第12話 三歳上の兄

 まだ、空は明るかったため、諒が持っていたボールでサッカーをすることになった。僕は、あまりサッカーをしたことはなかったが、近くの小さな公園でボールを蹴り始めた。サッカー部の諒は、僕とカールにボールを奪わせまいとして、体を回転させながら器用にボールを動かして見せる。そうやって遊んでいると、誰かが声を掛けてきた。諒は、その姿を確認して、不愉快そうに言い返す。


「よお! なに年下相手にイキってんだよ。」

「うるせぇ。散れっ!」

「それが、先輩に対する態度かよ!」


 どうやら、諒の知り合いの様子で、四人組が近づいてくる。諒は、ボールを拾い上げるとカバンを肩に掛け、僕たちに「行くぞ。」と言って、帰るように促した。


「おい、逃げんのかよ。だっせーな!」


 諒は、彼らの言葉を無視して、僕たちの背中を押した。しかし、四人組が駆け寄ってきて、諒のカバンを掴んだ。


「おい、待てよ。こっちは、お前に用があんだよ。」


 諒は、そのカバンを掴んだ手を目掛けて肘を振り下ろすと、相手を睨み付けた。「いってえな! やりやがったな、こいつ。」と大袈裟に痛がる奴に、諒は「こっちには、用なんてないんだよ。」と低い声で言い放った。


「やっちまおうぜ。」


 後ろの一人が、言った。その時、カールが一歩前に出た。


「やめてくれませんか! 迷惑です。」

「なんだこいつ。ガキのくせに、しゃしゃり出て来やがって! 近藤と同じカッコつけマンか? バカなんじゃねーの。」


 カールも僕も、もうすぐ小学六年生になるとはいっても、中学生とでは背の高さが違う。もちろん、大人と比較すれば大した差ではないかもしれないが、一学年違うだけでも何となく差があるように見えてしまうものだ。相手が何年生かは分からなかったが、諒に対して偉そうにしているということは、中学三年生になる諒と同じか、もしくは高校生の可能性だってあった。


 相手は、カールに手が届く距離まで近付いて来ていた。しかし、カールがそれに動じる様子はなかった。


「外国人かハーフか知らねえけど、自分のことを特別だと思ってるんじゃねーの?」

「オレも、こういう奴らッ、ホントにいけ好かねえ。まとめて、やっちまっていいんじゃねぇ?」


 後ろにいた残りの二人も、自分たちの方が年上だと思っているからか、カールに対して積極的に出てきた。そして、四人で顔を見合わせて、下品な笑い方をしている。友達にはなりなくない醜い顔だった。


「お前ら、まとめて顔かせや!」


 格好つけているつもりなのか、初めに声を掛けてきた奴が、顎を上げて仰け反るようにして言ってくる。僕は胸がドキドキして、どうしたらいいのか分からなかったが、諒もカールも動かなかった。相手の方を向いている二人の表情は、はっきりとは見て取れないが怒っていそうな雰囲気だった。特に、カールの背中からは、そういうオーラが出ているように感じられた。


「なんだ、こいつ。」


 後ろの一人が、目を細めてカールのことを見て、そう呟いた時だった。全く別の方向、僕の背後から声がした。


「お前ら、何をしてるんだ。」


 それは低い声で、振り向くとアンドルーがそこにいた。数歩進むだけで、僕たちの傍までやってくる。


「アンドルー兄ちゃん!」


 どうして、ここにいるんだろうと思ったが、それは口には出なかった。アンドルーは僕の前に立つと、諒の肩に手を置いて、後ろに下がらせた。見るからに体躯が大きいアンドルーは、背が高いのはもちろんだが、外国人な見た目も相まって威圧感がある。諒たちと比べても、大人と子供にしか見えない。その大きな手に肩を掴まれて、諒もさすがに従った。その諒が、僕の手を掴む。


「大人が、横から口出ししてくるんじゃねえよッ!」


 日本では、なかなか出会うことがない大きい人の登場に、相手の四人組は明らかに動揺していた。上半身を引いて、目を丸くしてアンドルーを見上げている。そのくらいのことで怖じ気づくのであれば、初めから虚勢を張らなければいいのにと、傍から見ていたら思える光景だった。


