第33話 夜勤と不意打ち。
「じゅるり」
ハジャの目が潤み、ぽってりとした唇の端から濡れた舌が蠱惑的に蠢く。
そして魅惑を振りまく微笑。
普通の男なら、股間を撃ち抜かれてしまう威力だ。
しかし、これは酒を飲み、ジャーキーを食いたいだけの仕草である。
色気の無駄使い
さて、待たせすぎると段取りが狂うかもしれないので、さっさと次の工程へと移ろう。
「手に入れるのに苦労したんだぜ」
ハジャに話しかけながら酒をグラスへと注いでいく。
「ほー、それはありがたい。なんじゃ口説きにきたか?」
「種族を超えた愛か……よせよ。これは普段からの友情の証さ。受け取ってくれるかい?」
ハジャに話しかけながら、不可視効果をかけた契約魔法を発動する。
この世界の龍は友好とかそういった言葉が大好きだ。酒に肴に甘い言葉。浮かれきったハジャは、足元に淡く出現した魔法陣に気付かない。
「友情とな! ええ言葉じゃー。もちろん受け取るぞっ!」
うっすらと光を放つ魔法陣……よし。同意した。これでレベル900固定に成功。
「さささ、まずは一口」
注いだ酒とジャーキーの小皿を、テーブルの上を滑らせつつ、ハジャの前へとずずいと押し出す。
「おひょょひょょひょ!」
特徴がありすぎる歓喜の声をハジャはあげた。
そして、そのまま酒を飲み、ジャーキーをポイと口へと放り込んだ。
「ううううううぅぅぅままままままあぁぁぁいいっっ!!」
瞬間、あまりの美味さにハジャは地鳴りの如き唸り声をあげ、天に向かって火球を噴いた。
「ほれ、もういっちょ」
空になった小皿にジャーキーを追加してやる。
「おおおっ! 美味いっ! 美味いぞ! 夜勤ーーっ!」
酒がなくなれば注いでやり、ジャーキーがなくなれば足してやる。
その度にハジャは唸り、火を噴き、喜んだ。
龍は喜びをこういう形で相手に伝える習性がある。
「美味いー。こんなに美味いのは百年ぶりじゃあー。げふぅー」
ジャーキーが心許ない量になったころ、ハジャが下品なゲップをした。
「堪能したか?」
「おおよ、もう火もでんぐらいはしゃいだわ」
ハジャの言葉が本当か確認するため、まとう魔力を注視する。確かに大きく減じているな。
魔力が再び体に巡りだすまで、五分以上はかかるとみた。
つまりここだ。今しかない。
転移魔法を発動。
「ん? 夜勤よー、何かするのかー?」
……勘付かれたか? いや、大丈夫なはずだ。
俺は平静を装いハジャへと返す。
「いや? それよりもう残り少ないがどうする? まだ食うか?」
「食うに決まっとる!」
ハジャは俺が取り出したジャーキーを奪うと座りこみ、夢中で咀嚼しはじめた。
……危ねえ。バレるかと思った。
だが、もうここまでくれば成功は間違いない。
上を向き、遠視魔法で遥か上空を確認。
「……いい加速だ」
空中で加速しつつ姿勢も完璧。指示した通り、カイザーナックルを足裏につけている。
「おん? 何がじゃ?」
「いや、いい加速だなってよ。それより美味えだろ?」
「そりゃもう、堪らん美味さじゃ」
会話しつつ、ハジャから少しずつ離れる。
人型になった龍は、魔力や気配を察知する能力が低下する。普段は巨体だし、その感覚で慣れきっているせいだろう。
さあ、あと十を秒きった。
「美味いのー! 人型で食べると味がいつもより鮮明じゃー」
「いやー、嬉しいぜハジャ。そんなに喜んでくれるなんてよ」
あと五秒。
「当然じゃー! これはそれに値する食い物ぞ!」
「良かったよ」
本当に良かった。
「美味いのー! 美味———」
——美味いと言い終える瞬間、ハジャは地面へとめり込み、その周辺は削り取られたようにへこんだ。
衝撃波と轟音。高波のように土砂がせりあがる。
魔力を展開、防御壁とし土砂をやり過ごす。
この光景は、転移魔法で遥か上空へと転移したアリシアが加速しながら落下し、そのままハジャを踏みつけたことにより発生したものだ。
地形の変形が収まったあとに現れたのは、半径三十メートルのクレーター。
その中心には目を閉じたアリシアがいる。
ピクリとも動かない。
全魔力を足先に集中し、ハジャの防御を抜くためだけの攻撃。
カイザーナックルで吸収しきれなかった反動は全てアリシアへと。
レベル899のおかげで体の形は保てているが、人間が耐えられる衝撃ではない。
つまり、アリシアは今、死んでいる
なので、俺は最後の仕上げを発動する。
「【死亡時蘇生保険】」
できればこの戦法は取りたくなかったが、ダンジョンの中でだと、これ以外の方法が俺には考えつかなかった。
……アリシアの目がゆっくりと開かれる。
上手く発動したので問題はないはずだが。
「……平気よ。ちょっと死んでいただけ」
俺の心配そうな雰囲気が伝わったのか、アリシアは生き返るなり、おどけてみせた。
「グゲゲッ! いうじゃねえかアリシア」
だが、やはり無理をしていたようで、ふらついている。
アリシアに駆け寄り肩を貸す。
「……これが今回の最後だ」
「……ええ」
「天を駆ける龍皇ハジャ。我に力を与えよ」
「天を駆ける龍皇ハジャ。我に力を与えよ」
アリシアの足下にある地割れから、魔素がゴボゴボと溢れだす。
染み入るようにゆっくりと、アリシアへと吸い込まれていく。
「やったな、アリシア。これでレベル999は間違いないぞ。ゆっくり眠って起きたら、お待ちかね! 楽しい楽しい復讐タイムだ!」
「復讐ってもっと陰惨なイメージだったけど、あなたが言うと楽しそうな事に思えてきたわね……」
「楽しいぜぇ! 顔を殴りまくって三倍ぐらいにした後、全財産燃やしてやるんだよ——っと」
地面が揺れる。
……もう起きやがった。龍は頑丈だなマジで。
「……アリシア、打ち合わせ通りだ、ちょっと先に戻っていてくれ」
人は龍を倒せない。どんな英雄でもだ。お話の中だけだが地球じゃありふれた龍殺し。
こっちの世界じゃ成し遂げたやつはいねえ。
レベルダウンと、ついでに一撃入れて意識をなくせば魔素を渡す契約を結ぶ。
さらにジャーキーと酒で魔力を使い切らせ、防御に回す魔力を枯渇させ。回復する前に不意打ち。
ここまでしてようやく、意識を一分程度飛ばすことが精一杯。
それほどまでに龍と人には、レベルで埋めることができない、隔絶した差がある。
「A氏が治癒槽やら、替えの服を準備してくれているからな」
「夜勤、あなた……本当に大丈夫なの?」
足下から感じるハジャの禍々しい魔力にアリシアは顔を青くした。
話してはいたが、アリシアの想像を遥かに超えていたようだ。
「またあとでな」
転移魔法を発動させアリシアを地下十一階へと送る。
ほどなくして、重苦しい魔力をまとった声が地面より響き、空気を震わせる。
「や〜〜〜き〜〜〜〜ん〜〜! お〜ま〜え〜!」
足下が隆起し土砂が噴出すると地面に大穴が開いた。
そこから龍が現れ凄まじい速度で天へと昇っていく。
さて……早く終わるといいんだが。
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