第6話 焼肉と近藤家

「ただいま。」

「おかえり。いつも通り、遙人が一番だったな。」


 僕が玄関を入って、リビングのドアを開けると、アンドルーが言う。少しして、湊が帰ってきた。


「遅かったな。どうだった?」

「報告しに、学校に寄ってたから。」


 言いながら、湊はカバンの中から、封筒を取り出した。湊が受験した高校の名前が入っている封筒だ。それをアンドルーに向けて、湊は一瞬だけ見せた。

「合格した。」

 入学案内が入っているのだろう封筒を、テーブルの上に置く湊を、後ろからアンドルーが抱きしめに行き、「おめでとう!」と言った。体の大きいアンドルーに抱きしめられ、小さくなった湊が「ありがとう。」と答える。


「今日はお祝いだな。焼肉でも食べに行こうか。」

「えっ? でも、メイドさんがご飯の準備をしてるんじゃ……。」


「そんなのは、どうにでもなるから気にしなくていいさ。そういえば、昼ご飯は? 食べてないんじゃないのか?」


 アンドルーの口から出てきた提案に、湊は驚いた表情をしていた。呆気に取られていると、言ったほうがいいかもしれない。


「食べてないけど、本当に焼肉に連れて行ってくれるの?」

「いいよ。じゃあ、店を予約しようか。七時までに帰って来られない人は、家ご飯ってことで。」


 アンドルーは、湊に笑顔で答える。家族みんなに連絡してみて、帰って来れそうな人の人数を確認した。携帯電話を持っていない人には、どうやったのかは分からないが、メイドさんたちが協力して確認してくれた。


 七時までに帰ってくる――という返事だったのは、達也と智樹、蓮と諒の四人だった。父は仕事で、孝介もアルバイト、カルロスとラウロの二人については、理由は分からないが参加しないということになった。


 湊は、メイドさんにホットケーキを作ってもらって、食べている。僕は、今日は宿題もないので、ゲームをしながら待っていた。智樹と蓮、諒は夕方六時過ぎに帰って来たが、達也だけは七時二分くらいに息を切らしながら、滑り込みで帰ってきた。みんなでミニバンに乗り込んで、出発しようとしていたところだった。


 湊と智樹に続いて、僕が後ろのスライドドアから車に乗り込もうとしていると、アンドルーが背後から捕まえるように腕を回してきた。そのまま反対の手で助手席のドアを開けると、助手席に乗るように僕を促した。アンドルーは、僕を乗せて助手席のドアを閉めると、運転席のほうへと回った。全員が乗ったのを確認して、アンドルーが車を発進させる。


「高校、合格したんだって。おめでとう。」

最後に車に乗った達也が、湊に声を掛ける。車の走行音がしているし、湊は一番後ろの奥に座っているため、湊の声は僕には聞こえないが、達也が入学説明会や入学手続きの話をしていた。


 子供の頃に別れて暮らすようになって以来、湊たち近藤家の三人とは、達也も会ったことがなかったらしい。とはいえ、達也は兄弟の中で一番年上であり、父とずっと一緒に暮らしてきたという点においても、他の兄弟たちよりも父とコミュニケーションは、取りやすい立場にある。そのため、湊の入学手続きのことなど、父に話す必要がある場合には、達也なりに気を配っているのかも知れない。


 店には、予約時間の五分前には着いた。アンドルーは、朝倉の名前で予約をしていた。僕が理由を聞くと、慣れていない日本人には外国人の名前だと伝わりにくいから、日本人の名前の方が良いのだと、アンドルーは答えた。


「遠慮なく好きなものを注文していいぞ。お金の心配はいらないから。」


 ロックハート家のアンドルーが言うので、みんなそれぞれに食べたい物を注文した。みんなで住んでいる今の豪邸も、アンドルーたちの父親のルーカスが、家具付きで用意してくれたことは、全員が知っている。


 みんな、離れ離れに暮らして育ってきて、兄弟の間でも遠慮があるところ、ロックハート家の人たちは――僕以外のみんなにとっては、そもそも親戚でも何でもない間柄だ。そのため、普段は同じ家に住みながらも、少し距離感のある生活を送っている。しかし、今日ばかりは湊のお祝いということで、蓮あたりが「本当に、いいんですか?」と言いながらも、好きな物をみんなで注文して食べた。


