第17話 入れ替わり

 次の日、学校から帰ってくると、いつものようにアンドルーがいたので、僕はリビングで宿題をすることにした。六年生になって、英語で文章を自分で考えて書かなければならなかったり、社会も自分で自由に調べたことを書かなければならなかったり、そんな宿題が出されるようになった。算数も、簡単には解けず、引っ掛かるようになった。


「アンドルー兄ちゃん、これ教えて。問題が何を言ってるのか、よく分からない。」

「どれどれ。算数の問題か。日本語だよな……確かに、わかりにくいな。算数なのに、文章の読解から始めないといけないなんて、カオスだな。」


アンドルーが横に来て、問題を覗き込む。僕は、そのアンドルーの横顔をじっと見つめた。


「これは、文章を短くするためか、正確に書かれてないな。言葉が端折はしょられてるから、分かりにくいんだな。ここから前と、ここから後に書かれていることは、同じ事を言っているように読み取れるけど、別々のことを言ってるんだな。」


 そう言って、アンドルーは問題の理解の仕方を説明してくれる。僕は、それを聞きながら何かが違うと思った。それで、もう一度アンドルーの顔を見た。


「アンドルー兄ちゃん?」

「なんだ?」

「本当に、アンドルー兄ちゃん? カルロス兄ちゃん?」


 雰囲気というか、表情とか微妙な仕草とか、その振る舞いが普段よりも柔らかくないというか、荒っぽい風に見えた。それで、ちょっと変だなと僕は感じた。


「ああ、よく分かったな! 俺は、アンドルーじゃないよ。」

「やっぱり! なんで、今日は家にいるの? 仕事は?」


 顔だけをじっくり見たところで、二人はそっくりだから見分けなんてつかない。だけど、思った通りアンドルーではなくカルロスだった。アンドルーがいつもいる感じでソファーにいるから、僕は確認しなくてもアンドルーだろうと思ってしまったのだ。


 カルロスも、僕がアンドルーと呼んでいるのに、それを訂正もせずアンドルーの振りをしてきた。僕が確認すると、カルロスは僅かに驚いた反応をしたが、感心した風に薄ら笑いを浮かべた。そして、言った。


「タフのこともあるし……。昨日、遙人が俺とラウロは、ほとんど家にいないって言ってただろ。だから、今日はアンドルーに代わってもらった。」

「えっ? それって、アンドルー兄ちゃんがカルロス兄ちゃんの代わりに、仕事に行ってるってこと? そんなことしていいの?」


 カルロスは普通のことのように言うが、日直を代わってもらうとか、忘れ物を届けに行くのを代わってもらうのとは、全く異なる種類の話だった。学校だと駄目でも、会社では代わりの人に仕事をしてもらうことが許されるのだろうか……と、僕は不可思議に思った。


「いいかどうかで言えば、良くないかもしれないな。だけど、やろうと思っても普通はできないだろうし、もともとアンドルーはそのためにいるから問題は無い。問題はないというか……、問題は起こらない。」

「えー、なんかズルい。僕も、双子だったら良かったのに。」


 双子は、同じ学年に兄弟がいることになるから、初めから近くに友達がいるようなものだ。それで、ちょっと憧れたことはあったが、代わりに行ってもらうなんて事が、現実に可能だとは思わなかった。二人とも学校に行かなければならない場合、どちらかがもう一方の振りをしたところで、片方は欠席になってしまうからだ。


 それに、双子と言っても完全にそっくりということはなく、慣れれば違いが分かってきて、見分けは付くものだ。前の学校の時に、同じ学年に双子の子がいたが、すごく似ていてもやはり顔つきがどこか違っていて、見分けは付いた。すると、カルロスも言う。


「双子だからって、できるってものではないぞ。それに、俺とアンドルーは双子じゃない。」

「でも、そっくりだし初めてこの家に来た時に、双子だって言ってたでしょ。」


 今更、双子じゃないなんて言われても、そんなの信じられない……という気持ちで、カルロスの嘘だと思った僕は、驚かなかった。むしろ、そっくりな赤の他人を連れて来ただけと言われたほうが、怖くなる。カルロスとは、まだそんなに話はしていないが、アンドルーとは結構仲良くしている。カルロスとアンドルーのどちらが、僕の本当の兄弟ではないという話になるにしても、簡単に受け入れられるものではない。


「双子のようなものとは言ったかも知れないけど、双子だとは断言してないはずだ。」

「えー。でも、双子じゃなかったら、普通に兄弟ってこと?」


「とうとう、その事を話すときが来てしまったみたいだな。」


 僕が淡々と聞き返すと、カルロスが仰々しく言った。もったいぶる必要があるような話なのかは分からないが、僕からしたら聞いてみないことには真相は分からない。それは確かだった。


