第9話 ラウロという兄
お風呂は、達也が帰ってきてから一緒に入るので、時間が遅くなる。僕が、達也と部屋に戻ったのは夜の十時前だった。部屋のドアを開けて入った瞬間に、僕は気付いた。嫌な気配が、また窓の外に来ていた。僕が、窓のほうを向いて戸惑っていると、達也が僕の肩に腕を回した。
「部屋の中までは、入って来られないから、大丈夫だ。」
「達也兄ちゃんにも、分かるの?」
「分かるよ。絶対に相手にするなよ。それが一番だからな。」
言われるまでもなく、僕は相手にするつもりなんて無かった。ただ、そうは言っても向こうが大人しくしてくれないから、窓の方が気になって仕方なかった。
達也は、二十分くらいパソコンに向かって作業をした後、部屋の電気を消した。電気を消しても真っ暗ではないから、達也が移動するのが分かる。達也は、自分のベッドではなく僕のベッドの方に来ると、僕に声を掛けた。
「遙人、今日は一緒に寝ようか。」
「うん。」
返事をすると、達也が僕のベッドに入ってくる。達也が一緒に寝てくれて、僕は少しほっとした。一人だと、寝ている間に襲ってくるんじゃないかとか、悪い想像をしてしまいそうになる。
昨日は、尿意を催してしまったために、途中でアンドルーのところに行くことになったが、今日は昨日とは違った。安心して眠ることができて、気付くと朝になっていた。
終業式を終えて、校庭の桜が散るのをフェンスの向こうに見ながら、僕は友達と通学路を帰った。遠くで先生が、遊具で遊んでいる子たちに「早く帰りなさい。」と叫んでいた。途中までは他の子たちと一緒にふざけ合って、最後はカールと二人になる。
「まだ、春休みにどこに行くかも決まってないし、うちに寄っていく?」
明日から、もう春休みだ。早く決めないと、何もしないままに春休みが終わってしまいそうなので、僕はカールを家に誘った。どうやら、カールも同じように考えていたみたいだった。
学校では、先生が生徒たちに早く帰るように言っていたが、校庭で遊んでいる子も何人かいたくらいだ。まだ昼前で、正午までは時間があった。とりあえず、カールもランドセルを背負ったまま僕の家に行って、行き先について考えることにした。
昨日、春休み直前として、春休みに向けた特集をテレビで放送しているのを見たので、今日もやっていないかと思って、僕はリビングのテレビをつけた。家に帰ってくる時、メイドさんがベランダで布団を干している姿が、見えた。
「カールは、どこに行きたい?」
今日は、一階には誰もいなかった。家にいる人たちは、みんな上の階にいるのかも知れない。
「遙人が行きたいところで良いよ。」
「やっぱり、遊園地とかかな?」
「遊園地も良いけど。遊園地は日帰りで行けるし、一日で終わりそうだから、その他の案も考えておいたほうが、いいかもしれないな。」
そうカールは言うが、あそこも行きたい、ここも行きたいと言って、連れて行ってもらえるものだろうか? 僕はまだ子供だし、言うのはタダという考え方もあるけど……と少し悩んだ。もうすぐ小学六年生になる年齢だから、僕も多少の気は使うというか、無邪気に自分の主張をするだけの小学生では、なくなってきていた。
「でも、お兄ちゃんの都合もあるだろうし。それに、他の案って言われても。」
僕自身も、せっかくの休みだから、どこかに行きたいという気持ちがあるだけで、具体的に思いつく施設や場所があるわけではなかった。そうして二人で悩んでいると、階段のほうで足音が聞こえた。
そのまま、足音は近付いて来る。メイドさんかとも思ったが、リビングにやって来たのはラウロだった。こちらを見て目を細めながら、ラウロはキッチンの方に行った。
「ラウロ兄ちゃん、今日は家にいたんだ。珍しいね。他には、誰が家にいるか知ってる?」
「さあ、どうかな。アンドルーはいるだろうから、アンドルーに聞いてみたら分かるんじゃないのか。」
僕は、ラウロとは話したことがないに等しい。正直、話し掛けるかどうか、かなり心の中で葛藤した。だけど、何も言わずにいるのも、なんだかコソコソしているみたいだし、そう見られて気分を悪くされても困るので、僕は勇気を出してラウロに声を掛けた。ラウロも、ルーカス・ロックハートの提案によって、この大きな家で一緒に住むことになった僕の実の兄だが、ほとんど家にいないから、どうして一緒に住む必要があったのか、未だにその理由が僕には分からないままだった。
「ラウロ兄ちゃんに、相談があるんだけど。春休みに、僕たちが行って楽しそうな場所って、どこか知らない?」
「そういえば、小学生も明日から春休みって言ってたか。」
そう言いながらラウロは、自分が飲んでいるのと同じ、小さいパックのジュースを二つ、僕たちのところに持ってきてテーブルに置いた。そして、こっちのソファーではなく、ダイニングテーブルのほうの椅子に座った。
僕は、ラウロにお礼を言って、付いているストローを挿して飲んだ。カールにも、ジュースを渡した。
