俺の縄張りだったんだよ。」
淡々と話すというよりも、ほとんど棒読みだった。カルロスから口止めされている事でもあるのか、それとも他の理由からなのか……。今までのような、すらすらと言葉が出てくる喋り方ではなかった。
「僕からエネルギーを得ていた? 外国か、どこかの悪魔みたいに、生命力を吸い取っていたってこと?」
「生命力を吸い取っていたのとは違うな。そこまでの事はやっていない。人間から無駄に漏れ出ている感情などのエネルギーを、頂いていた程度のことだ。」
「それって、今もなの?」
「今も、少しだけ頂いている。だが、積極的に奪うことはカルロスから禁止されているから、やっていない。」
以前のタフを、完全に退治することが可能だったのか否か……。それは、ラウロに聞いてみないと分からない。とはいえ、なるべく危険が少ない状態にしたということだろうか。僕は、タフの話を聞いて、そう理解した。
いずれにしても、あの嫌な気配が来ることはないと分かって、僕はホッとした。タフの正体については、僕の中で戸惑いはあったものの、以前は気配だけだったのが、今はタフという緑がかった黄色い目をした、黒に近い髪色の姿になっているのを見て、怖いとは思わなくなっていた。ちょっと外国人っぽい若めのおじさん――そんな見た目が良い方に作用しているというわけではなく、恐らく近くにいることに慣れたのだろうと思う。
「今日のやつのことは、大丈夫なんだよね?」
「関わっていないから、こっちには来ないだろう。もし来たとしても、俺だけじゃなくラウロもいるから大丈夫だろうと、俺は考えている。」
タフは、ラウロがいるから大丈夫と言うが、ラウロだっていつもいるわけではない。タフが、まだ質問はあるのかと言うような顔で、僕を見ている。
「大丈夫なら、べつにいいや。」
僕はそう言って、聞きたかった答えは聞けたしと思い、部屋を出て行こうとした。すると、タフから僕に声を掛けてきた。
「遙人が不安なら、一緒に寝てやろうか?」
「ううん、今日は大丈夫。」
僕はドアへと向かいながら、そのまま答えた。ドアを開けた時に、僕は少し振り返り――タフの部屋を出た。タフは、部屋を出て行こうとする僕を、さっきと同じ姿勢で見ていた。カルロスが言っていた事を、閉じたドアの前で――僕は思い出していた。タフはカルロスの分身で、僕の世話係として作ったという話だ。
今日、タフが僕を守ってくれようとしたことは事実だ。その事からも、カルロスが言ったことを信じてはいる。だけど、タフの正体が、あの嫌な気配だと知れば心はざわつくし、それを受け入れるのには時間が必要だった。
その日の夜は、確かに何も現れなかった。僕は疲れて、いつもより早く寝てしまっていたから、達也がいつ帰って来たのかにも気付かなかった。その分、翌日の朝はかなり早い時間目が覚めた。外は、まだ暗いみたいだった。達也は、隣のベッドで眠っている。今日は土曜日だし、達也が起きたら、昨日のタフの事を話してみようと僕は思った。
こんな朝早くに起きるのも珍しいので、僕は静かに部屋を出て、一階に下りた。玄関もキッチンも、リビングも静まり返っていて、世界の明かりがどこかに行ってしまったみたいだった。僕は、明るくなってきたら分かるように、リビングのカーテンを開けて、テレビをつけた。
ソファーに、ひとり膝を抱えて座った。横も広くスペースが空いていて、向かい側のソファーもガランとしている。テレビショッピングとか、人が出ていない旅番組っぽいのとか、そんな番組だけで、僕が普段見るような番組は一つも放送していない。
早く起きた朝は、いったい何を見ればいいのだろう。そんな思いで、テレビを消した。この家で、いま起きているのは僕だけだ。天井を見つめながら、そう思った。アンドルーやタフも寝ているのだろうか。
僕の頭に、ふと浮かんだことがあった。足を忍ばせながら、僕は階段を上がった。部屋のドアを、そっと開ける。自分が通れるくらいまでドアを押して、暗い部屋の中に入った。息を殺して、足を進める。
暗がりの中でも、ベッドの布団が盛り上がっているのが見えた。でも、顔がよく見えない。僕は、枕のほうに顔を近づけ、目を凝らした。どうやら、いつも見ているタフと何も違わないようだった。僕は、息をついた。そして、ベッドから離れた。
「……。」
静けさの中で声がした。小さな声で、歌っている……? 最近、テレビでよく流れているCMの曲だ。僕も耳慣れた曲だったから、すぐに分かった。
――タフの寝言かなと、僕は思った。声に驚いてベッドの方をいったん見たが、またドアへと僕は向かおうとした。
「もう帰るのか? 夜這いに来たとばかり、思ったんだけどな。」
僕は、両方の手のひらを瞬間的に開かせた。トーンを落としたタフの声が、はっきりと耳に届いた。振り返ると、ベッドから起き上がる黒い人影が見えた。僕は、立ち止まったまま動けなかった。
人影は、ベッドの端に座り、ゆっくり立ち上がって、一歩ずつ近付いてくる。僕の前まで来ると、片方の手を伸ばした――。僕の後ろにあるドアが、パタンと軽い音を立てて閉まった。
一瞬、僕がいることに気付いていないのかと思ったが、ドアを閉めたと思われるタフの手が、僕の体に回されて触れた。と思ったら、抱きかかえられた。
僕は、何故か驚きの声をあげるのではなく、逆に息を殺した。軽々と持ち上げられた体は、ベッドのほうへと運ばれる。そして、ベッドの上に寝かされた。布団が、掛けられる。すぐ隣では、タフが横になっている。――僕の頭の下にあるタフの腕が、僕の体を抱き寄せた。
「こんな時間に、どうして来たんだ? 理由を教えてくれないと、帰せないな。」
タフが、静かに聞いてくる。その声は、怒っている感じではなかった。僕は……タフの表情が見えない暗闇の中、沈黙していた。
「……だんまりを決め込んでいる口は、どこかな。」
タフが、僕の顔を覗き込んでくる。暗いとはいえ、顔が近い。
「ここで、カルロスやアンドルーだったら、チュウするんだろうな。」
そう言っているタフの唇が、すでにほとんど触れている。その時だった、部屋の電気が点いた。
「タフ、遙人への必要以上の接触はしなくていい!」
そこに現れたのは、アンドルーだった。まだ、みんな寝ているだろうし、大きな声は出していないが強い口調だった。アンドルーは、布団を捲るとベッドに片膝を突き、僕を抱き上げてベッドから降ろした。タフも、ベッドの上で体を起こす。
「心配するようなことは、何もしていない。」
タフが、いつもの調子で言う。今のこの状況についても、なんとも思っていないという様子で、タフに慌てたところは見られなかった。アンドルーが、両腕で僕を抱き寄せる。
「遙人にキスをしようとしただろッ。遙人からされる分については仕方ないが、タフの方から遙人にキスを迫るのは完全なルール違反だ。その意味くらい、分かっているだろ!」
それは、怒りを押し殺したような声だった。アンドルーを見上げると、今まで見たことがない顔をしていた。僕はまだ小学生だが、まるで浮気現場を見つかって責め立てられているような、居た堪れない気分になった。
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