「弟たちに、ちょっとでも手出ししてみろ。死にたくなるほどの痛みをじっくりと与えて、喰い殺すからな。」


 アンドルーは、大根役者のような平坦な口調で、静かに言った。それは、相手を脅そうとする口調ではなかった。でも、不思議な響きが感じられる言い方だった。

アンドルーの体の大きさを見ただけで、相手がビビっているのは明らかだ。だから、その程度で十分ということなのかもしれない。最初に諒に声を掛けてきたリーダーっぽい奴が、アンドルーに向かって言った。


「バカじゃねえの! 恥ずかしくねえのかよ。大人のくせに、子供の喧嘩に口挟んできて、そんなこと言って。」


 確かに、アンドルーが選んで発した言葉には、おふざけが入っていた。馬鹿みたいに聞こえなくもなかった。


 ところが、アンドルーへの非難を言い終わるか終わらないうちに、奴は腹を押さえて「うぎゃーっ!」という叫び声をあげた。痛みに苦しんで、その場で膝を突いている。アンドルーもカールも動いてはいないし、誰も何もしていなかった。


「どうした、マサ?」


 カールの前に来て脅していた奴が、叫び声に驚いて横を振り向いた。仲間を心配しているというよりは、仲間が何をしようとしているのか、次の展開として確認するような顔で、苦しむ姿の奴を見ていた。


「やべぇ! 内臓が、喰い破られるッ……。」


 何事かと思って、みんなが注目していた。マサと呼ばれた奴は、腹を両腕で抱えながら、その苦しみの顔を仲間に向けた。本当に、痛みがありそうな表情だった。そんな中、カールの目の前で、もう一人が急に叫んだ。


「腕が! 持っていかれたッ……?」


 右腕を押さえるようにして、尻もちを着く。緊迫感のある怯えた目を、している。見たところ、血が出ているわけではない。二人で演技をしているのか、本当に何か得体のしれないことが、起こっているのか……。僕は奴らの仲間ではないが、状況が把握できなくて、少し心配になった。他の二人の仲間の様子を見ると、僕よりももっと焦りを露わにしていた。


「何だよ、急に! 何があったって、言うんだよ!」

「でっかい牙が、俺の腕を引き裂いて……。」

「なに、言ってんだよ? 訳わかんねーよ。」


 右腕を押さえてうずくまる奴と、腹を押さえてうずくまる奴は、二人とも額に汗を滲ませている。そんな二人の苦しみ方、騒ぎ方が尋常じゃないので、後ろにいる他の二人も慌てふためいていた。これが演技だとしたら、迫真の演技だ。


 僕も、何がなんだか分からなかった。牙とか言っているということは、何かの生き物に襲われたのだろうか……でも、何の気配も姿もない。ただ、奴らは二人とも凄く痛そうにしていて……今にも泣きだしそうだ。カールが、奴らに一歩近づいた。


「やめろっ! やめてくれ。」


 右腕を押さえた奴が、そう言いながらカールを見上げて、それからアンドルーを見た。カールが何かしたという事なのか、それともアンドルーが何かしたのか、後ろからでは何があったのか全く見えなかった。僕が諒を見ると、諒もこっちを見て、怪訝な顔をする。ただ、諒は僕の手を強く握った。


「弟たちに、今後、いっさい関わるな。分かったな!」

 それは、とても低い声だった。アンドルーが言ったのだと思うが、掠れたように声が重なっているようにも聞こえて、カールが言ったのかとも思った。


「わかりました! すいませんでした。」


 地面にうずくまる二人は、視線を上に向けたが、すぐに下を向いて怯えたように言った。僕は、二人にはアンドルーたちがどんな風に見えているんだろうと思って、首を傾げた。


「お前たちもだ。」


 アンドルーが、言う。言われた後ろの二人は、状況が飲み込めない様子で、何も答えない。すると、腹を押さえていた奴が、近くに立っている一人の服を掴んで、「頼むから、約束してくれ! 死ぬ。」と絞り出したような声で言って、懇願する。服を掴まれた仲間は、一歩後ろにおののき、困惑したような怯えた表情をする。


「わかりました。」


 一人が言うと、最後の一人も続けて言った。アンドルーが、もう行けと言わんばかりに手を振った。そして、僕たちの方を振り向くと、アンドルーは僕と諒の肩を抱いて、「二人とも、家に帰るぞ。」と言った。


 僕が気になって、首を伸ばして奴らの方に目をやると、敗走するみたいに、痛そうに前屈みになりながら去って行く、四人組の姿が見えた。カールは、そんな奴らの方をじっと見つめている。奴らの姿が見えなくなってから、ようやくカールはこっちを見た。いつも通り、クールな表情をしていた。

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