「それは子供だけで行くの? それとも、誰か大人に連れて行ってもらうの?」
「アンドルー兄ちゃんが、連れて行ってくれるって。」
「ふーん、アンドルーがねぇ。まあ、カルロス兄さんや親父にこういう相談をしても、参考にはならないだろうと思うね。なんなら、俺が連れて行ってやろうか?」
ダークグレーの髪をかき上げるように頭に手を置いて、ラウロが僕とそれからカールの顔を見て、笑みを浮かべる。僕は、ちょっとの間だけ考えて答えた。
「でも、先にアンドルー兄ちゃんと約束しちゃってるし。」
「そうだな、アンドルーも行く気になってるかも知れないし。達也とか、他にも行きたがる人もいるかも知れない。小学生なら科学博物館とか、いろいろあるんじゃないのかな。キャンプとかでも良ければ、そういうのもあるだろうし、子供でも体験できるアクティビティも探せばたくさんあると思うけど。」
ラウロは、至って軽い調子で、僕の質問に答えた。話したことがないから分からなかったが、ラウロはこんな感じの人だったのかと、あまりの意外さに僕は内心で驚いていた。ラウロは、見た目がかなりクールに見えるのだ。映画に出てくる人みたいに綺麗で、他の兄たちとは雰囲気からして違っていた。
メイドさんたち二人が、外から買い物袋を持って入って来た。二人とも両手に荷物を持っていて、その買い物袋をキッチンの天板の上に置いた。リサさんとサラさんは、二人で顔を見合わせている。リサさんが、キッチンから出てきた。
「あの、ご昼食はいかがいたしましょう? お友達も、ご一緒なさいますか?」
「ご飯食べて行くかだって。どうする? カールも、うちで食べる?」
カールがいるのを見つけて、メイドさんは気を遣ってくれたのか、僕たちに声を掛けてきた。メイドさんたちは、買ってきた食材をまだ冷蔵庫にも入れていないし、これからみんなの昼食の準備をするのだろう。お昼までは、まだ少し時間がある。前に僕が聞いた話では、カールは一人っ子で、親は共働きなのだという。ということは、カールは家に帰っても、誰も待っていない可能性がある。
「いいんじゃない。遙人のお友達も、一緒に食べれば。」
ラウロも、カールに笑い掛けながら、食べて行くように勧めた。カールは、迷っているのか僕の顔を見たが、すぐにラウロのほうに向き直って答えた。
「はい。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。」
「遙人の、お友達の分も用意して。」
「承知いたしました。」
ラウロが、リサさんのほうに顔を向けて、指示をする。普段は、どちらかというと冷たい印象がするラウロだが、今日は機嫌が良いのか、もともとそういう性格だったのか、メイドさんに対しても笑顔を向けていた。
一方、アンドルーはあまり機嫌が良くない様子で、一階に下りてきた。僕が学校に行っている間に、家で仕事をしていると、アンドルーは言っていたから、仕事のことで今日は何か大変なことがあったのかも知れない。
ラウロが、さっきの春休みの計画の話をアンドルーにする。そして、言った。
「三人で行くつもり?」
ラウロは、楽しそうに話していたが、アンドルーはそうではなかった。疲れているというよりは、イライラしているように見えた。
「ラウロも行きたいのか?」
「俺は、別にいいよ。楽しみにしているところを、邪魔しても悪いからさ。」
アンドルーは、それに対しては何も言わなかった。たまたま、アンドルーの機嫌が悪いだけなのか、二人は相性が悪いのか……。二人が言葉を交わすのを見るたびに、ロックハート家は兄弟の仲が悪いのかなと、僕は思っているような気がした。
アンドルーは、自分の分の昼ご飯を食べ終わると、すぐに二階に上がって行った。アンドルーがいなくなってから、ラウロが僕のほうを見て言う。
「あの調子じゃ、アンドルーと相談して行く場所を決めるのは難しそうだから、俺が良さそうな場所を探して決めてあげようか。」
そうしてもらえたら助かる……という、気持ちではあった。いっそのこと、連れて行ってもらうのもラウロに頼んだ方がいいのかなと、僕は考えたりもした。でも、そうやって状況に流されるのも良くないなと、思い直した。ただ、行き先を探すのは、ラウロに頼むことにした。
「うん、そうだね。ラウロ兄ちゃん、お願い!」
「いいよ。たまには俺も、役に立っておかないと。」
僕が言うと、ラウロはそう言ってカールの方を見る。だから、僕もカールを見た。カールは、ラウロと視線を合わせていたが、僕の視線に気付いた。
「兄弟、仲が良いんだな。俺は一人だから、羨ましいよ。」
取り繕ったように、カールは口元だけ笑って見せた。カールの親に僕は会ったことがないが、両親ともに外国人だという。カール自身も見た目は金髪の外国人で、だからなのかカールはどことなく大人びて見えた。
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