 これまでの日々の様子では、特にお風呂に入る順番で、みんなは気を遣うみたいだった。それを分かっているからなのか、カルロスたちもほとんど二階のお風呂にしか入らない。


 一階のお風呂のほうは、複数人で入れるような広い造りになっている。それで、渡辺家の二人も近藤家の三人も、いつも一階のお風呂を使っていた。二階のお風呂を使うことがあるのは、ロックハート家の人たち以外では、達也と僕の二人だけだった。カルロスとラウロの部屋がある三階には、トイレと洗面所はあるが、お風呂はない。


 どうやら、本当にみんな焼き肉を楽しみにしていたようだった。父の二番目の妻の香奈さんが再婚したのは資産家だったため、近藤家の三人は良い暮らしをしていたのではないかと思ったが、わりと窮屈な思いをしていたと話した。香奈さんと、資産家との間にも二人子供ができたらしいのだが、やはりその子供たちと区別されていたようで、年々疎ましがられているような雰囲気が増していったのだという。


 それで、香奈さんは父に、三人のことを頼んだのである。そういう過去があっての今の生活だから、いろいろと遠慮してしまうようだった。アンドルーが湊を見て、「かわいそうに」と言っていた理由としては、そういう部分もあったのかも知れない。


 お腹がいっぱいになって家に帰ると、十時を過ぎていた。カルロスとラウロも帰ってきたばかりみたいだから、今日は僕も一階のお風呂に入ることにした。達也は、湊の高校の入学手続きのことで父と話があるから――ということで、智樹と蓮と諒の三人が先にお風呂に入って、僕は達也の話が終わるのを、待っていた。


「遙人、時間も遅いし、一緒にお風呂に入ろうか。」


 先にお風呂に入った三人が出てきた時に、まだ達也と父の話が終わっていなかったので、ソファーで一緒にテレビを見ていたアンドルーが、僕に声を掛けた。達也がこっちに目をやるが、何も言わなかった。時計を見ると、十時四十分になっている。


 アンドルーが立ち上がって手を差し出すので、僕はお風呂に入ることにした。あと入っていないのは、達也と湊と、まだ帰ってきていない孝介だけだ。いつもだと、もうそろそろ孝介も帰ってきていい頃である。


 脱衣所は、二人分の洗面台のほか、銭湯みたいに棚があるから、六人分の着替えやタオルを個別に置くことができる。湯船も十分な広さがあった。家族は男しかいないし、誰かが先に入っていたからといって、出てくるまで待たなければならないということはない。ただ、シャワーが二つしかないので、なんとなく多くても三人までしか同時に入らない雰囲気になっていた。


 湯船は、六人くらいは入れそうな広さがあるとはいっても、アンドルーが入ると足も長いし太いし、だいぶ狭く感じてしまう。二階のお風呂の湯船だったら、一人でいっぱいになる体の大きさだ。しばらく温もっていたら、脱衣所に誰かがやってきた。それを見て、アンドルーが「そろそろ出ようか。」と言った。湯船から出る僕たちと入れ替わるように、引き戸を開けて入ってきたのは孝介だった。


「おかえり。」


 僕が言うと、孝介はちょっと驚いた表情をして、「でかっ!」と声を上げた。僕ではなく、アンドルーを見て言ったのだ。アンドルーが一階のお風呂に入ることは珍しいから、孝介はアンドルーの裸を見たことがなかったのだろう。プロレスラーと言うほどではないが、筋肉質な体をしているし、背の高さもあって全てが大きく見える。


「すみません。びっくりしちゃって。アンドルーさんって、本当に大きいんですね。」

「まあ、親父からの遺伝があるからな。あんまり、じろじろ見られると恥ずかしいんだが。」


「あ、すみません。凄いなと思って。」

 孝介は頭を下げながら、僕たちの横を通って風呂場のほうに進んだ。僕たちは脱衣所に出ると、風呂場の引き戸を閉めた。体を拭いて、頭を乾かしていると、ようやく達也と湊もお風呂に入りに来た。

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