第15話 恐怖心
一番初めに嫌な気配が現れたのは確か、みんなが寝静まった夜中だった。それが、夜の十時くらいになり九時くらいになり、今は八時くらいに現れる。一階の広いお風呂には窓があるから、遅い時間に一階のお風呂に入るのは怖いし、僕は絶対に嫌だった。幸いなことに、最近は達也も早く家に帰ってきている。だから、八時よりも前にお風呂に入ることもできた。
以前から、いつも達也が二階のお風呂に行くから、達也とお風呂に入る時は、二階の普通のお風呂の方に入っている。二階のお風呂であれば脱衣所にも浴室にも窓がないから、僕もまだ安心して入ることができる。
それからも、あの気配が来る時間は、日に日に少しずつ早くなっていった。そのため、今はあの気配が来るのが怖いからというのが理由で、達也にもそのことを話して、二階のお風呂に入るようになっていた。
「今日は、昨日よりも五分早い!」
「大丈夫だ。お兄ちゃんが付いてる。気にすることなんかないよ。」
気にし始めてしまうと、僕は気配がやって来る前から、時計が気になった。そして、前日よりも少し早く来ただけで、来る時間が確実に早くなっているという確信が深まり、自分の中の恐怖心が大きく膨らんで育っていった。そんな気持ちが、自分自身に重くのしかかってきた。僕たちの部屋は階段に一番近いから、階段の脇にある二階のお風呂だったら、すぐに行けた。
「達也兄ちゃんは、怖くないの?」
「俺は、怖くないな。」
「どうして?」
一階にも洗濯機が二台あるが、この二階の脱衣所にも洗濯機がある。その広くはない脱衣所で、僕は達也と二人で服を脱ぐ前に、聞いてみた。
「どうしてかな。遙人は虫を見て、怖いって思わないだろ?」
「うん。」
「でも、人によっては虫を見るだけで大騒ぎするくらい、虫が怖い人もいるだろ。それと同じかな?」
「湊兄ちゃんみたいな人のことだよね。」
虫が怖い人と言われて、すぐに思い当たる人は何人かいた。湊以外にも、クラスメイトや友達の中にもいる。
「そうだな。湊が怖いと思っている虫を、どうして遙人は怖くないんだ?」
「わからない。怖くないものは、怖くないんだもん。」
「俺も、怖くないものは怖くないんだよ。」
達也が言っていることの理屈は理解出来たが、僕の気持ちが納得できないと叫んでいた。そう言われても、怖いものは怖いからだ。
「でも、嫌な感じがするんだよ。アンドルー兄ちゃんも、良くないものだって言ってたし。」
「関わらなければ大丈夫、とも言ってなかったか?」
確かに、そんな事もアンドルーは言っていたが、だから怖くないという話ではないような気がした。アンドルーだって、怖がるようなものじゃないと言っていたわけではない。むしろ、僕に注意を促していたはずだ。とにかく、僕自身は怖いと感じてしまうのだから、仕方がない。
それでも、窓があるよりは壁になっている方が、何故だか安心できた。僕は脱衣所で服を脱ぎながら、それを実感していた。シャワーで頭を洗っている時も、達也がすぐ後ろにいるから怖くはなかった。
体を洗い終わって湯船に入ると、お湯が溢れた。いつものように、達也の足の間で背を向けた体勢で湯船に浸かり、達也に背中を預ける。
「達也兄ちゃん、なんか大きくなった?」
「大きくなった? 何の話だ?」
「なんか、狭くなった気がする。足が太くなった? 腕も太くなってない?」
お湯の中に見える達也の足と腕を見て、僕は言った。達也が腕を上げて、自分でも確かめて見ている。
「言われてみると、そうかな。太ったってことか? 全く気付かなかったな。食事の量は変わってないはずなんだけどな。」
ここのところ、毎日一緒のベッドで寝ていたし、毎日達也の姿を近くで見ている。それでも、僕も今の今まで気付かなかった。でも、お風呂から上がる時に見てみると、やっぱり前よりもいろいろと大きくなっていた。達也自身も、自分で自分の体を見比べている。
「太ってはいないよな。腹も出てないし。ただ、背は伸びてるかもな。そういえば、出入り口を通る時に、前よりも頭を下げてる気がするからな。高二で成長は止まったものと思ってたけど、まだ成長期なのかな。」
「全体的に大きくなってると思う。アンドルー兄ちゃんみたい。」
僕が言うと、達也がわずかに表情を曇らせた。なんとなく、そんな表情に見えた。
「そうかな?」
「うん。カッコイイと思う。」
前は、少しだらしなかったお腹も筋肉質になっていて、顔もどことなく前より男らしく大人っぽくなった。体躯の大きさが第一印象で強く訴えかけてくるくらいに、達也の体格は良くなって見えた。こうして脱衣所で確認していると、家の中に大きい体の人がまた一人増えたという印象を、僕に与えた。
ベッドも、達也と一緒に寝ると、やはり前より狭く感じられた。僕が成長期で大きくなったということではない。僕の体は、まだ小さいままだ。そういうことはあったが、だからといって今のこの状況が変わらない中、別々のベッドで寝ようかということにはならなかった。
シングルベッドだけど、僕は大きくなっていないから、二人で寝られないこともない。ところが、いずれにしてもそんな日々は、意外にもあっさりと終わることになった。
それから数日が経ち、七時半頃に例の気配が現れた日曜日を境に、ぱったりと現れなくなったのだ。初めは、もっと夜中に現れるのかも知れないとか、毎日ではなくなっただけかも知れないとか――不安は消えなかったが、三日が経っても五日が経っても、現れなかった。僕は、嫌な気配を感じることが、全く無くなったのだ。
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