第10話 遊園地と子供と大人

 その日の夜も、昨晩に続いて嫌な気配が現れた。来週の月曜日に遊園地に行けることを楽しみにしているのに、嫌だなと僕は思ったが、どうしようもなかった。


 金曜日の夜も、土曜日の夜も、日曜日の夜も、嫌な気配は窓の外のベランダにやって来た。本当に、あれは何なのだろう? 毎晩、どうして僕の部屋の窓の外に来るのだろう? 気が気じゃない僕は、昼間も近くに現れるんじゃないかと悪い想像をしてしまって、一人になるのが怖くなってきていた。


 夜は、達也が一緒に寝てくれるから、眠れないということはなかった。昼間も、必ず誰かが家にいたから、そう滅多に一人になることは無さそうだった。そういうありがたい環境ではあったが、やはり不安なものは不安だった。それでも、遊園地に行っている間は思い切り楽しもうと思って、その日の僕は意識して明るく振る舞った。


 遊園地は、ジェットコースターの音が騒がしく、園内には柵がたくさんあって、アトラクションが並んでいる。それだけで、僕はワクワクした。アンドルーがフリーパスを買ってくれたので、カールと僕はマップを見ながら、全部乗る勢いで久々の遊園地を楽しんだ。考えてみれば、友達と遊園地に来たのは初めてかも知れない。


 僕たちは、最後に観覧車に乗った。その時に、僕は考えていた。遊園地の乗り物は、短い決まったレールの上を走っているだけなのに、どうしてこんなにも刺激的なんだろう。どうして大人はそれに乗らずに、子供が乗るのを見ているだけなんだろう。


 それは、近所の公園でよく見る光景と同じであった。子供を傍から見ているのが、大人の役目ということなのだろうか。観覧車にも、アンドルーは乗らなかった。今も、下で大きい人が待っている姿が、僕からは見えている。


 遊園地に来る目的はアトラクションだから、ここに来れば、ほとんどそれにしか目がいかない。今日はカールがいて、一緒に乗り物に乗って二人で楽しんでいたが、これが一人だったらどうだろう。近くの公園で一人だったら、遊んでくれる人が欲しいと思うところだ。それとも、アトラクション自体は刺激的だから、一人でも楽しめるものだろうか……。


 今日のアンドルーは、乗らずに見ていることのほうが多かった。大体の乗り物は二人乗りで、三人だと一人で乗らないといけない人が出てしまうから、乗らなかったということもあるかも知れないが、僕はアンドルーを見ていて何とも言えない気持ちになった。大人になるって、詰まらないことのように思えた。


 電車を降りて、家の近くでカールと別れた後、僕は「アイスクリームが食べたい。」と言った。家は目と鼻の先だったが、道を横に入って階段を下りた先には、コンビニエンスストアがある。僕とアンドルーは、そこに向かった。


 アイスクリームを買って店を出ると、店のすぐ目の前の階段脇にある公園に入った。その小さな公園のベンチに座って、僕たちはアイスクリームを食べた。


「アンドルー兄ちゃんは、疲れた?」

「疲れてないよ。」

「本当に?」

「ん、どうして?」


 アンドルーの声は、気のない返事をしているようであり、今にも溜め息が聞こえてきそうにも見えて……。それが、単に気を抜いているだけの様子なのかどうなのか、僕には判断ができなかった。


「なんか、今日のアンドルー兄ちゃんは、疲れてるように見えたから。仕事が大変なの?」


 アイスクリームを食べ終えて、僕を見たアンドルーの顔は、いつものアンドルーに戻っていたが、午前中からさっきまでのアンドルーは疲れている表情だった。電車や遊園地で、カールと親子に間違われていた時も、冷たい感じでアンドルーは何の反応もしなかった。


「ああ、ごめん。ちょっとな……。でも、大丈夫だ。」

「ねえ、大人になると、つまらない?」


「どうかな。俺は、遙人から見たら大人かも知れないけど、まだ二十一歳だから分からないな。遙人は、大人は詰まらなそうだと思う?」

「うん。今日も遊園地で、身長が足りなくて僕は乗れないのがあったでしょ。大人はどれでも乗れるし、自由に何でも出来て良いなと思うこともあるけど……。子供が乗るのを、見ているだけの大人もいるでしょ。子供の面倒を見ないといけなかったりすると、楽しむことって出来なくなるのかなと思って。」


 アンドルーは苦笑いを浮かべて、首を僅かに傾ける。僕が思ったのは、同じ物を前にした時に、大人と子供はどちらの方が楽しい気持ちになれるのだろう――ということだった。大人が、いろんな事を楽しめないのなら、僕は大人になんてなりたくなかった。僕の手から、食べ終わったアイスクリームの棒を、アンドルーが引き取った。


「子供の面倒をみるのは、大人の義務みたいなものだからな。でも、大人だっていろんなものを見て、よく可愛いって言ってるだろ。可愛い物とか、好きな物は欲しくなるし、好きな人のことは見てるだけで楽しかったりするから、子供のことも面倒を見ないといけないじゃなく、その子のことを好きになれば、むしろ自分から面倒を見たくなるものだと、俺は思うけどな。大人にだって、いつまでもそういう気持ちがあるってことは、詰まらないってことにはならないんじゃないか?」


 僕の疑問に対するアンドルーの答えは、そういう説明だった。大人の義務か……と、僕は思った。


「アンドルー兄ちゃんも、そういう気持ちなの?」

「ああ、そうだよ。俺は、遙人の親ではないけど、お兄ちゃんだから遙人の身近な存在として、面倒を見るのは当然のことだと思ってる。それを面倒だとか、嫌だとは思わない。遙人のことを、可愛いと思ってるからな。今日は、達也の帰りが遅くなりそうだから、帰って先にお風呂に入ろうか。」


「え、達也兄ちゃん遅いの?」

 アンドルーと達也が、仲良さそうにしているところは見たことがないけれど、実は仲が良くて連絡を取り合っているのだろうかと思いながら、僕は家に帰って、アンドルーと一階のお風呂に入った。アンドルーが言った通り、達也が帰ってきたのは、夜の十時を過ぎてからだった。

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