 カルロスは、楽しそうにしていた。僕を、揶揄おうとしているのか何なのか……。面倒だなと、僕は思った。


「とりあえず、チュウしようか。」


 カルロスが、唐突に変ことを言ってきた。僕は、顔を顰めたりはしないが、カルロスの方を見ずに聞いた。


「なんで、チュウするの?」

「いつも、アンドルーや達也にはしてるだろ。知ってるんだぞ。俺も遙人の兄として、じかにチュウして欲しいんだよ。チュウしてくれたら、本当のことを教える。」


「えー、別に知らなくてもいいし。」


 アンドルーといい、すぐに交換条件を要求してくる人たちだなと、僕は思った。カルロスが、あからさまにガッカリした顔をする。なんだか、それがパフォーマンス染みていた。


「しょぼん。本当のことを知っといたほうがいいと思うぞ。聞いたら、すごいって言って喜ぶだろうし。本当に聞かなくてもいいのか?」


「だって、僕たち男同士だし、もう小学六年生だし。」


 もしかしたら、カルロスは僕の本当の兄ではないかもしれないのに、その真相を聞く前に、どうしてチュウをしないといけないのかと、僕は思ったのだが……。カルロスが、「聞いたら、すごいって言って喜ぶ」と言っているということは、そういう話ではなく、僕が思ってもみない話があるということだろうかと、僕は首を傾げた。それとも、そう言っているのも嘘なのか……。もう訳が分からないな、という気分に僕はなった。


「アンドルーにも、そんなことを言ってたな。女だったら良いってもんでもないだろ。男同士かどうかなんて、関係ないんだよ。兄ちゃんだぞ。もう一回言うが、兄ちゃんだぞ! 血の繋がった、実の兄弟の兄ちゃんだぞ! 人生の中で、百回くらいはチュウするもんだろ。」

「仲が悪い兄弟は、一回もしないと思う。」


「遙人は分かってないな。弟のほうは覚えてないだけで、一緒にいたら赤ちゃんのうちに何十回とチュウされてるんだよ! 俺だけチュウしてないのは、不公平だろ!」


 そう言われてしまうと、チュウを一回もしていない兄弟のほうが、逆に珍しいのかも知れないことは、僕にも理解できた。ただ、カルロスの圧力が凄すぎた。そういうのもあって、本当は絶対にチュウしたくないとは思っていなくても、僕は若干引いてしまった。


「俺たち兄弟は離ればなれになってたから、不幸にも今まで一回もしてないだろ。それに、仲が悪いわけでもない。兄ちゃんは、遙人のことが大好き。遙人は、兄ちゃんのことが?」


 インタビューで答えを求めるように、カルロスが僕に向けて手を差し出してくる。僕が、すぐに答えないでいると、カルロスの口が「だいす……?」と、さらに圧を掛けてくる。


「好き。」


「ほら、むしろチュウしない理由がないだろ。あー、両想いで兄ちゃんもホッとした。でも、兄ちゃんだけチュウしてもらってないんだよなー。しょぼん。しょぼぼぼん。」

「わかった。」


 チュウしてない兄は他にもたくさんいるんだけど、それを言ったところで無駄な気がしたから、言わなかった。カルロスが、チュウを待つ姿勢になる。


「初めてなんで、十秒ルールでお願いします。」

「えー、十秒?」

「アンドルーと同じか、それ以上で」


 とにかく、要求が多いけれど、もっと要求が増えても困るので、僕は言う通りにすることにした。アンドルーの場合は、愛情が足りないとか言われたことを、思い出した。


 正座をして待つカルロスの膝を跨ぐが、カルロスの体が大きいから高さが難しいなと思っていると、カルロスが両手で僕のお尻を支えてくれた。そこに座ると、ちょうど良い高さになったので、僕はカルロスの肩に手を置いて口にチュウをした。……七、八、九、十。心の中で数えて、チュウをやめた。


「やばいッ。もっと好きになった。」


 カルロスはそう言うと、僕の背中をぎゅっと抱き締めた。そのまま、しばらく離してくれなかったが、気が済んだのか僕のことを離すと、カルロスは「これからも、兄としてよろしくお願いします。」と言った。僕は、よく分からなかったが「いいよ。」と返事をした。


「カルロス兄ちゃん大好きって、言って。」

「カルロス兄ちゃん大好き――。」


「そんな……、それは酷いだろ。もうちょっと感情を込めて。」

「もういいから、宿題の続きを教えて。」


 カルロスが、またいろいろと要求してくるから、僕は面倒になって勉強のほうに戻ろうとした。すると、カルロスが冷静な顔をして言った。


「アンドルーのことは、聞かなくていいのか?」

「ああ……!」


 僕は、カルロスがチュウだなんだと言うから、その話のことをすっかり忘れてしまっていた。カルロスとアンドルーが双子じゃなかったら何なのか、という話だ。

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